空間線量って、あくまで平均なので、中印の高線量地域みたいな所だと、偏りが比較的小さいかもしれない。ある区域には「弾丸が0.005発/毎時の頻度で飛んでいます」みたいな話がある時、「0.005発の弾丸が直撃しても人は死なない」(いや、適当だから分からんけど)という意見が出る、と。
散弾銃みたいに、小粒の弾丸が一定空間内に存在する率が、0.005発分しかないと、エネルギーも小さいから。なので、体内に貫通するかどうかも判らない、みたいな。けど、これはその区域の空間での平均だから、現実に全ての空間に0.005発ずつ分布しているわけではないかもしれない。
現実には、どこかに1発の形で飛んでいると、多くの人たちは当たったりしないけど、運悪く1発の直撃弾を食らってしまう人は出てくるかもしれない、と。そういう分布の偏りがあると、弾丸直撃で死亡する人が出てくることになる。原発事故後だと、喩えて言えば激戦地の最前線みたいな場所ができる。
どの空間にも均等に0.005発ずつ存在しているのではなく、ある激戦地の最前線では機関銃でバンバン撃っていて、遠くの人たちは当たらない。運悪く弾幕の中を通過してしまったりすると、撃たれる確率は高まる。地上高50cm空間は1.5mよりも弾丸がより激しく飛び交うなら、かがむと死に易い。
こうした激戦地も、何の戦闘もない空間も平均すると、0.005発/hで弾丸が飛んでいます、気をつけてね、ということだと、運が悪ければ死んじゃいますよね。目に見える戦闘とかなら、避けるように逃げたりできますが、放射性物質は見えないので困るわけです。滅多に当たらないが、弾丸は飛んでる
なので、空間線量で今はこれだけ、とかいう話は、時間経過にもよると思う。平均というのは、平均でしかなく、落雷で死ぬ人は存在するのと似ている。長期間経過すると、弾丸が1発の形状でなく、バラバラに砕けたりして、空間に存在する確率はより平坦化され、1粒の大きさも均等化に向かうのかなと。
でも、原発事故直後であると、激戦地とそうでない区域とで、大きな差があるだろうし、均等化されるまでには長期間かかるだろう、と思う。空間線量がいくらだから被害はない、とは安易に言うことはできないように思う。大人は22口径で死ぬ可能性は低くても、子供なら死ぬ確率は高くなるだろう。
「低線量被曝で鼻血は出ない」だから鼻血はデマだ、と強硬に決め付けてる人たちは、低線量被曝というのが、全部の空間に均等に弾丸が0.005発/hで存在しているなら、という前提を絶対的なものとして考えているとしか思えないのだよ。本当にそうなの?1発分の塊は存在しないと?必ず発見できる?
「低線量」という言葉でぼやけてしまうことを利用しているかのよう。それに、血管内皮細胞1個~数個のレベルから見れば、非常に小粒の散弾銃の1粒であってでさえ、死活問題になるレベルのエネルギーではないのかな。人間に当たっても蚊に刺された程度かもしれないが、細胞から見れば死ぬレベルでは?
一度鼻血が出た箇所は、修復されるまで微小な炎症巣となるだろうから、そこからの再出血というのが、放射性物質の影響で絶対に起こらないと言えるのだろうか?その確固たる自信の根拠って何だ?一度ならず2度、3度となれば、異常や不安を覚える人たちがいて「鼻血が出た」と証言したとしたら?
愁訴の種々の可能性について全く考慮することなく、「鼻血はデマ」で切り捨てる態度は、本当に科学的なのか?「鼻血が出た」を字面通りにしか採用せず、「放射線で鼻血が出た」という図式を構築することが妥当なのか?鼻血が出たの裏にある「過去の経験に照らして」異常に感じた、という意味を無視か?
