平日休みで、急に思い立って出かけたのが良くなかったのか?
自宅から、関越高速のインターチェンジまで
午前9時前にインターチェンジを通過すればETC割引で
2000円かからずに松井田妙義まで行けるな
と思って、出かけました
ところが、インターチェンジで大失敗
時間には間に合いましたが、
なんと、ETCじゃない一般レーンを通過してしまいました」
途中のサービスエリアから、お客様センターへ連絡して
松井田妙義インターチェンジでは、無事に一般レーンからETC割引を利用できて
高速を降りることができました
前置きが長くなってしまいましたm(__)m
松井田妙義インターチェンジから
国道18号線に出て、高崎方面に戻るように行きます
バイパスを登り切る手前に左へ入る側道が有ります
角に松井田城址の矢印が有ります
側道の突き当りを左に峠(浅間出丸と本城の間になります)を越えて
中腹まで降りていくと左側に看板が有ります
更に山道を登り切ると大手口の看板まで行くことができます
車を置いて、登城しましょう
登って直ぐ堀切が出てきます
一つ目の堀切は片側だけの虎口のようなもののようです
二つ目の堀切も小さい規模の物です
三つ目です
杉木立の間を抜けて、左の水の手側に行きます、右は城入口となっています
土塁を巻いて、門跡への道を分けると
水の手です、残念ながら水はかれていました(杉林に成ってしまったため保水力が無くなったのでは?)
水の手を越えて、さらに左へ安中郭を目指して上がって行きます、竪堀が二つ連続します
左側の林の中にも郭のような平らな部分が見えます
S型空堀だそうです、上の郭の下側に土塁で囲われています
上の郭の虎口のようです
登り切ると、向こう側(南側)には妙義山や松井田野町が有ります、右に行くと安中郭二の丸です
左に尾根筋を少し行って見ました、堀切のようです
妙義山が見えます
先は、尾根が下っていて、竹やぶの中に消えていました、戻ります!
安中郭本丸の看板が出てきました、ここは二の丸なのでしょうか
大きな堀切です、深さが5・6m有りそうです
堀底は、竪堀へ繋がっています
虎口への登り道を上がります
安中郭本丸です、松井田古城の石碑が有りました(武田信玄と戦っていたころは、ここが本丸だったようです)
西側への虎口を下ると
枡形の上に出ました
枡形から戻るようにして、本丸側へ行きます、竪堀の頭絵を越えて、坂道を上がると
櫓台と本丸の分かれ道です
櫓台です、枡形を見下ろすような位置になるようです
本丸です、青木などの灌木が多くて良く解りません、虚空蔵菩薩様へ行きます
北東の隅の一段高くなった所にあります
虚空蔵様の裏側に壊れかけた祠が有りました
、戻って二の丸へ行きます
、
また、大きな堀切です
堀底に案内版が有りました、二の丸と馬出に向かいます
馬出しです(写真が非常に解りにくいのですが~)
馬出し側から堀切を越えて
二の丸です、土塁の外側は崖の様になっています
二の丸の端の櫓台には、テレビのアンテナが建っていました
二の丸から、崖を下りました、虎口が有ってよさそうなのですが、踏み跡をたどって行くと”崖”です!!
