参考資料>https://www.ayyoshi.com/%E7%8D%A3%E5%8C%BB%E7%B3%BB%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%96%B0%E8%A8%AD/
全体として、まあ頑張った力作だとは思いますが、正当性を立論するには、どうかなと思いますね。飾られた言葉なり、内容をよく知らない人向けには、効果があるのかもしれませんが、表現というのはいくらでも言いようがあります(例えば、トランスレーショナル)ので。
以下に、いくつかに論点を分けて述べます。
1)ヒトと動物との橋渡し的役割
まるで呪文のように強調されてきたのが、「ライフサイエンス分野」という言葉です。これは、石破4条件の時から概ね同じであり、特別の何かを連想させるカタカナ語のようですが、実際には何を言っているのかさっぱり分からない、というようなものです。
オレの理解で簡単に書くとすれば、人に関連する分野について、動物実験も利用してゆくから獣医学部が必要、ということらしいです。
人に関連する分野というのは、医学や薬学というもので、国家戦略特区諮問会議が言っていた「創薬プロセスにおけるライフサイエンス分野」というのも、そういう意味合いでしょう。
簡単に言えば、医薬品開発において、実験動物は使うから、獣医がやればいいかもね、というようなことかと。その構想自体は否定されないものであるとして、別に加計学園が今治市に存在することの正当化には繋がらないでしょう。
反論
ア)医学・薬学等隣接科学との連携を謳うのであれば尚更、医学・薬学部のある大学や農学・生物科学の講座を有する大学、殊に国公立等総合大学の拡充の方が有利であり、協同も連携も取れやすい。
イ)ライフサイエンス分野の研究を掲げるなら、学生教育よりも研究機関の充実が近道であり、実験動物を用いた研究は獣医学部に限ったものではなく、他既存大学や研究機関において実施されているので、新規性に乏しい。医学・薬学部の他、農学系や生物系の学部の人たち、或いは生体材料系(どちらかと言えば工学系、素材・物性系?)の人たちでも可能な動物を用いた研究はあるので、獣医学部に限定するべき理由がない。水産学部は相応の大学があるし。
そもそも、既存大学ですら、実験用のマウスやラットさえ購入資金がない、などといった状況であるのに、新設大学建設に多額の補助金を投入するくらいなら、既存研究者たちに実験費用を渡した方が効率的に研究できることだろう。
実験用動物の飼育にしても、専任を置くことすらできず、ウサギさんに餌やりとか飼育ケージ清掃とか、研究者が労力を割かれている現状の方が問題なのであって、獣医師を雇って研究できるようになればいい、みたいな夢物語を言う前に、解決すべき問題は山積しているだろうに。
足りないのは、獣医師でもなく獣医学部でもなく、研究費とポストを増やせる予算、研究促進の環境、である。既存の獣医師たちでさえ、研究がままならないのに、新規施設を増やせば即席で(科学的研究)成果が出せるものではない。
2)防疫、感染症対策や水際対策拠点
これまで鳥インフルエンザや口蹄疫等の対応は、既存の獣医学部・学科による養成を経た獣医師たちが担ってきたものであり、加計学園の掲げる獣医学がこれと大きく異なる学問領域の開拓とか能力獲得を意味するものではない。
感染症対策や公衆衛生的な実務として従前より活動をしてきたのは、
・農水省の出先機関
・都道府県の担当機関
・家畜保健衛生所
・動衛研
等であり、獣医学部・学科がゾーンディフェンス(by今治市&加計学園)の主体だったわけではない。
また、感染症対策を充実しようと思うなら、例えば家畜保健衛生所の能力増強(人員拡充、個々人の質的向上=職員研修・海外研修・留学等の機会増加策など)でも可能であり、今治市に獣医学部を新規設置すべき理由にはならない。
反論ウ)
感染防御の主体及び拠点は、都道府県や農水省出先機関、家畜保健衛生所、動衛研などであり、獣医学部・学科である必然性は乏しい。ゾーンディフェンスが大事なら、近隣県や自治体からの「応援・連携体制」(レスキューの広域応援体制のようなもの)を拡充等でも対応可能。
司令塔的拠点ならば、全国的にごく少数配置でも問題ないので、総合大学や主要研究機関等の医・薬の連携、人的資源の豊富な組織が担えばよく、今治市に獣医単独で配置すべき特段の理由がない。
3)優れた教育プログラム
これは、大学教育に関して具体的なことを殆ど知らないので、オレには何とも言えない(既存獣医学部の人たちには何か意見があるかも)。が、もしも獣医師の能力として必要不可欠であるなら、国家試験へと反映されるであろうし、その場合全国の大学にも適用拡大となるので加計学園独自のものとは言えなくなる。
他では教えていない付加的な能力という位置づけならば、大学の特色を示す部分なのかもしれないが、その為にだけ獣医学部の新設が必要というのは、疑問の余地はあるだろう。従前の教育を受けた獣医師たちに、全く教育機会がないというわけでもないからだ。代替可能な方法(例えば獣医学会?等での講演・講習・研修会の開催、必要知識の周知徹底、啓蒙機会の増大措置など)があるなら、新設大学を設置することなく知識を与える・啓蒙することができるので、費用の比較を行うべきであろう。
反論エ)特徴的な優れた教育プログラムがある、というだけでは、獣医学部の新設理由としては弱い。獣医師たちへの教育方法に代替手段があるなら、その比較検討が必要であろう。
今治市&加計学園提案の肝というのは、上記3点くらいに要約されると思われたので、それぞれについて反論を試みたものである。
益々、新規獣医学部を設置すべきである理由、というものが不透明になったように思われる。
必須なのは、現有戦力=獣医師、獣医学教育関係者、獣医学部・学科の既存大学、関係する役所、等々の整備・拡充の優先であり、それも不十分であるのに、「新兵を投入すれば良くなる」というような幻想を抱いているようにしか思われない。
新兵なり画期的な新兵器を投入すれば解決できるかのような物言いが、根本的に信じ難いのである。そう都合よく「画期的な新兵器」なんぞ、簡単には開発などできるわけがないのだよ。