羅漢林東地区は、板野町役場の西約3kmのところ
板野町役場の東側の道路を南へ、約100mで右(西)へ、旧撫養街道です
JR鳴門線の踏切を越えて「郡頭橋」を渡って直ぐ左(南)へ
約350mで信号を右(西)へ、県道12号徳島引田線です
道成りに約2.9kmの「地蔵寺⇒」の標識に従って信号を右(北)へ
約300mで左手に地蔵寺の駐車場が見えて来ます
駐車場に車を止めさせて頂きました
南向きの参道の先の門前町北端から
山門の仁王門です
四国霊場 第5番 地蔵寺寺号標です
日本遺産プレートです
手水舎です
山門を入ると左手に本堂ですが、現在屋根の修理中のようで防風ネットで覆われています、お参りは出来ました
本堂北側の六角堂は観音堂でしょうか
本堂に対面するように大師堂です、お参りしましょう
修行大師御尊像です
説明石碑です
修行大師様御縁起之碑
都に上り一人の沙門に虚空蔵救聞持法を教わった空海様は、四国の地で厳しい山野修行に若き情熱を傾けられました。
こちらの修行大師様はそのお姿にあやかり、まさにこれから人々のために御慈悲の道を志されんとする若き人間大師の御尊影でございます。
台座の向かって左は高野山御縁起でございます。狩場明神伝説、奥の院御廟、燈籠堂が描かれ、根本大塔の大日如来を御本尊とし、阿弥陀如来の御座より若き僧が四国の方に手を合わせ、遍路の無事と衆生の救済を願っておられます。
台座の右は修行大師様御縁起でございます。2001年3月18日、まるでお大師様が使わされたかのように一匹の猫が現われ、大切な長男を亡くし悲しみにくれる私どもを導き、2002年5月3日、イチョウから舞い降りるように弘法大師様が御来降されました。
この時、自らに厳しく、人に優しく、星を愛し、ひたすら輝き続けた子は、同じ志を持つ若者達とともにお大師様の元で永遠の命を授かったのでございます。
心をこめ念ずれば、必ずお大師様は皆様にも救いの手を延べられることでしょう。
なお台座の中には、高野山、四国八十八ケ所をはじめお大師様に御縁の深いお寺の御石を納めております。
本日はようお参りなされました。
南無大師遍照金剛 願主敬白
山門東側に鐘楼です
淡路堂です
では、境内のイチョウを見て行きましょう
2024・6・7・15・00
板野町役場の東側の道路を南へ、約100mで右(西)へ、旧撫養街道です
JR鳴門線の踏切を越えて「郡頭橋」を渡って直ぐ左(南)へ
約350mで信号を右(西)へ、県道12号徳島引田線です
道成りに約2.9kmの「地蔵寺⇒」の標識に従って信号を右(北)へ
約300mで左手に地蔵寺の駐車場が見えて来ます
駐車場に車を止めさせて頂きました
南向きの参道の先の門前町北端から
山門の仁王門です
四国霊場 第5番 地蔵寺寺号標です
日本遺産プレートです
手水舎です
山門を入ると左手に本堂ですが、現在屋根の修理中のようで防風ネットで覆われています、お参りは出来ました
本堂北側の六角堂は観音堂でしょうか
本堂に対面するように大師堂です、お参りしましょう
修行大師御尊像です
説明石碑です
修行大師様御縁起之碑
都に上り一人の沙門に虚空蔵救聞持法を教わった空海様は、四国の地で厳しい山野修行に若き情熱を傾けられました。
こちらの修行大師様はそのお姿にあやかり、まさにこれから人々のために御慈悲の道を志されんとする若き人間大師の御尊影でございます。
台座の向かって左は高野山御縁起でございます。狩場明神伝説、奥の院御廟、燈籠堂が描かれ、根本大塔の大日如来を御本尊とし、阿弥陀如来の御座より若き僧が四国の方に手を合わせ、遍路の無事と衆生の救済を願っておられます。
台座の右は修行大師様御縁起でございます。2001年3月18日、まるでお大師様が使わされたかのように一匹の猫が現われ、大切な長男を亡くし悲しみにくれる私どもを導き、2002年5月3日、イチョウから舞い降りるように弘法大師様が御来降されました。
この時、自らに厳しく、人に優しく、星を愛し、ひたすら輝き続けた子は、同じ志を持つ若者達とともにお大師様の元で永遠の命を授かったのでございます。
心をこめ念ずれば、必ずお大師様は皆様にも救いの手を延べられることでしょう。
なお台座の中には、高野山、四国八十八ケ所をはじめお大師様に御縁の深いお寺の御石を納めております。
本日はようお参りなされました。
南無大師遍照金剛 願主敬白
山門東側に鐘楼です
淡路堂です
では、境内のイチョウを見て行きましょう
2024・6・7・15・00
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