ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県板野町、下庄栖養「栖養八幡神社のイチョウ」です!!

2024-07-01 06:31:40 | 巨樹・大木
 下庄栖養地区は、板野町役場の南南西約3kmのところ

 板野町役場の東側の道路を南へ、約100mで右(西)へ、旧撫養街道です
 
 JR鳴門線の踏切を越えて「郡頭橋」を渡って直ぐ左(南)へ

 約350mで信号を右(西)へ、県道12号徳島引田線です

 約700mの「⇐石井・県道122号」の標識に従って信号を左(南)へ

 約2.0kmの「三好・石井・県道14号⇒」の標識に従って丁字路の信号を右(西)へ

 約400mのコンビニのある信号を右(北)へ入ると間も無く正面に

 栖養八幡神社が南向きに鎮座します

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 鳥居です

 鳥居の右側に大きな幹の木々が見えます

 栖養八幡神社社號標です

 神門です

 鳥居のところから目的のイチョウです

 南側から、樹高約16m、目通り幹囲5.5mの巨木です

 神門を潜った西側境内から、ヒコバエが太く育っています

 手水舎です

 拝殿前石段手前から神門と銀杏にクスノキを見ました

 拝殿です


 本殿です

 *栖養八幡神社は、応永10年(1403)に創建。土御門天皇がこの地に行在所を営まれた際に板西城主である赤沢氏によって京都の石清水八幡宮の分霊を勧請し、神社名の由来は古くから真弓原、栖養の里と呼ばれ、地主権現を祭る松杉などの茂る森であったことによるといいます。
 戦国時代には細川家・三好氏の崇敬社となったが、天正10年(1582)の長宗我部元親の戦火により全てを焼失しましたが、寛文12年(1672)に蜂須賀家の家臣である伴藤太夫貞茂によって再興されました。
 明治14年(1871)に郷社に列せられ、大正8年(1919)に道祖神社など6社を合祀し、昭和3年(1928)に春日神社を合併しました。(以上ウィキペディアからの一部抜粋です)


 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・16・00

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