浜菊会のブログ

半泣き老狼団。一道民が生き抜く為の記録。

『日本未来の党』に統一

2012-11-27 19:36:15 | 応援団
勢力糾合が進んだ模様。


生活を解党し、嘉田知事が代表の『日本未来の党』に合流ということのようだ。


ここは、日本の危機を救うべく、原発問題もそうだし、TPP阻止の為にも、勢力を結集しなければならない。


社民の協力は当然としても、共産党の「唯我独尊」状態はどうにかならないものなのか。


合流した勢力には、是非とも頑張ってほしい。
何としても、TPPを阻止し、原発問題に真剣に取り組んでもらいたい。


ああ、早々に「生活」党員となった自分としては、これからは埋没する方向に行くよ。


タイトル変更をしなけりゃね(笑)。



TPP参加に誘導する毎日新聞社説

2012-11-24 18:32:36 | 政治
大手新聞の社説というのは、本当に気味が悪いくらいに一致しているのだ。讀賣新聞の社説もそうだったが、毎日新聞社説も同じというのは、どうも変だ。


因みに、讀賣新聞社説のタイトルは「TPPテコに日本が主導せよ」で、『日本はまず、TPPへの早期参加を急ぐべきだ』と毎日新聞と同じことを言っているのである。まさしく、消費税増税の時と同じ、大政翼賛的政治のマスコミ煽動工作ということであろうか。



>http://mainichi.jp/opinion/news/20121124k0000m070115000c.html



社説:衆院選・TPP アジア戦略に不可欠だ

毎日新聞 2012年11月24日 02時30分


 総選挙で各党とも経済再生を訴えている。そのためには世界の成長センターであるアジア太平洋地域の活力を取り込む。ここまでは、あまり異論はないと思われる。

 違うのはその方法だ。私たちは環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に参加し、アジア太平洋地域の貿易・投資ルールを日本に有利なものにしていく必要があると考える。来年が交渉の正念場である。交渉参加は早ければ早いほどよい。

 しかし、各党の姿勢は必ずしも前向きなものばかりでない。みんなの党と日本維新の会は賛成が明快だ。民主党も賛成一色ではないにしても野田佳彦首相は「TPP推進」を公認の条件にすると言っている。

 自民党は選挙公約で「聖域なき関税撤廃」なら参加反対だという。安倍晋三総裁は前向きともとれる発言をしているが、公約は後ろ向きの印象を与える。公明党も賛否こもごものようである。これ以外の政党は反対であるか、警戒的な主張のように思われる。


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毎日新聞の主張というのも、読売と同じく参加せよ、ということだ。参加するのが当然という考えであると表明されているわけである。かつての毎日新聞の”報道魂”はどこに行ったのか。報道姿勢というのは、こんなに簡単にひっくり返されるということなのか。人間、やはり背に腹は代えられない、ということなのか。情けない限りだ。


読売新聞の社説では、13日に『「TPP解散」首相は参加の旗を掲げよ』と選挙の争点としてTPPを一押しにしているわけだ。選挙の争点が見えない、とかテレビで言わせておいて、本当は当初からTPPで色分けをしようと算段していた、ということだろう。
兎に角、13日時点では、日米首脳会談での「参加表明」を強力に後押しした(しかし、野田総理は、明確に参加とは言わなかったが)。

これが公認申請の党の方針というのでTPP参加が既定路線となった。鳩山由紀夫が引退に追い込まれた。しかし、その後、どうも国民受けが悪そうだ、ということで、明確な「参加」はトーンダウンし、閣僚の発言などで「打ち消した」ように見せかけたわけだ。どっちつかずで、国民の目を誤魔化せ、と言われたものであろう。


ただ、読売新聞の社説では、21日にも『日米首脳会談 TPP参加へ環境整備急げ』としつこく参加を求めており、そして、今日24日の社説でも再度参加だ、と念押しである。おまけに、ここ最近はマスコミの論調をTPP参加だ、という方向付けを行いたくて、テレビ朝日なんかも動員して参加だ、とやってきたわけだ。

毎日新聞も今日取り上げたということには、何かワケがあるのであろうか?
騙すつもりなのではないかな、という危惧があるわけである。


つい昨日、こんな記事を見かけたわけである。ツイートしたのに、ツイート3件の中に、浜菊会の表示が全く存在していないわけですが。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/dd2216c456393223ea045c59b3c0810a


偶然ですが、昨日の今日ですから。
本日は、TPP参加のキャンペーン強化の日だったのでしょうか?


