ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山形県上山市、宮脇「正八幡神社(正八幡宮)のケヤキ」です!!

2019-10-30 06:40:13 | 巨樹・大木
宮脇地区は、上山市役所の南東約3kmのところ

県道263号線を東へ、国道13号線を超えて間もなく

左手に正八幡神社が鎮座します

手前の社務所前に駐車場が有りますので利用させて頂きました




境内入口です

鳥居です

「郷社 八幡神社」となっています

由緒記です
  正八幡神社御由緒
 當八幡神社の肇基は、人皇77代堀川天皇の
寬治7年、源義家勅命に依り清原氏を討伐の途
次、京師の男山八幡宮を遥拝し戦勝を祈れる古
跡たるを起因す。降りて99代後村上天皇の、
正平11年8月出羽探題修理大夫源兼頼は、祖
公が遥拝の遺跡たるを以て旧殿を創立せしめ、
天文年中小築川建真範、當國へ乱入の際奥焚に
罹かりし為、慶長5年出羽守最上義光の臣里見
越後に命じて之を再建せしむ。現今の社殿は、
宝永2年9月15日元上ノ山城主松平中務少輔
信通が修造する所。明治5年8月在川東郷19
ヶ村の郷社に列せらる神威跡灼真燈の鏡の曇り
なく、神真永く世に輝く抑本宮域所在の大字名
を宮脇、又は村名を宮生村と稱し来るも遠き昔
より當八幡宮の鎮り座はすに基因するもの也。
  神社御事歴
 肇基 寛治 7年8月15日
 創立 正平11年8月15日
 再建 慶長 5年8月15日
 修造 宝永 2年9月15日
   昭和43年4月15日 氏子総代



手水舎です

石灯篭です

説明版があります
  土岐灯籠の由来
 寛永5年(1628)に上山藩主として着任さ
れた土岐頼行公は、宮脇の正八幡宮と若宮八幡宮
を領内鎮護の神として崇敬なされた。
 同18年、頼行公は、三代将軍家光の若君誕生
を祝賀し、幕府の認可を受けて、御社の神輿を二
日町御仮屋に渡御し、天下泰平、武運長久、五穀
豊穣を祈願し、その御神札を幕府に献上する大祭
典を催した。これは今も上山の秋祭りとして継承
されている。
 昨年7月、東京港区内の土岐家旧上屋敷跡が改
造されることになり、同家19代寛光氏のご厚意
で、庭園内の石灯籠6基と七層石塔1基が上山土
岐会に寄贈された。
 これは江戸時代中期の風格を持つ貴重なもので
あり、同会は上山市並びに上山郷土史研究会と協
議して、「土岐灯籠」と命名し、土岐家と縁の深
い当神社に燈籠1基を寄進された。
 よって氏子一同協賛を得て境内に建立し、当神
社の興隆を祈願するものである。
    平成16年4月15日
      撰文  佐竹徳太郎
      宮脇八幡神社氏子一同



拝殿です

本殿は覆屋の中です

目的のケヤキは境内南東隅県道沿いに在ります

県道に出て南側から見ました

南東側から

東側から見上げました、目通り幹囲6,1mの巨木です

境内南西隅には大きな切株が見られました

では、次へ行きましょう

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