放射線漏れはおかしかったですね。放射能漏れに訂正。
J-Parcの成り立ちについて一言。KEKと旧原研は別々の加速器計画を持っていました。そのままではどちらも予算が付かないだろう、ということで統合した計画に練り直したものです。一方、お役所の側では旧文部省と旧科学技術庁の統合が決定され、その象徴として文部省のKEKと科技庁の原研が協力するJ-Parcに予算を付けることになったというのが経緯です。
J-Parc建設に携わっていた時は、実験施設ではなく加速器制御の仕事をやっていました。KEKと原研の文化の違いを痛切に実感しました。原研文化の下ではなかなか気持ちよく仕事はできない。
制御の立場から言うと、個々の機器の状況をミリ秒単位で記録しており、事故の発端になったような誤動作が発生した場合には、いつどの機器がおかしかったのかを把握できる仕組みが組み込まれています。変な例えですが、防犯カメラがいたる所に取り付けられていて、事有る時は過去を振り返ることが可能である、ということです。ただし、制御する機器の数は膨大なので、全部を記録してあったかどうかは知りません。
放射線警報が発生した時に、その情報がうまく利用されたのかどうか・・・知りたい事のひとつです。加速器を動かすことが第一プライオリティですから、事有るときに「瞬時に」不良機器を特定する仕組みを組み込むのは後回しになってしまうのが通常です。時間をかければ特定することは簡単ですけど。
次に、東日本大震災(前記事では東北大震災と間違えて入力してますね)の影響について。
実験物理屋にとって、実験してデータを得られないことには話しになりません。復旧は予想以上に急ピッチで進んだものの、大震災のために実験ができない期間が長期に渡りました。従って、多少の問題があっても実験を続けたいという実験チームの強い要望があったと想像されます。特に、博士号を取得しようという学生さんにとっては切実です。実は、大震災直後に、そのような学生を優先的に受け入れてくれるというオファーが主にヨーロッパの研究所からあったようです。残念ながら、そのオファーを受け入れた学生さんの話は聞いていません。(私が聞いていないだけ、だと嬉しいのですが・・・)
もうひとつは、放射線の問題です。我々はかなり厳しい放射線管理のもとで実験を行ってきたわけです。原発事故の後では、例えば原発から離れている福島市でさえ市の東側地域の放射線レベルは管理区域に指定しなければいけないレベルでした。本来ならば「兜の緒を締める」べきなのですが、我々の意識の中に「今までの厳しい管理はいったい何だったんだ!」という思いが生まれていたのは確かだと思います。
また長くなるので、続きは次の機会に・・・
J-Parcの成り立ちについて一言。KEKと旧原研は別々の加速器計画を持っていました。そのままではどちらも予算が付かないだろう、ということで統合した計画に練り直したものです。一方、お役所の側では旧文部省と旧科学技術庁の統合が決定され、その象徴として文部省のKEKと科技庁の原研が協力するJ-Parcに予算を付けることになったというのが経緯です。
J-Parc建設に携わっていた時は、実験施設ではなく加速器制御の仕事をやっていました。KEKと原研の文化の違いを痛切に実感しました。原研文化の下ではなかなか気持ちよく仕事はできない。
制御の立場から言うと、個々の機器の状況をミリ秒単位で記録しており、事故の発端になったような誤動作が発生した場合には、いつどの機器がおかしかったのかを把握できる仕組みが組み込まれています。変な例えですが、防犯カメラがいたる所に取り付けられていて、事有る時は過去を振り返ることが可能である、ということです。ただし、制御する機器の数は膨大なので、全部を記録してあったかどうかは知りません。
放射線警報が発生した時に、その情報がうまく利用されたのかどうか・・・知りたい事のひとつです。加速器を動かすことが第一プライオリティですから、事有るときに「瞬時に」不良機器を特定する仕組みを組み込むのは後回しになってしまうのが通常です。時間をかければ特定することは簡単ですけど。
次に、東日本大震災(前記事では東北大震災と間違えて入力してますね)の影響について。
実験物理屋にとって、実験してデータを得られないことには話しになりません。復旧は予想以上に急ピッチで進んだものの、大震災のために実験ができない期間が長期に渡りました。従って、多少の問題があっても実験を続けたいという実験チームの強い要望があったと想像されます。特に、博士号を取得しようという学生さんにとっては切実です。実は、大震災直後に、そのような学生を優先的に受け入れてくれるというオファーが主にヨーロッパの研究所からあったようです。残念ながら、そのオファーを受け入れた学生さんの話は聞いていません。(私が聞いていないだけ、だと嬉しいのですが・・・)
もうひとつは、放射線の問題です。我々はかなり厳しい放射線管理のもとで実験を行ってきたわけです。原発事故の後では、例えば原発から離れている福島市でさえ市の東側地域の放射線レベルは管理区域に指定しなければいけないレベルでした。本来ならば「兜の緒を締める」べきなのですが、我々の意識の中に「今までの厳しい管理はいったい何だったんだ!」という思いが生まれていたのは確かだと思います。
また長くなるので、続きは次の機会に・・・
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