堀底から見上げると、15mは有りそうです
二の丸の西側に、連続空堀が有ります(実戦でどれほどの防御効果が有ったのか、想像できません)
更に西へ行くと、堀切を過ぎて、崖下に車道がみえてきました西側はここまででしょうか
二の丸下の堀切まで戻り、北側へ踏み跡をたどります
二の丸下の崖の踏み跡をトラバースして、北側の尾根に取り付きます
大きな石有る郭状の所を薮をかき分けながら、尾根筋を下ります、堀切や土塁らしい物もありますがはっきりしません
ようやく、下り切った所は、工作放棄地のような谷地でした、コンクリート舗装の道がついています
下って行くと、お墓、建設会社、道路に出たところに老人ホームが有りました
北西側から城址の山を見ます
帰りが辛い、道路を延々と迂回して住宅地を戻りました
途中で、フクジュソウが咲いていました
住宅街の中に井戸が有りました、江戸時代の物のようです
自宅から、関越高速のインターチェンジまで
午前9時前にインターチェンジを通過すればETC割引で
2000円かからずに松井田妙義まで行けるな
と思って、出かけました
ところが、インターチェンジで大失敗
時間には間に合いましたが、
なんと、ETCじゃない一般レーンを通過してしまいました」
途中のサービスエリアから、お客様センターへ連絡して
松井田妙義インターチェンジでは、無事に一般レーンからETC割引を利用できて
高速を降りることができました
前置きが長くなってしまいましたm(__)m
松井田妙義インターチェンジから
国道18号線に出て、高崎方面に戻るように行きます
バイパスを登り切る手前に左へ入る側道が有ります
角に松井田城址の矢印が有ります
側道の突き当りを左に峠(浅間出丸と本城の間になります)を越えて
中腹まで降りていくと左側に看板が有ります
更に山道を登り切ると大手口の看板まで行くことができます
車を置いて、登城しましょう
登って直ぐ堀切が出てきます
一つ目の堀切は片側だけの虎口のようなもののようです
二つ目の堀切も小さい規模の物です
三つ目です
杉木立の間を抜けて、左の水の手側に行きます、右は城入口となっています
土塁を巻いて、門跡への道を分けると
水の手です、残念ながら水はかれていました(杉林に成ってしまったため保水力が無くなったのでは?)
水の手を越えて、さらに左へ安中郭を目指して上がって行きます、竪堀が二つ連続します
左側の林の中にも郭のような平らな部分が見えます
S型空堀だそうです、上の郭の下側に土塁で囲われています
上の郭の虎口のようです
登り切ると、向こう側(南側)には妙義山や松井田野町が有ります、右に行くと安中郭二の丸です
左に尾根筋を少し行って見ました、堀切のようです
妙義山が見えます
先は、尾根が下っていて、竹やぶの中に消えていました、戻ります!
安中郭本丸の看板が出てきました、ここは二の丸なのでしょうか
大きな堀切です、深さが5・6m有りそうです
堀底は、竪堀へ繋がっています
虎口への登り道を上がります
安中郭本丸です、松井田古城の石碑が有りました(武田信玄と戦っていたころは、ここが本丸だったようです)
西側への虎口を下ると
枡形の上に出ました
枡形から戻るようにして、本丸側へ行きます、竪堀の頭絵を越えて、坂道を上がると
櫓台と本丸の分かれ道です
櫓台です、枡形を見下ろすような位置になるようです
本丸です、青木などの灌木が多くて良く解りません、虚空蔵菩薩様へ行きます
北東の隅の一段高くなった所にあります
虚空蔵様の裏側に壊れかけた祠が有りました
、戻って二の丸へ行きます
、
また、大きな堀切です
堀底に案内版が有りました、二の丸と馬出に向かいます
馬出しです(写真が非常に解りにくいのですが~)
馬出し側から堀切を越えて
二の丸です、土塁の外側は崖の様になっています
二の丸の端の櫓台には、テレビのアンテナが建っていました
二の丸から、崖を下りました、虎口が有ってよさそうなのですが、踏み跡をたどって行くと”崖”です!!
堀底から見上げると、15mは有りそうです
二の丸の西側に、連続空堀が有ります(実戦でどれほどの防御効果が有ったのか、想像できません)
更に西へ行くと、堀切を過ぎて、崖下に車道がみえてきました西側はここまででしょうか
二の丸下の堀切まで戻り、北側へ踏み跡をたどります
二の丸下の崖の踏み跡をトラバースして、北側の尾根に取り付きます
大きな石有る郭状の所を薮をかき分けながら、尾根筋を下ります、堀切や土塁らしい物もありますがはっきりしません
ようやく、下り切った所は、工作放棄地のような谷地でした、コンクリート舗装の道がついています
下って行くと、お墓、建設会社、道路に出たところに老人ホームが有りました
北西側から城址の山を見ます
帰りが辛い、道路を延々と迂回して住宅地を戻りました
途中で、フクジュソウが咲いていました
住宅街の中に井戸が有りました、江戸時代の物のようです
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