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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】子安宣邦『近代知のアルケオロジー』(岩波書店)

2014-03-23 21:20:19 | 読書
 何ごとかを記すという行為は、それ以前に書く人間の思考過程を経ている。その思考の対象となる事物・事象をどう捉えるかは、その人間の主体性にかかっている。何ごとかを研究する、思考する、叙述するというとき、そこにはそれを行う主体の“眼差し”というものがある。その“眼差し”は、主体的であるが故に、他者のそれとまったく同一ということはありえない。

 一つの何ごとかを、別々の人間が研究し、思考し、叙述するとき、そこで記されたものは同一ではない。そこにそれぞれの主体性が関わってくるからだ。

 本書で、子安氏は、その“眼差し”を問う。まず俎上にあげられたのが柳田国男である。ボクは民俗学は、学問ではないと思っている一人である(確実にもう一人そう考えている人がいる。彼は町田市に住んでいる)が、柳田の民俗学が、「新国学」であり、「平民の生活」を調査することにより、「国民」を立ち上げようとする営みであることを指摘する。なぜか民俗学は歴史学より人気があるのだが、ボクは柳田の視線をどうのこうのという以前に、その方法のあまりに表面的であることに辟易したことがあるので、子安氏の内在的批判に賛同する。

 次に内藤湖南や津田左右吉による「支那学」が検討される。子安氏は彼らの学問に入り込んでいる中国を蔑視する、いわば「帝国意識」(子安氏はこのことばはつかってはいない)をえぐり出す。

 そして「国語」と「日本語」について、日本近代と日本帝国主義が生み出す齟齬を指摘し、戦時中の京都学派の「世界史的立場と日本」における議論をとりだし、その言説に竹内好を対置し、教科書検定や本多勝一の『中国の旅』などをもとに、「日本人の反省的な自己への視点」の欠如を指摘する。

 子安氏の本は、知的で刺激的ではあるが、くり返しの説明が多く、饒舌である。饒舌は苦手だ。

悪税が増税される(4)

2014-03-23 14:18:18 | 政治
 『週刊金曜日』が昨日土曜日に配達された。特集は「消費増税の悪夢」である。

 最初に経済作家・岩本沙弓さんのインタビュー記事があった。岩本さんは『アメリカは日本の消費税を許さない』(文春新書)を出したばかりだそうだ。

 その内容は、「米国にとって不利益となる消費税は歴史的な通商問題であり、米国はそのつど報復措置を講じてきた」とし、以下のような年表を掲げる

1989年 竹下内閣、消費税導入・・・アメリカ「日米構造協議」提案、実現へ。

1994年 村山内閣、消費税率を5%にすることを決定・・「年次改革要望書」スタート

2009年 鳩山内閣、消費税を4年間あげないと発表。・・「年次改革要望書」廃止

2010年 菅内閣、消費税増税を言明。・・日米経済調和対話開始。

 アメリカの日本経済への干渉は、日本が消費税を導入し、その税率をあげていくことに対する報復だというのだ。

 というのも、消費税とは・・・

 そもそも消費税は財政を再建するものでも、社会保障費を捻出するために考え出されたものでもありません。輸出企業の優遇策の一環として導入された税制であるというのは消費税の歴史を辿れば明らかなことです。

 日本の経済政策の基調は、輸出大企業への様々なかたちでの援助であり、貢献であることは周知の事実である。したがって消費税がその一環であるということは、十分納得がいくことだ。

 消費税を増税することで潤うのは、輸出企業である。

 消費税は、輸出大企業に莫大な恩恵を与える。「輸出還付金」という制度があるからだ。税務署からトヨタ自動車への還付金は、年間1800億円(2013年度)といわれる。輸出されるモノについては、消費税は納めなくてもよいということで、それまでに支払ったであろう消費税が返還されるのだ。

 たとえば、年間売上高が10億円の企業があるとする。そのうち、輸出販売高が5億円、国内販売高が5億円、年間の仕入高を8億円とすると、消費税は以下のような計算になる。輸出販売高には消費税は課されない。

 消費税は、{年間売上高の5%―年間仕入高の5%}という式で算出される。

   輸出分     国内分
 {(5億円×0)+(5億円×5%)}ー8億円×5%
  =2500万円ー4000万円=ー1500万円

  こうして1500万円が企業に還付されることになるのだ。

  つまり消費税は、輸出大企業への優遇策なのである。