ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県新城市、作手清岳中ノ坊「善福寺の仁王像とボダイジュ」(市指定)です!!

2023-01-27 18:31:18 | 文化財・樹木
 作手清岳中ノ坊地区は、新城市役所の北北西km、新城市作手総合支所の南西約2kmのところ

 新城市作手総合支所前から南へ国道301号線を進みます

 間も無く左手に「道の駅つくりで手作り村」が有ります


 地域の観光案内板です、周辺には小さな城跡が数多くあります、案内板の左端③のところに善福寺が見えます

 道の駅つくりで手作り村の直ぐ先交差点を右(北西)へ県道37号線です、約400mで右に

 善福寺参道入口です

 北へ入ってまっすぐに進むと、右手に県指定天然記念物の「イヌツゲ」と「仏頭岩と雲龍ガシ」を見て直ぐ先です

 道路左側に文殊山城址見学者用の駐車場が有ります
(文殊山城址には少し後で行きますのでご期待ください)


 山門の仁王門が見えます

 金輪山 善福寺です

 説明版です
   金輪山善福寺の由来
  本尊 十一面観世音菩薩
  宗派 真言宗御室派(京都市総本山仁和寺末)
 当山は推古天皇御代「田源山善福寺」の勅号を賜った。
 中興開基は、真言宗2世真済、天長元年伽藍を建て、山号を「金輪山」に改める。
 当時は七坊(大坊・岩本坊・池ノ坊・松本坊・中ノ坊・下ノ坊・杉本坊)あり、それぞれの名は現在も字名として残っている。真済僧正が仏像の手を修理されたことから「作手」の名が村についたとも伝えられる。
 村上天皇御代、天徳2年勅願所となり、以後200有余年全盛を極めるが、久安3年伽藍、宝物の大半を野火により焼失する。
 後、開山は建久6年東大寺再興に尽力のあった俊乗坊重源上人が伽藍を造営するが、天正元年8月勝頼の兵火にてまたも焼失する。
 乱後、領主奥平美作守貞能が現在の観音堂を建立し、徳川家の帰依もあり仁王門、鐘楼堂と共に現在の伽藍となる。
 奥の院・文殊堂の参道は八十八ケ所の石仏が明治期に奉納された。
    巴川その水上はあさくとも 寿ゑは大悲の福衆海なり

 参道石段の上に仁王門です

 阿形像です

 吽形像です

 説明版です
   新城市指定文化財
●種別・名称(彫刻)善福寺の仁王像(金剛力士像)
       平成9年5月1日指定
●所在地 新城市作手清武中ノ坊29
●由来 金輪山善福寺の参道に鎮座する仁王尊は、阿吽両像からなる木造寄木造りである。
 比較的損傷も少なく、やや誇張的ではあるが写実的で力感と重量感を漂わせている。
 両像の顔面部分は、目に水晶が使われるなど、材質・造りとも首から下の部分と異なり、鎌倉時代の作(一説には運慶作と伝えられる)と思われる。
 作者・製作年とも不詳だが、仁王門の創建は文録4年(1595年)で久安3年(1147年)の野火や天正元年(1573年)の戦火により寺が焼失した際も、仏具類は難を逃れたと伝えられる。
●大きさ 身の丈2m80cm
         新城市教育委員会
  
 防獣網を開けて、参道石段を進みます

 石段途中にはお不動様です

 参道西側の広場です、伽藍が有った所の様です

 目立た樹木はボダイジュかもしれませんが、目的のものではないようです

 石段最上段の両側にスギの大木が並びます


 境内右手には鐘楼です

 本堂です

 本堂前から二本のスギを見ました

 石仏が並びます

 本堂左手の文殊山城址への登城口

 目的のボダイジュです

 珍しい単幹です

 南西側から

 天然記念物の立札です

 北側から見上げました

 では、次へ行きましょう

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 愛知県新城市、作手清岳岩本... | トップ | 愛知県新城市、作手清岳「宮... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

文化財・樹木」カテゴリの最新記事