新聞社にも色んな事情というものがあると思いますが、とてつもなく怪しいと言わねばなりません。


日本国民が選挙で相手にしているのは、こうした大手メディアの背後にあるもの、ということです。


ですから、選挙では「生活」に何としても勝利してもらわねばなりません。





生産性向上と労働力の余剰

2012-11-19 09:32:30 | 経済
こちらの記事を読んだので、感想を。

>http://ameblo.jp/englandyy/entry-11392681740.html


とてもシンプルな例でGDP増大とか貨幣増大といったことが、個人の具体的な「幸せ」に繋がるものなのか、という疑問を呈しているのではないかと思います。これは一理あるように思いますが、よくよく考えてみると、少し違った面も見えてくるのではないかな、と思います。

記事中の例では、農家と漁師がそれぞれ1人で物々交換でも経済が成立してしまう状態となっています。これがちょっと理解を難しくしているかもしれない、と思います。


そこで、具体例をもう少し広げて、農家を10人、漁師を10人とします。
農業では米だけを収穫しており、1人当たり生産量を10とします。すると、10人全員では100の生産量が得られます。漁師も1人当たり漁獲量を10として、農家の米と交換取引しているものとします。

人数が増えただけで、最初の1人ずつの例と何が異なるのか、という疑問をもたれるかもしれません。ここで、生産性の向上が何をもたらすのか、ということを説明したいと思います。

記事中で指摘されていたような点を考慮して、各個人の食べられる量が限定的であるので、決まった量だけ米を生産できればいい、ということで最初は考えてみましょう。

生産性の向上とは、具体的には1人が生産できる量が増加する、ということです。米の生産量が1人10だったものが、11になり、12になり、ということで同じ労働力の投入(1人の生産者が行う仕事)で生産量が増えることになります。それは、稲刈り技術が向上したのでもよいし、脱穀方法の改良でもいいし、土壌改良の向上、堆肥の発明、等々、色々なことがあるかと思います。これらが、ある種のイノベーションであり、生産能力の向上をもたらします。

すると、同じ100の量を生産するのであれば、労働力が余る、ということになります。例えば、1人当たり生産量が10から20に向上してしまう(=生産性向上)と、10人の労働で生産できていたものが、5人でも行えるようになってしまうのです。すると、他の5人はどうすればよいのか?
これが失業という問題を生むことになるのです。

生産性向上を達成し続けると、GDPが一定(この場合は生産量が100のまま、ということ)であっても、人数が必ず余ることになるのです。その場合、残った5人は食べて行かねばなりませんが、どうしたらよいか、ということです。20の生産を行える人は、自分の取り分(収入)を減らして10を他の「働いていない人に分け与える」か、自分の仕事を半分に減らして10人平等に「仕事を分ける」か、というようなことを考えねばならないということです。

GDPが一定というような場合、この問題を抱えてしまうことになるのです。余った時間を他に使えばいい、というのはその通りです。これまで10人で作業していたものが、1人で100の生産量が得られるようになると、残り9人は他の何かをやって食べていく何かを生み出す必要があるのです。そこで、米以外のものを生産することや、歌をうたって稼ぐとか、そういう他のことが必要になる、ということです。失業問題を乗り越えるには、誰かに分配することや常に「他の何かを生み出す」ということが必要になります。


余った時間を過ごすにも、何もしないでは難しい(寝るのが好きな人は寝てるだけでもいいかもしれないが)ので、本を読むなら本を作る人が必要だし、どこかに出かけるなら交通手段や泊まる場所や食糧調達方法や…そういうモロモロが必要になります。そうした「何か」を生んできた結果が、経済の発達であり、GDPの拡大となってきました。


基本的には、生産性向上が達成されると、それは他の誰かから仕事を失わせるということをもたらすものである、ということだと思います。それが失業問題を招き、余った時間を持て余す「遊び人」的労働力過剰を生むかもしれない。それを乗り越えるには、「やること」を見つけ生み出すことが必要でしょう。経済規模拡大は、その結果起こるものではないでしょうか。



