白亜45会HP管理人

白亜(白堊)45会は、岩手県立盛岡第一高等学校昭和45年卒業の同期会です。

電子計算機

2015年09月07日 23時19分53秒 | 電脳
久し振りの電脳カテゴリー。

ウチの研究室の計算サーバがここ1か月くらいの間に突然死んでしまうことが数回起こってます。6年ほど前に購入したものなので、そろそろ買い換えようと考えてました、今朝、研究室に行ったらピーピーと警告音が鳴ってます。原因は本体ではなく大容量のRAIDディスク。ディスクコントローラは古いために輸入業者はもう扱っていないとのこと!アマゾンで見つけたので発注しました。アマゾンからは注文確認のメールが届いていますが、業者からの返信はまだありません。ホントにあるんだろうな?

一方、授業期間に入る前の充電のために、同年生まれの方の若いころの社会、芸能、政治などのお話を読んでいました。

ふと、若いころに使っていたコンピュータのことが頭をよぎりました。ネットは便利で、忘れていた名前を見つけて嬉しくなったりしています。

昔は電子計算機と呼ばれてました。パンチカードを計算機センターに持っていく。当時のアメリカの話を訳したものを見つけたのでリンク(パンチカード時代の・・・)しておきます。

本郷に進学した年に、教育用計算機センターが物理学科と同じ建物内にできてMELCOM Sigma7というメインフレームが導入されました。パンチカードを使うのは同じですが、カードリーダーとプリンターが置いてあり自分で処理します。相当に効率が良くなりました。

それ以外にも、物理学科と数学科で共同でFACOM 270/30という中型機もありました。やはりパンチカード方式ですが、主にLISPという言語が使用されてました。因数分解を人間様と計算機でどっちが早く解けるか、などと遊んでました。

そのような計算機はとても高価なので、各研究室ではミニコンと呼ばれる計算機を使っていました。
TOSBAC-40 五月祭でゲーム製作
HP2100A 4年前期・生物物理研
PDP-8 4年後期・原子核物理研
以上が学部学生時代に使ってたコンピュータです。アセンブラと呼ばれる言語を使用してました。一番の問題は計算機毎に別々に覚えないといけないことです。

長くなってしまったので、大学院生時代の話は別稿で。


岩手県議選

2015年09月07日 01時25分57秒 | 白亜
ひろし君は落選のようですね。何と言えばいいのか・・・
平野の応援団長だったようなので、突然の出馬取りやめで大変なことになってるんだろう、とは思ってましたが、まさか落選するほどとは思ってもいませんでした。

先月の十五日会で「ちばじゅんこ」とかの話が出ていたけど、そうゆうことだったのですね。
それにしても盛岡は投票率43%!酷すぎる。盛岡以外でも55-60%程度。

私は安倍の「アメリカべったり」+「戦前の体制復活」路線には大反対です。そもそも親米と日本保守は矛盾すると思うのだけど、どのように内部精神を調整しているのでしょうね。

ここでは、そんなことを言いたいのではありません。自分の頭で考えて話し合う。選挙は自分の代弁者を決める重要な機会だ。そのように思わない人があまりに多いことを危惧します。