平四ツ波地区は、いわき市役所の北北東約5kmのところ、目印は「いわき市フラワーセンター」です
市役所東側の通りを北へ、レンガ通りから国道399号線となってJR常磐線を跨線橋で越えて直ぐ右(東)へ
道成りに進んで夏井川を平橋で渡ります、山が両側に迫って来ると「いわき市フラワーセンター」の案内板が出て来ます
つづれ織りに坂道を登って一時停止のT字路を左へ、フラワーセンターまでは700mです
フラワーセンター駐車場入口を過ぎて坂道を更に登ると
道路左手に忠教寺が東向きに有ります、右の石段は石森観音堂の参道です
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
臨済宗 妙心寺派 磐城山 忠教寺です
本堂です
境内北東隅に目的のカリンです
南南西側から見ました
枝先にカリンの小さな実が残っています
南西側から、目通り幹囲2.4mしかありませんが・・・樹齢は800年を超える古木です
石碑が有ります、大きなカリンの実が置かれています
「くわりん」の詩
当磐城山中教寺は、文禄2年(1593年)平藩主岩城貞隆が建立した、いわき地方臨済宗の名刹である。
本堂には木造釈迦牟尼像が安置されている。この佛像は元禄12年(1695)領主内藤能登守より寄進を受けた。
江戸の佛師法橋源慶の作といわれ、鎌倉時代初期の作品で、県の重要美術品に指定されている。
亦、境内にある「くわりん」は、樹令八百余年を経たこの品種では全国稀有な老木であり、県の天然記念物の指定を受けている逸木である。
昭和63年12月
当山第二十一世住職 阿部正道
寄進者 幕之内住 柳内真平
千年
*カリン「花梨」の実は、砂糖焼酎に漬けて「ぜん息の薬」になります、子供の頃に飲まされました
北西側から
北西側観音堂の境内端から見ました
観音堂へ行きます
文化財標柱です
説明版です
市指定有形文化財 石森観音堂鰐口
石森観音堂は、磐城33観音札所の23番札所に当たり、千手観音を本尊としています。
平城から見ると、この観音堂の位置がちょうど鬼門の方向にあたることから、平藩のあつい保護を受けました。
市の指定文化財となっているこの鰐口は、観音堂の正面につりさげられていますが、貞享5年(1688)、平藩の家老、松賀族之助概純が立願し、片山重章が寄進したものです。
また、鰐口の製作者は、平城下北目の鋳物師、椎名久兵衛尉康吉です。椎名家は地元の鋳物師の家柄で、代々数多くの作品を残しています。
この鰐口はいわき市内の鰐口でも大きなもののひとつで、作品の仕上がりや保存状態もよく、当時の工芸技術の水準の高さを如実に物語っています。
鰐口の面径は64cm・唇幅は4cm・撞座径は12cm・厚さは22cmとなっています。
指定 昭和62年3月31日
所在地 いわき市平四ツ波字石森316
いわき市教育委員会
参道を進みます
石森観音堂です
説明版にあった鰐口です
では、次へ行きましょう
市役所東側の通りを北へ、レンガ通りから国道399号線となってJR常磐線を跨線橋で越えて直ぐ右(東)へ
道成りに進んで夏井川を平橋で渡ります、山が両側に迫って来ると「いわき市フラワーセンター」の案内板が出て来ます
つづれ織りに坂道を登って一時停止のT字路を左へ、フラワーセンターまでは700mです
フラワーセンター駐車場入口を過ぎて坂道を更に登ると
道路左手に忠教寺が東向きに有ります、右の石段は石森観音堂の参道です
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
臨済宗 妙心寺派 磐城山 忠教寺です
本堂です
境内北東隅に目的のカリンです
南南西側から見ました
枝先にカリンの小さな実が残っています
南西側から、目通り幹囲2.4mしかありませんが・・・樹齢は800年を超える古木です
石碑が有ります、大きなカリンの実が置かれています
「くわりん」の詩
当磐城山中教寺は、文禄2年(1593年)平藩主岩城貞隆が建立した、いわき地方臨済宗の名刹である。
本堂には木造釈迦牟尼像が安置されている。この佛像は元禄12年(1695)領主内藤能登守より寄進を受けた。
江戸の佛師法橋源慶の作といわれ、鎌倉時代初期の作品で、県の重要美術品に指定されている。
亦、境内にある「くわりん」は、樹令八百余年を経たこの品種では全国稀有な老木であり、県の天然記念物の指定を受けている逸木である。
昭和63年12月
当山第二十一世住職 阿部正道
寄進者 幕之内住 柳内真平
千年
*カリン「花梨」の実は、砂糖焼酎に漬けて「ぜん息の薬」になります、子供の頃に飲まされました
北西側から
北西側観音堂の境内端から見ました
観音堂へ行きます
文化財標柱です
説明版です
市指定有形文化財 石森観音堂鰐口
石森観音堂は、磐城33観音札所の23番札所に当たり、千手観音を本尊としています。
平城から見ると、この観音堂の位置がちょうど鬼門の方向にあたることから、平藩のあつい保護を受けました。
市の指定文化財となっているこの鰐口は、観音堂の正面につりさげられていますが、貞享5年(1688)、平藩の家老、松賀族之助概純が立願し、片山重章が寄進したものです。
また、鰐口の製作者は、平城下北目の鋳物師、椎名久兵衛尉康吉です。椎名家は地元の鋳物師の家柄で、代々数多くの作品を残しています。
この鰐口はいわき市内の鰐口でも大きなもののひとつで、作品の仕上がりや保存状態もよく、当時の工芸技術の水準の高さを如実に物語っています。
鰐口の面径は64cm・唇幅は4cm・撞座径は12cm・厚さは22cmとなっています。
指定 昭和62年3月31日
所在地 いわき市平四ツ波字石森316
いわき市教育委員会
参道を進みます
石森観音堂です
説明版にあった鰐口です
では、次へ行きましょう
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