kouheiのへそ曲がり日記

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要領のいいエゴイスト(40)

2015-05-24 04:37:22 | 日記
アイヒマン実験というのがあったが、簡単にいえば、ごく普通の市民が、特殊な状況下で権威づけをされると、際限なく残酷になっていく、というものであった。
まさに僕を分析しているうちに、K大学の連中は「残酷さ」に関する感受性が麻痺していき、僕に対する凌辱行為はエスカレートしていった。
僕は小便を飲まされるところまで運ばれたのである。

「なぜ息子さんに言わなかったんです?」
「何を言っているのですか!? あなた方が絶対秘密にしろと言ったんじゃないですか!」
「・・・だって、普通言うでしょう?」
「もういい!!」

この頃、どうも様子が変だと気づいたN大学のK教授が、真実を語りだしたのである。
今度はO野助教授が地獄をみることになった。

僕が忘れられないのは、H教授の自分自身に対する無限の寛容さである。
彼はこう言ったのでる。

「O野君を殺しちゃいけませんよ、そんなことしたら君は人生棒に振ることになりますよ」

僕は開いた口がふさがらなかった――なぜ俺がO野助教授を殺すんだ? 俺が真っ先に殺すべきはH教授じゃないか!――が、「人生棒に振ることが分ってても殺しちゃうのが人間の恐ろしさですよ」とだけ言っておいた。

H教授は自分を、O野助教授やNにだまされた被害者だと思っていた。
自分が悪いことをした、などという意識は微塵もなかったのである。
なんと気楽な精神構造であろうか?
こんなことでは、おべっか使いのいやらしさを理解できるわけがない。

まぁ、H教授としては、文学部の上の大学院博士課程に在籍している者は、指導教官の牛馬となってどこまでもついていくしか道がないから、濡れ衣を着せてここまでひどいことしても、泣き寝入りするしかないはずだからと安心していたのだろう。

なんという卑しい根性であろうか。
愛想もくそもつきはてるとはこのことだと、つくづく思った。

僕は退学した。
H教授は、いっさいとめようとはしなかった。
おそらく、どうせ就職口はないから、オーヴァー・ドクターとして、ひきつづき自分を頼らざるをえないはずだ、と思っていたのだろう。
だが僕は、二三の大学でやっていた非常勤講師の職もすべて辞め、いっさい学問から身を引く決意を固めていた。
なぜならエゴイスト・H教授が、「社会学は科学ではない」という命題を証明したからである。

なにが社会学的分析だ!
社会学などというものは、週刊誌のゴシップ記事書くのと大差ない、下司の勘ぐりのようなものでしかない、こんなものやる価値などない、というのが僕の下した結論だった。(つづく)

要領のいいエゴイスト(39)

2015-05-23 05:38:46 | 日記
H教授は、盗聴・盗撮だけでなく、学部生をつかって大学から家に帰るまでの道程、僕を尾行しさえした。
そのとき僕はパチンコに嵌っており、自宅近くの駅で電車を降りると、そのままパチンコ店に寄っていた。

「なぁ、君、俺はパチンコする人間なんて尊敬できないけど、君はどうや?」
「う~ん、僕は大勢で集まってわいわいがやがやするのがいちばん楽しいなんて人間、心の奥底から軽蔑しますけど、パチンコやってる人間は、べつに尊敬はしませんけど、群衆のなかで孤独を楽しむってことで、シンパシーは感じます」
「・・・社会学やってんのに、そんなこと言うてんのか・・・」

一体なんなんだ?
社会学を研究している人間は、社会学の一般理論――そんなものがあるとしての仮定の話だが――どおりに感じ、考え、行動しなくてはならない、というのはどういう思想なのだ?
一般理論どおり感ぜず、考えず、行動しない人間がいたら、理論の方を正そうとするのが科学者の本来あるべき姿ではないのか?

さて、僕は当時二十代で、当然性処理の問題を抱えていた。
恋人なぞというものはおらず、風俗にいくにも金も度胸もなかった。
となると、いきつくところは自然とマスターベーションということになる。
そういうわけで、僕は自慰行為を皆に観られたわけであるが、えっ! 何!? そんなバカなって? 盗聴・盗撮されているのが分ってて、なぜ自慰などするのかって?

こればかりは僕にも分らないのである。
僕はH教授や事務助手のS本君、そして後輩たちからいろいろなこと――盗聴・盗撮しなければ分らないこと――をさんざん言われたのにもかかわらず、盗聴・盗撮に気づいていなかったのだ。
ずいぶん非現実的だと思われるだろうが、事実そうだったのだからしょうがない。

とにかく自室で自慰行為をしてからというもの、H教授は僕と対面するのを避けるようになった。
僕を観察する権限は、O野助教授に委譲されたようだった。
H教授は僕と目を合わそうとせず、そっぽを向いて「O野君とこいかなあかんで」とくりかえすばかりになった。

僕はO野助教授は嫌いだけれども、デュルケームの専門家だから仕方ないと腹をくくり、研究室をしばしば訪問するようになった。

――♪ Imagine there’s no heaven. It’s easy if you try.♪――

「とうとう歌いおったな」
「はぁ~?」
「イマジンや、ジョン・レノンはあんな唄歌っとるから殺されたんや」
「ほ~、さすが三流大学の教師の言わはることはちがいますね。イデオロギーにさえならん虚偽意識ですね(O野助教授はイギリス国教会系のクリスチャンであった)」

――♪Sad preacher nailed upon the colored door of time. Insane teacher be there reminded of the rhyme. ♪(イエス、 And you and I)――

