ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県石巻市、桃生町倉埣山居「永井分校(跡)のカヤ」(市指定)です!!

2023-05-01 06:29:35 | 巨樹・大木
 桃生町倉埣山居地区は、石巻市役所の北約19km、石巻市桃生総合支所の北東約4kmのところ

 石巻市桃生総合支所の北西側の県道21号線を北東に進みます

 約1.8km旧北上川の豊里大橋南詰信号を右(東)へ県道61号線です直ぐ左に旧北上川の土手沿いを進みます

 約2.3kmで標識に従って三陸道方向(東南東)へ、昆布沼南側の交差点の北東側に


 目的のカヤが見えました、すぐ東側を三陸道が通っています

 南側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側に二基の大きな石碑です、右側は村田先生頌徳碑です
 *村田先生は明治から大正3年にかけて教育や同窓会組織・校舎の建築・植栽などにまで貢献された方のようで、昭和2年11月の建築です

 左側は、永井分校跡石碑です
 碑面には・・・明治6年5月永井小学校創立、以来百十余年、数千人の児童を育て、地域文化の中心としての役割を果たし 昭和58年3月31日閉校する。
 *石巻市立桃生小学校のホームページに永井分校の古い写真が載っています、カヤの木も見る事が出来ます。
 *昭和58年(西暦1983年)は、すでに40年前になります。
 *明治6年5月に永井小学校として開校しました。裏永井の浄音寺を教室にして、読書・算術・習字の授業を始めました。
  明治14年2月には、西前に校舎を新しく建てて移り、それまで倉ぞねにあった分校の子どもも一緒に勉強することになりました。
 *桃生小学校(本校)は明治6年6月にできたもので、樫崎小学校といい、先生をしていた樫崎東の榊田員枝(さかきだかずえ)さんという人の家を教室にして、読書・算術・習字の授業を始めました。ということは、永井小学校の方が先に開校していました。
 *太田分校は太田十貫の吉祥寺を校舎として使いました。

 南側から

 文化財標柱です 
 文面は・・・推定樹齢700年、明治29(1091年この木の背面に永井分校が建てられ、分校のカヤの木として親しまれている。
 平成16年12月1日、桃生町文化財に指定されました。

 南東側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です

 東側から

 北東側から

 北側から、幹を見上げました

 西側から、北側には駐車場が広がっていました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月5日午前9時10分訪問です

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