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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

3月11日

2014-03-11 20:36:32 | 日記
 2011年の3月11日は、家にいた。地震が起きた時、2階で読書していたボクは、ゆったりとした横揺れに気づき、戸外に出た。隣家や向かいのオバサンもとびだしてきて、「地震だよねえ」と、あたりをみまわしたという記憶がある。

 その後しばらくしてテレビをつけたら、東北地方に大きな津波が押し寄せている場面に出会った。言葉もなく、ただ画面をみつめていた。

 恐ろしい映像は深夜まで続き、ほとんど言葉もなく、ただ目だけが画面を追っていた。悲惨な情景が示されているにもかかわらず、何も出来ない自分を感じた。被災者の方に申し訳なさを覚えながら、自然の猛威を見続けた。

 翌日、お金をおろして中日新聞東海本社に行った。義援金を渡すためだ。今はお金でしか援助できないことを恥じつつ、自転車のペダルを踏んだ。

 この東日本大震災で、被災者たちの人生は大きく変えられたが、ボクの心もすごい衝撃を受け、考え方は変化した。自由な時間ができたら、世界各地に行って・・・などと考えていたが、そういう考えはなくなった。今もそれは続いている。ボクの心は、3・11を引きずりながら今もある。

 そして原発事故。事故のその後・・・

 それらを見ていると、日本という国家は、やはり弱者を平気で見棄てるのだなということを強く感じている。大資本は、3・11に衝撃を受けるどころか、それを契機にしてどのようにカネを儲けようか・・・を考えてるような気がする。政府も、被災者の出現は、大資本にカネをまわすことが出来るチャンスだと思っているのだろう。

 被災者の生活は立て直されていないけれども、東北地方の道路建設など土木建設事業は果てしもなく続けられている。そちらの方が儲かるのだろう。

 福島の事故は決して収束せず、放射能はたれ流されている。そして原発再稼働の動きも消えていない。

 ボクは、福島か、あるいは他の地方の原発で再び大きな事故が起きるような気がしてならない。日本は失敗に学ばない。

 日本の支配層は、直近の利益しか見ない。先のことを考えずに、今・ここで・カネ儲けという施策で一貫している。その強固な方針を、ボクらは崩せないままにきてしまった。

 3・11というああいう大きな災害・事故を体験したにもかかわらず、である。

 

狙われる農業協同組合(その1)

2014-03-11 09:13:20 | 政治
 日本に於ける「構造改革」とは、新自由主義経済を徹底することだ。「規制」をなくして(「規制緩和」ということばがあるが、実際は「規制撤廃」である。労働基準法の諸規定なども企業にとっては「規制」である)、個人(労働者)や企業や農家や個人商店などを自由に競争させることである。学校でも学んだように、世界の資本主義経済は、自由競争を原理とする自由主義段階から、必ずその競争のなかから少数の大企業が生まれ出て、独占資本主義段階になる。

 現在、もちろんすでに独占的大企業が存在している。そのような経済段階で自由競争を繰り広げれば、独占的大企業が勝利するに決まっている。しかし、新自由主義経済とは、そうした独占的大企業が中小の企業を蹴散らし、あるいは従属化し、個人や個人営業を潰してさらなる覇権を掌握しようとする動きである。

 すでに商業の世界では、個人商店がほとんど消え(地方都市のシャッター街を見よ)、大企業の独占が進んだ。今度は金融や農業などにその攻撃の矛先は向けられている。

 まず郵便局が狙われた。郵便局は分割され、経営的に自立していたのに、郵便事業を行う会社の労働者は厳しいノルマと低賃金で、きわめて過酷な状態にある。

 今度は農業協同組合だ。やはり、である。もちろんその背景には、アメリカの独占的大企業の存在がある。TPPは、アメリカの独占的大企業が日本で自由に経済活動を行い、利益を吸い上げようとするものだ。安倍内閣の「世界でもっとも企業が活動しやすい国にする」というのは、日本をアメリカの独占的大資本の草刈り場にするものだ。

 さて『世界』の「「協同」の精神を失った農協改革であってはならない」(太田原高昭)を読んだ。そこにはアメリカの独占的大企業に日本の農業を譲り渡そうとする安倍政権の農業政策の基調が記されている。安倍政権は、以下のことをしようとしてる。

1 TPP交渉に参加し、国内農林水産業の存立そのものを危うくする道に突き進んだこと
2 農業の担い手を農家から企業へと転換しようとしてること
3 農協を弱体化する方向での制度改革を企んでいること

 安倍政権の下にある規制改革会議、産業競争力会議で、主流の方針になっているとのことだ。

2についていえば、アメリカの要請により、日本では農家への補助金はほとんどないに等しい。しかし欧米では、農業を維持し、食糧自給率を上昇させようと、手厚い保護政策がとられている。しかし日本にはそれはなく、農業だけでは生活することすら難しくさせられるなかで、離農が進んでいる。その結果、不耕作農地が増え、それでは困るからと言うことで、企業の農業への参入を進めているのだ。

 要するに、農家を農業だけでは生活できないようにする政策を推進することにより、そうした結果をつくりだしているのだ。

 日本国民は、社会や生活の変化を、それがたとえ(政策による)人為的なことであっても、その結果をあたかも自然現象のように受け止め、あきらめていく。その結果が、現在の格差社会である。(つづく)