~ Mon petit cheri~*

四季を味わいながら、暮らしのセンスアップをめざしています

◆ 何もないから自分で創る

2009年01月15日 | 日日是好日



私がこの土地に引っ越した理由のひとつに、
「今より不便になりたい願望」があったように思う。
だけど、不便さの成分は、25%配合ぐらいが私にはちょうどいい。
そんな感じだったと思います。


昨日、夕刊の文化欄に画家の大竹伸朗さんのコラムが載っていた。
何かと話題の「地方について」。
余談ですが、ベネッセ直島にも大竹さんの作品はあったようだけど、
前衛的すぎたのか、あんまり記憶に残っていない。



愛媛県宇和島 に暮らして 20年。
生まれ故郷の東京を離れて、創作活動を続ける大竹さんにとって、『地方』とは何か。
そこには、不便さと表裏一体の理屈をこえた魅力があるという」


・・・という滑り出し。



以下(オレンジ)、大竹さんの話です。



宇和島にいると、時間が過ぎない。
自分が何かしないと、何も動かない。
その点、東京だと一日がすぐ過ぎる。
夕日に浮かぶ東京タワーを眺めていれば時間がたつ。
思い出は自動的に生まれる。


東京なら、通りに出れば、昨日と違うことが起きている。
芝居も映画も、毎日見ても見切れないほどある。
しかし、人が作ったものに触れているだけでは
ダメなんじゃないか。
自分で創る人間としては、大作映画を観て感動するよりは
手元のスケッチブックに一本の線を引くほうが意味があるのではないか。






ううむ。なるほど。

こうゆう切り口もあるのだなぁ、と思う。
「大都会に生まれ育った人」そして、「芸術家という生業の人」、
ならではの目線もあるのかもしれないけれど、それにしても
なんだろうなぁ・・・・納豆のように糸を引いてしまう言葉。


芸術家でも、創る人間でもない私には、
もちろん、大竹さんのようなテンションも、切迫感も必要ないし。
逆に、人の作ったものから、定期的に刺激を受けていないと、
何となく人生つまんなくなってくるし、モチベーションも下がり気味だし。


だから、少しばかりの不便を楽しみつつ、
大都会にもまぁまぁ近いこの地域に住むコトが、自分にはいい塩梅だと思ってる。



何もない場所で何もしないでいると、自分が消えてしまう。
それを食い止めるために何かする。
昨日はなかったものを自分で創るしかない。




やっぱり、大竹さんの言葉には何かある。
よくわからないけど、緊張感と畏敬の念を感じてしまう。
自動的には生きたくない。もっともっと創造的になりたい。
みたいな渦が久々に、ふつふつと沸き上がってくる感じ。
本能のように。(今日だけかしら。笑)




最後の言葉には、ふつうに地方の魅力が語られていて、
ある意味、ちょっとホッとしたんだけれど――。



この二十年で宇和島の商店街が寂れ、活気がなくなったのは確か。
ただ、地元の人が見逃しがちな格好良さもある。

たとえば、商店街の古い水銀灯なんて、すごく格好いい。
うっかり金回りがいいと、それをなくして綺麗に再開発してしまうんだろうけど、
野暮ったさの中に大切なものが隠れていることも多い。





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