拒否権選挙~国民の戦う意思、NOを示そう

2012-11-17 13:15:54 | 政治
金満大政党に勝つ唯一の方法は、みなさんが投票に行くことです。選挙にも、政治にも金がかかる、それは確かにそうなのかもしれません。けれども、金持ちが常に勝つような選挙が本当にいいとは思えません。多額の献金がものをいう、というような政治に、真正面から対決せねばなりません。

どうせ何も変わらない、結局は金と力のある人間が勝つんだ、という諦めこそが、一般庶民の敗北を決定付けるものなのです。そうではありません。誰もが最強の武器を手にしています。それが、”1票”なのです。「何も変わらない1票」ではありません。「何かを変える1票」です。

千里の道も一歩から、ではありませんが、まさしく「与党への道も1票から」です。国民の希望や政策を実現させるのは、あなたの1票です。どうせやってもダメだから、と投げやりになれば、その考えこそが敗北をもたらします。

宝くじだって、買わなければ永久に当たりません。まずは、買うことから、です。勝負に持ち込むのは、舞台にまず上がる必要があります。舞台に上がらねば、戦いの権利さえ得られないのですから。だから、投票しましょう。たとえダメかもしれなくとも、諦めずに1票を投じましょう。


投票先を決めるのに、もし迷ったら、自分の意見に合う最適な候補者が見つけられなかったら、「これだけは絶対に譲れない」という点だけ見て下さい。これは許せない、絶対にNO、そういう自分の中で大事にしたい点の順番を決めるのです。そして優先順位の高い方から「NOの人」を外して、順次「ふるい落とす」のです。


積極的な賛成とか、自らが好きな候補者ではないとしても、何を重視したいかによって決めることが可能となります。自分が望む最適な議員ではないかもしれませんが、近い人を選ぶことになります。


もしも投票しなければ、「許せない部分」を誰かが勝手に決めてしまうことに自分が加担することになってしまいます。それだけは何としても避けなければなりません。YESの声が難しければ、NOの声を届けるのです。イヤなものははっきりイヤ!と言いましょう。それが政治を変えるのです。

これを実現して欲しい、そういう政党の約束が当てにならないなら、これだけは止めて欲しい、それを投票行動で示すのです。国民には何の力がなかったにも関わらず、原発再稼働反対の大きなうねりは、大飯原発以外の稼働を阻止できました。これこそが、「NOと言おう」という行動の結果です。


権力を持つ側は圧倒的に有利なので、国民への配慮をしなくてもいいと思えば、どんなことだって押し通すことができるのです。それが野田政権のやった暴挙の数々です。これを押し止めるには、相当強く「イヤ」と言わねば止まりません。少しくらいダメと言ってみたって、止めようとしない、それが行政権力なのです。


まるで暴れる悪ガキのようなものです。優しく注意したくらいでは、悪戯を全く止めないということです。もっと厳しく、強く「ダメ」と言わないと、暴れるのを止めないのです。ですから、今度の選挙では「イヤ」という声、ダメなものはダメという意思、これをはっきりと示すべきです。


国民の投票権は、選び出すだけではありません。拒否できる権限があるのです。許せない政党は、拒否しましょう。政権に相応しくない政党には入れず、他に入れること、これが国民の拒否権発動なのです。好きな政党に入れるのではありません。ダメな政党の対立側に入れること、これが拒否権になるのです。



唯一国民主体の政党、「生活」が民自公の談合政治を打破する

2012-11-15 19:17:30 | 応援団
野田政権と、自公の結託はここに極まれり。

違法選挙を行うべく、この年の瀬にドサクサ紛れ解散をやって、大勢の国民を騙そうという魂胆である。



しかも、投票に行くのがとても辛い時期であり、多くの人たちは書き入れ時で必死に働いていることだろう。

そんな中、投票させようというのが民自公の極悪な作戦なのである。


良識は欠けているが、悪知恵だけは一丁前と来てる。



本当に性根の腐った連中というのは、こういう汚い手法だけは考えつくものなのだ。

許すまじ。


国民の怒りを、野田民主と安倍自民(+公明)に教えてやるのだ。


政権交替が可能な2大政党、これは露と消えた。
全国の小選挙区で、民自公が相乗りの『一択』になってしまっているのだ。

選びようがない。
彼奴等は結託して、TPPも消費増税も原発も推進しようとしているからだ。


このような暴虐から、国民を守ることができる政党は「生活」だ。


民自公の談合を打ち破らねばならない。