「鼻血はデマ」派の人たちというのは、要するに、自分たちで紋切り型のスローガンみたいなのを創造し、定義を構築して、糾弾することに専念してきたということなのかもしれない。反論記事はこれです>blog.goo.ne.jp/hamagikukai/e/…
そんなに邪魔したいのですかな。発言を阻止できないと悟ると、入力操作の邪魔だけやってくるってのも、情けないね。日本語が誤字脱字でおかしい、というのは、時々あるけど、特定の時点でのものって、何か所も発生してるのは、それなりの理由があるわけ。まあ元から日本語がヘンだから別にいいけど。
焚き火ってしたことあります?あれも、生木だとあんまり燃えなくて、よく乾燥した木じゃないと大変なんですよね。で、火のそばにいると、バシンって爆ぜる時ありますよね?火の粉の小さいヤツが飛んでくるんだわ。皮膚に付くともの凄く熱い。そういうパーンみたいに飛び散る時、近くにいると危ないわけ
焚き火からの距離が遠くなれば火の粉が滅多に飛んでこない。猛烈に熱い火の玉みたいなのが飛んできて、ナイロン製ズボンに穴が開くこともない。でも、焚き火の隣にいると、そういう被害を受ける可能性は高くなるわけです。同じ程度の焚き火でも、距離で被害の確率は違う、ということでしょうね。
じゃあ、これが焚き火ではなく、放射性物質だったら?栗のトゲトゲをイメージしてみると、まんまるの球体だとして、1センチ角の紙を刺すという想定をします。中心からの距離が遠いと、1センチ角の紙を貫通する棘の数は少なく、近いと数が多くなるでしょう?その突き刺さった棘が放射線のイメージ。
鼻血の報道を発見。リンクは残っていないので、これで代用>asyura2.com/14/genpatu37/m…
6歳女児:4月下旬~3w鼻血、1wは両側から
2歳男児:4~5月頃、鼻血
当時の郡山、3月に8.26μSv/h、5月1.3μSv/h程度、植込み付近などでは2.3μSv/h
郡山市内で3月水準だと、年72mSv相当もあった、と。その後も約11.4mSv/年くらいはあったそうなので、単純平均はできないが、25mSv/年くらいは超えていたであろうことは、想像に難くない。これが、例えば10歳以下の子供たちにどういうリスクをもたらしたか、ということだね。
これは、低線量被曝という水準なのか?文科省は外遊び規制水準を、3.8μSv/hと言っていたそうなので、これが科学ですってヤツか。へえー、そうなんだ。今度、日本全国の菊池誠みたいな学者と、低線量被曝は全く問題ないっていう人たちを集めて、調査してほしいな。無害だから全然平気だよね?
安全だ、問題ない、って豪語してる連中は、みんな「自分が毒見役はしない」ってことで、他人の体やよその家の子供たちを、実験台にしているようなものではないですか。そもそも、被曝は全く害はありません、健康被害は出ない、って言ってる人たちは、疫学調査のボランティアとして実験して欲しい。
だって平気だろ?なら、拒否するわけないよね?全国で大丈夫だっていう強者たちを募って、全員に24時間放射性物質をお守りとして首からぶら下げてもらえばいい。それとも、外せない首輪か何かでもやればいいのだ。ああ、そうか、皮下にカプセル化して埋め込めばいいんだ。永久線源でガン退治だね!
そうやって、実際に疫学調査を実施してもらえばいいんだよ。だって、菊池誠以外にも、東大の玉井とか、東電・関電・九電の職員全員と家族全部とか、「安全です」って言う人達が大勢いるでしょう?放医研の人も経産省もエネ庁も、実験台になれる人たちは揃うはずだ。あとは研究デザインだけだね?
そうしたら、実際にガンなんて増えないではないか、東電の責任なんかないよ、ということを、あなた方が自ら実証できるんですよ?これを何故しないんです?そのような実験は、倫理的に不可能ですかね?
放医研の人ならやってくれますよ、きっと。100mSv/年以下なら、体にいいかもよ?(笑
大丈夫だ、心配ない、考えてもガンになる時はなる、ということで、実際に実験をやって下さい。そうしたら、誰もが安心し納得できることでしょう。戦争法案も同じ。戦闘に巻き込まれない安全な場所で命令するだけの人は、口だけなら何とでも言える。自分が撃たれる立場にいないから、だ。