2011年の3月11日は、家にいた。地震が起きた時、2階で読書していたボクは、ゆったりとした横揺れに気づき、戸外に出た。隣家や向かいのオバサンもとびだしてきて、「地震だよねえ」と、あたりをみまわしたという記憶がある。
その後しばらくしてテレビをつけたら、東北地方に大きな津波が押し寄せている場面に出会った。言葉もなく、ただ画面をみつめていた。
恐ろしい映像は深夜まで続き、ほとんど言葉もなく、ただ目だけが画面を追っていた。悲惨な情景が示されているにもかかわらず、何も出来ない自分を感じた。被災者の方に申し訳なさを覚えながら、自然の猛威を見続けた。
翌日、お金をおろして中日新聞東海本社に行った。義援金を渡すためだ。今はお金でしか援助できないことを恥じつつ、自転車のペダルを踏んだ。
この東日本大震災で、被災者たちの人生は大きく変えられたが、ボクの心もすごい衝撃を受け、考え方は変化した。自由な時間ができたら、世界各地に行って・・・などと考えていたが、そういう考えはなくなった。今もそれは続いている。ボクの心は、3・11を引きずりながら今もある。
そして原発事故。事故のその後・・・
それらを見ていると、日本という国家は、やはり弱者を平気で見棄てるのだなということを強く感じている。大資本は、3・11に衝撃を受けるどころか、それを契機にしてどのようにカネを儲けようか・・・を考えてるような気がする。政府も、被災者の出現は、大資本にカネをまわすことが出来るチャンスだと思っているのだろう。
被災者の生活は立て直されていないけれども、東北地方の道路建設など土木建設事業は果てしもなく続けられている。そちらの方が儲かるのだろう。
福島の事故は決して収束せず、放射能はたれ流されている。そして原発再稼働の動きも消えていない。
ボクは、福島か、あるいは他の地方の原発で再び大きな事故が起きるような気がしてならない。日本は失敗に学ばない。
日本の支配層は、直近の利益しか見ない。先のことを考えずに、今・ここで・カネ儲けという施策で一貫している。その強固な方針を、ボクらは崩せないままにきてしまった。
3・11というああいう大きな災害・事故を体験したにもかかわらず、である。
その後しばらくしてテレビをつけたら、東北地方に大きな津波が押し寄せている場面に出会った。言葉もなく、ただ画面をみつめていた。
恐ろしい映像は深夜まで続き、ほとんど言葉もなく、ただ目だけが画面を追っていた。悲惨な情景が示されているにもかかわらず、何も出来ない自分を感じた。被災者の方に申し訳なさを覚えながら、自然の猛威を見続けた。
翌日、お金をおろして中日新聞東海本社に行った。義援金を渡すためだ。今はお金でしか援助できないことを恥じつつ、自転車のペダルを踏んだ。
この東日本大震災で、被災者たちの人生は大きく変えられたが、ボクの心もすごい衝撃を受け、考え方は変化した。自由な時間ができたら、世界各地に行って・・・などと考えていたが、そういう考えはなくなった。今もそれは続いている。ボクの心は、3・11を引きずりながら今もある。
そして原発事故。事故のその後・・・
それらを見ていると、日本という国家は、やはり弱者を平気で見棄てるのだなということを強く感じている。大資本は、3・11に衝撃を受けるどころか、それを契機にしてどのようにカネを儲けようか・・・を考えてるような気がする。政府も、被災者の出現は、大資本にカネをまわすことが出来るチャンスだと思っているのだろう。
被災者の生活は立て直されていないけれども、東北地方の道路建設など土木建設事業は果てしもなく続けられている。そちらの方が儲かるのだろう。
福島の事故は決して収束せず、放射能はたれ流されている。そして原発再稼働の動きも消えていない。
ボクは、福島か、あるいは他の地方の原発で再び大きな事故が起きるような気がしてならない。日本は失敗に学ばない。
日本の支配層は、直近の利益しか見ない。先のことを考えずに、今・ここで・カネ儲けという施策で一貫している。その強固な方針を、ボクらは崩せないままにきてしまった。
3・11というああいう大きな災害・事故を体験したにもかかわらず、である。