『日本未来の党』が作られた時、ちょっと寂しい思いをしたけれども、今回の結果も同じく残念な思いがあった。
本当は、『生活』のまま(名前がちょっと違和感あったけど…でも慣れたよ)戦って欲しかったが、選挙対策という面もあったので未来の党としての戦いに賭けた。やはり、小選挙区の戦いは難しい面があるとは思う。
それでも、旧生活の議員さんたちをはじめ、各候補者たちはよく戦った。
たとえどんなに卑怯な手を用いられようと、どれほど不利な立場に置かれようと、敗戦は、敗戦だ。結果は、結果だ。敵は、圧倒的に強大だった、ということ。それが今回の戦いの中で学べたことだ。
勿論、落選された方々は辛いだろうと思う。残念だ。これはその通りです。
けれども、大勢の生活党議員さんたちが犠牲になられたことによって、逆に覚醒した国民は増えてきたかもしれないし、戦う意思を共有した人たちは、前よりも増えたんじゃないだろうか、とも思えませんか?
大敗北を喫した、これは、選挙前後での議席数を見れば一目瞭然であり、事実です。けれども、そのお陰(お陰というのも変かもしれませんが)で、「おかしい」と言って戦いを継続しなければならないと考える人は、ひょっとしたら増えたのではないのかな、とも思えるのです。
かつてならば、こういうことを言うだけで「陰謀論者だ」「小沢信者だ」と言って、簡単に片付けられていたかもしれませんが、今では普通の人たちの中にも「おかしいのではないか」という認識が芽生えつつある、ということなのでは。
そうした一端が、マスコミ不信という形で現れてきて、続いて不当な弾圧や権力濫用などに対して「おかしい」と感じる人が出てきているんじゃないか、ということです。
これは、戦う主体が「自分でなければならない」「国民ひとり一人でなければならない」という、民主主義の根っこの部分に到達してきた人々が増えてきたのではないか、ということです。これを恐れるに至った結果が、今回選挙の疑惑に走らせたのではないか、ということです。恐れなければ、何も色んな手を使う必要がないから、です。
映画なんかでも、主人公の邪魔をしたり、あくどい手を使ってきたり、汚い手段に訴えたりというのは、悪者側でしょう?ああいうのと、行動パターンは、同じなんだ、ということです。人間の行動なんて、案外と似ているものだ、ということなんです。
今回の敗戦は、大きな犠牲を伴いました。
けれど、ここから得られたものも、実は多かったのではないか、ということです。
ここで結束を固められれば、次も、またその次も、戦いを継続できるはずです。意気消沈してしまっては、犠牲が無駄になってしまいます。敗れた方々の為にも、次を目指して戦い続けましょう。
誰かが斃れても、他の誰かが戦い続ける、そうした意志の継承こそが、今回選挙で得られた成果ではないでしょうか。それが証拠に、森ゆうこ議員が代表に就いたではありませんか。戦う者たちが継承されてゆくというのは、一番大事なことなのです。
いずれ小沢さんが表舞台に戻ってくることがあるかもしれませんが、それは小沢さんの考えによるものだろうと思います。
名を残すのは、末代です。
何十年後か、何百年後か分かりませんが、日本の為に戦ったんだ、という人々がいるなら、その名は刻まれるはずです。逆に、籠絡されたり、買収に応じたりという、目先の成果に靡く者たちには、不名誉だけは残るでしょう。
この逆境を跳ね返すべく、行動しましょう。
戦いを止めない、というのも、勇気ある尊いことです。ピンチだからこそ、力を合わせて頑張りましょう。
今年は、大変お世話になりました。
来年は、いい年となりますように、ご祈念申し上げます。
ありがとうございました。
本当は、『生活』のまま(名前がちょっと違和感あったけど…でも慣れたよ)戦って欲しかったが、選挙対策という面もあったので未来の党としての戦いに賭けた。やはり、小選挙区の戦いは難しい面があるとは思う。
それでも、旧生活の議員さんたちをはじめ、各候補者たちはよく戦った。
たとえどんなに卑怯な手を用いられようと、どれほど不利な立場に置かれようと、敗戦は、敗戦だ。結果は、結果だ。敵は、圧倒的に強大だった、ということ。それが今回の戦いの中で学べたことだ。
勿論、落選された方々は辛いだろうと思う。残念だ。これはその通りです。
けれども、大勢の生活党議員さんたちが犠牲になられたことによって、逆に覚醒した国民は増えてきたかもしれないし、戦う意思を共有した人たちは、前よりも増えたんじゃないだろうか、とも思えませんか?
大敗北を喫した、これは、選挙前後での議席数を見れば一目瞭然であり、事実です。けれども、そのお陰(お陰というのも変かもしれませんが)で、「おかしい」と言って戦いを継続しなければならないと考える人は、ひょっとしたら増えたのではないのかな、とも思えるのです。
かつてならば、こういうことを言うだけで「陰謀論者だ」「小沢信者だ」と言って、簡単に片付けられていたかもしれませんが、今では普通の人たちの中にも「おかしいのではないか」という認識が芽生えつつある、ということなのでは。
そうした一端が、マスコミ不信という形で現れてきて、続いて不当な弾圧や権力濫用などに対して「おかしい」と感じる人が出てきているんじゃないか、ということです。
これは、戦う主体が「自分でなければならない」「国民ひとり一人でなければならない」という、民主主義の根っこの部分に到達してきた人々が増えてきたのではないか、ということです。これを恐れるに至った結果が、今回選挙の疑惑に走らせたのではないか、ということです。恐れなければ、何も色んな手を使う必要がないから、です。
映画なんかでも、主人公の邪魔をしたり、あくどい手を使ってきたり、汚い手段に訴えたりというのは、悪者側でしょう?ああいうのと、行動パターンは、同じなんだ、ということです。人間の行動なんて、案外と似ているものだ、ということなんです。
今回の敗戦は、大きな犠牲を伴いました。
けれど、ここから得られたものも、実は多かったのではないか、ということです。
ここで結束を固められれば、次も、またその次も、戦いを継続できるはずです。意気消沈してしまっては、犠牲が無駄になってしまいます。敗れた方々の為にも、次を目指して戦い続けましょう。
誰かが斃れても、他の誰かが戦い続ける、そうした意志の継承こそが、今回選挙で得られた成果ではないでしょうか。それが証拠に、森ゆうこ議員が代表に就いたではありませんか。戦う者たちが継承されてゆくというのは、一番大事なことなのです。
いずれ小沢さんが表舞台に戻ってくることがあるかもしれませんが、それは小沢さんの考えによるものだろうと思います。
名を残すのは、末代です。
何十年後か、何百年後か分かりませんが、日本の為に戦ったんだ、という人々がいるなら、その名は刻まれるはずです。逆に、籠絡されたり、買収に応じたりという、目先の成果に靡く者たちには、不名誉だけは残るでしょう。
この逆境を跳ね返すべく、行動しましょう。
戦いを止めない、というのも、勇気ある尊いことです。ピンチだからこそ、力を合わせて頑張りましょう。
今年は、大変お世話になりました。
来年は、いい年となりますように、ご祈念申し上げます。
ありがとうございました。