~ Mon petit cheri~*

四季を味わいながら、暮らしのセンスアップをめざしています

◆ 道、なるもの

2007年09月07日 | 日日是好日

三年前、父が長期入院していたとき
書店で、谷口雅春さんの「生命の実相」を手にし、
その時の心境にとても沿っていたので、しばらく愛読しました。

その後、二冊ばかり 著者の本を買ったのですが、
ざっと読んだあと、本は眠ったままでした。

さて今日、部屋の掃除をしていたら、その内の一冊がポロッと
出てきたので、久しぶりにめくってみました。
「叡智の断片」という語録集です。

すると、(今の私に) 晴天のヘキレキ ・・・みたいな言葉が書かれていて。


突然ですが、写経のごとく、書き写したくなりました。
長いし、かた いですよ。笑。



+++


道は絶対である。絶対には対立がない。
一切の対立がなくなることである。

一切の対立がなくなるから、一切に和解し、
一切を尊び、一切が清まり、一切が寂である。

これが茶道の静寂であり、そのまま清まる日本の道である。
対立する争いを持って生活するが如きは、日本の道ではなかったのである。

道は「寂」であり、動くものなくして動いており、
その動くや、必ず万物を生かすのである。

対立なき動きは全機であり、無にして、一切であり、
0(ゼロ)であるから、一切と調和するのである。

構える心がないから、事を構えず、
事を構えないから、事が起こらないのである。
              
構えることがなければ、「そのまま」となり、
そのままは実相であり、実相は善であるから、善き事のみが現れる。
「私」のはからいがないから、全体の動きとピッタりと「一」である。
全機であり、全即一であり、一即全である。

本当に明るいというのは、全然対立がない「無」になり、
無構えになって、天地と一つに溶け合って、「寂」となることによって
自然に得られる明るさでなければならない。

真の明るさは、構えた明るさではない。
そのまま天地の明るさがあらわれたとき、
真に明るくなり、立ち向かうところが、ことごとく明るくなる。




+++


これを読みながら、今NHKで 中国の旅をしている
関口知宏さんと、だぶってしまいました。

日本、ヨーロッパ、世界各地・・・と旅するごとに、
自分の道を確実に見つけている 関口さん。

しかも、その道は、どこか谷口さんのおっしゃる
「寂」の道と似ているような気がします。

つまりは、

一切の対立がなくて、(まずは自分自身との、かな)
全てと調和し、その動きは万物を生かす・・・所とか、
構える心がなくて、事に対して構えていないから、トラブルが起こらず、
全体の流れに乗って、幸福なシンクロニシティが起こる・・・所とか、
自分に フォーカスしている意識から離れていて、
全体の中の自分を感じているから、「ゼロ」であり、
イコール、「全て」になることができる・・・所とか。

かなり、旅に見る関口さんや、旅そのものと符合するような気がします。


詳しくは知りませんが、本人も、「ゼロ」の可能性についてや、
中国の思想などについて、最近よく口にされているそうです。


テレビで 旅を見ていると、彼は本当に明るくて、
それは、明るく振舞っているなどとは違う次元の明るさで、
喜怒哀楽や気分を素直に出しながら、天真爛漫というか・・・

この、「そのまま天地の明るさが現れたとき、真に明るくなり、
立ち向かうところが、ことごとく明るくなるのである」
というフレーズさえ、そんな彼を代弁しているような感じがして。
天地の明るさ ・・・なんて、すごすぎです。


・・・って、ほめすぎ? 笑。


いや、個人を崇拝したいわけじゃありません。
もちろん、個人の資質も努力も大きいし、もちろん カリスマ性もあるのですが、
関口さんは、きっとそんな役割を担わされているのですね。
どうも、天の抜擢だと思います。地上に降りた遣唐使とか、そんな感じ。笑。
(とても大変ですけれどね)
だから、ものすごく守られているし、ガイ ドされていることも感じます。


話がずれてきましたが、谷口さんの↑の洞察は、
やっぱりベストセラー作家であり、宗教家でもあり、すごいと思います。


もっともっと、じっくり 読んで、
細胞の一個一個にしみ込ませたいし、
少しずつでも、そんなかっこいい精神に近づけたら ・・・と思います。

難しいことだけれど、私も一期一会の旅のつもりで、日々を送りたいです。



コメント (4)
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