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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

袴田事件の再審を!

2014-03-26 23:15:58 | 日記
 明日十時、袴田事件の再審の決定が出される。ボクはもちろん、この事件はえん罪であると思っている。

 しかし、日本の司法は、死刑判決となった事件の再審については、1980年代半ばの再審により無罪とされた島田事件などのあと、ずっと再審を拒否してきている。

 司法は、人権救済よりも、日本司法の権威、威信を守ることに専念しているようだ。再審を認めると、担当裁判官の、裁判官としての「出世」はなくなるだろう。

 『絶望の裁判所』という本について、このブログでも紹介したが、日本の検察はもとより、裁判所も腐臭を放ちながら存在している。

 再審決定が下されるなら、日本の司法も、まだ完全に腐ってはいないということだ。そしてその反対だったら、もう日本の司法は終わりである。

 袴田事件、どこからみても、袴田さんが犯人ではありえない。

 もし、再審開始となったら、検察による「即時抗告」をやめさせるようなことをしていかなければならない。

 ひとりの無実の人間を救い出すために、日本では莫大なエネルギーが必要とされる。

http://www.h3.dion.ne.jp/~hakamada/jiken.html
 
http://hakamada-saishin.org/

どう報道するか

2014-03-26 15:25:47 | メディア
 東京都知事を辞職した猪瀬直樹が、徳洲会から選挙資金として5000万円を受領した。しかし、それに関しては嘘を言い、選挙資金として帳簿にも記載しなかった。ひどい話だ。おそらく、マスコミも、小沢一郎の時のように、大々的に報道していくことだろう。

 また「みんなの党」の渡辺喜美も、8億円を「借りていた」そうだ。これも大々的に、小沢一郎の時のように報道合戦が行われるのだろう。

 もしそうでないなら、小沢一郎の時の報道は、「国策報道」であったということを暴露するようなものである。

 以下は『毎日新聞』記事。

渡辺・みんなの党代表:2回の選挙前に「8億円」 DHC会長が手記
毎日新聞 2014年03月26日 東京朝刊


 みんなの党の渡辺喜美代表が2010年の参院選と12年の衆院選の前に、大手化粧品販売会社の会長から「計8億円を借り入れていた」と26日発売の週刊新潮が報じることが分かった。毎日新聞の取材に党幹部は「個人的な借り入れで、金利も払っている」などとしている。同誌は、借り入れた資金について収支や資産の報告が不十分で、政治活動や選挙活動に使われた場合は政治資金規正法や公職選挙法に抵触する可能性もあると指摘している。

 週刊新潮には、化粧品やサプリメントを販売する「ディーエイチシー(DHC)」(東京都港区)の吉田嘉明会長(73)が手記を寄せた。それによると、吉田氏は参院選前月の10年6月に3億円、衆院選前月の12年11月には5億円を渡辺代表の個人口座に振り込んだとしている。その後約2億4700万円が返済され、今も5億円超の借り入れがあるという。一方、12年12月の衆院選で当選した議員を対象とする資産公開で、渡辺氏は借入金を2億5000万円と記載。手記と食い違う。

 毎日新聞の取材に吉田氏は関係者を通じて「今日(25日)はお答えできない」としている。

 一方、渡辺氏の事務所は「記事を見ていない段階では対応できない」としている。関係者によると渡辺氏は26日にもコメントを出す予定という。

 政治資金収支報告書によると、渡辺氏が代表を務める「みんなの党栃木県支部」は、吉田会長から10〜12年に計6000万円の献金を受けた。渡辺氏の資金管理団体なども09〜11年に吉田会長から献金やパーティー券購入で計600万円の提供を受けた。【青島顕、本多健、一條優太】
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ナショナリズム論の出発

2014-03-26 15:25:47 | 読書
 浦和レッズのサポーターが「日本人以外お断り」を意味する英字の垂れ幕をはり、それを浦和レッズが試合が終わるまではずさなかったことから、サッカー協会から処分が下されたことは周知のことであろう。

 この件にみられるように、ナショナリズムの動きが各所で顕在化してきている。

 戦後に於けるナショナリズムの問題について、杉山光信「戦後ナショナリズム論の一側面」(『戦後日本の精神史』岩波書店、2001年)を読んだ。

 杉山は、「ナショナルなもの」が、「突如として、政治の前面にあらわれた」として、1985年軽井沢で開かれた自民党のセミナーでの、当時の中曽根康弘首相の講演をあげている。

 ボクも、新自由主義の動き(「国鉄改革」など)、日米関係の変質、その起点を中曽根内閣においているが、「ナショナルなもの」への着目はしてこなかった。中曽根はこの時期が「ひとつの転換期」であるとして、「すでに大国になっている日本が国際国家となり、大国らしい責任と役割を果たすこと、そのためにナショナル・アイデンティティを確立する」というような内容を話したらしい。

 そのために内閣総理大臣の権限を強化するという動き、これを「執政府政治」というようだが、その方向に動き始めた。「執政府政治」とは、「支持基盤たる階層や集団の利益のみを追いかけ、利益集団間の利害調整のみにあけくれしている議会政治や党内政治をこえる」ような「政治的リーダーシップの確立」ということになる。これが後の「政治改革」へと「発展」していき、現在の政治状況になる。

 制度的な問題はさておき、「ナショナルなもの」は政治の分野だけではなく、文芸評論などの方面にも、でてきたとし、その代表として江藤淳をあげる。江藤は、「民族の記憶」、「自分の物語」などを強調したらしい。らしい、というのは、ボクが江藤の本を読んでいないからだ。

 杉山は、その後、丸山真男の研究をもとにして、近世(山崎闇斎とその学派)、明治期のナショナルなものに言及した後、その「ナショナルなもの」の特質としての「国の特殊主義」をあげる。これは丸山が明らかにしたものだが、本来これは打破されるべきものであった。

 而して、戦後日本の「ナショナルなもの」は、どうしても「従属ナショナリズム」にしかなり得ない。その意味ではナショナル・アイデンティティの確立は困難を伴う、という。そして、日本でナショナル・クライシスが起きた時に出現してくるのは、「集団所属主義」であろうと予測する。そしてその「全体を統合する」強力なシンボルとして「天皇」をもってくる。

 しかし、この末尾、どうも自信がなさそうな書きぶりだ。途中まで順調にきたものは、急にここで失速する。

 しかし、丸山の研究についての言及は、とても参考になった。