「Insane teacher ってなんのことや?」
「インセイン・ティーチャー? O野先生がどうかしたんですか?」
「・・・」

そしてまた僕が自慰行為をした翌日、フランス語の外書講読――マルセル・モースの『贈与論』――の時間、僕が教室にいき腰かけると、学部生が大勢いるなか、O野助教授がいらついた面持ちで僕に問いかけた。

「君、君にとっていちばん恥ずかしいことは何やねん!?」
「僕にとっていちばん恥ずかしいことですか?・・・O野先生が生きていることです」
「!・・・」

何人かの学部生が思わずふきだした。
O野助教授は、怒りと驚きがないまぜになったような表情で言葉を失った。(つづく)

要領のいいエゴイスト(38)

2015-05-22 04:47:21 | 日記
――♪ずっと愛してる、たとえ雨でも、明日の風に忘れなさいと言われても、愛してる、他には何もいらないの、My love♪(松田聖子)――

「J・K君(ペルーからの留学生)が、『たとえ雨でも愛してる』っていうのが分らないと言うてましたよ」
「?・・・君の言うてることが分らんけど」
「とにかく、アイドルの唄は歌わない方がいいですよ、恥ずかしいですよ、聴いてるこっちが」

・・・これは『原子心母』みたいに、クラシックの合唱団をつこうとるんやな・・・
・・・でも、あそこでギターが変な音だすやろ? なんでそのままレコードにするんやろ? 修正したらええのに・・・

「あれ、どこの合唱団?」
「あれ、と言いますと?」
「Mama, just killed a man. Put a gun against his head. Pulled my trigger, now he’s deadという曲やがな」
「あぁ、クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』ですか。あれは合唱団つこうてません。フレディ・マーキュリーとギターのブライアン・メイ、そしてドラムのロジャー・テイラーが何遍もオーヴァー・ダビングをくりかえして、あの効果をだしてるんです」
「へぇ~、しかしそのちょっと前にギターが変な音だすやろ? あれは失敗やな?」
「変な音?・・・あぁ『預言者の唄』と『Love Of My Life』のつなぎ目ですか? あれはフィードバック奏法といいまして、エレクトリック・ギターの正式な奏法です」
「どうやってあんな音出すの?」
「つまり、エレキギターというのは、弦を弾くところにピックアップ、まぁ、マイクがついとるわけですね。で、アンプから出た音をそのピックアップで拾い、循環さすわけです、するとああいう音が出ます」

・・・これは、キング・クリムゾンの『USA』です・・・
・・・これ、何の音やろ?・・・
・・・ヴァイオリンのような、でもちょっと違うな・・・

「『USA』のヴァイオリンのような音、あれ何や?」
「あれはメロトロンです」
「メロトロンって何や?」
「まぁ、鍵盤楽器ですけど、鍵盤の数だけ、ホンマもんの楽器の音を録音した3トラックのテープが入ってるんです。で、CならCの鍵盤を押すと、その高さのヴァイオリンならヴァイオリンの音が録音されたテープがまわりだして、アンプからその音が出てくるわけです。当時のシンセサイザーはいかにも電子音という単純素朴な音しか出せなかったし、和音が出せなかったんです、だからクリムゾンなんかはメロトロンを多用したわけですけど、メロトロンは録音テープを再生するので音質が悪く、また早弾きができないし、7秒すると音がなくなってしまうんです」
「なんでや?」
「つまりテープが終わってしまうんです、で、鍵盤から指を離すと、0.5秒で巻き戻るんですけど」
「なるほど、それで分った」

僕はその日、『春の祭典』を聴き、次にキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』を聴き、さらに松田聖子の『ユートピア』を聴いた。
その翌日、H教授が呆れかえったような顔をして言った。

「丸山真男が書いてるけど、君はどういう耳をしているんや? クラシック聴いてロック聴いて、さらに続けて歌謡曲聴くなんて・・・ちゃんぽんやないか」
「丸山真男?・・・はいはい、たしかいろいろな時代の曲をいっしょに聴くなんて『容器』であって『人格』ではない、という論でしたね、でも、音楽は理論ではありませんから、思想でもないですね。たとえば現代日本の食生活を考えてみれば、朝にご飯とみそ汁を食べ、昼にラーメンと餃子を食べ、夜に彼女とフランス料理のフルコース食べにいっても何の不思議もないわけでしょ? 音楽もそれと同じですよ、丸山のあの議論は、主知主義的なヘンコウ(偏向)がありますね」
「ヘンコウって何や?」
「バイアスです」
「・・・それにしても、なんで君は丸山真男の音楽論知ってるの?」
「そらあ、読んだからですよ」
「いつ読んだ?」
「H先生に日本社会主義思想史やれと言われて、丸山を必死に読んでたときだから・・・5年ほど前ですね・・・あっ、思い出した! たしか論文のタイトルは『盛り合わせ音楽会』じゃなかったですか?」
「・・・」
「でもまぁ、あの論文は丸山がどうしても俺はこれが言いたいって書いたもんじゃなく、音楽雑誌の編集長かなんかに頼まれて仕方なしに書いたもんでしょ? 最後に『こんな文章ができましたが、こんなもんでも雑誌に載りますか? 載るもんなら載せてやってください』とかなんとか、ユーモアたっぷりに書いてますやん。だから丸山真男は間違っているなんて、目くじら立てるつもりはまったくないですけどね」
「(唖然として)・・・」(つづく)

要領のいいエゴイスト(37)

2015-05-21 05:01:54 | 日記
H教授はこの僕の言葉を聞いて、科学者としての関心を惹かれたようだった。
心理学専攻や教育学部とも協力して、僕という人間の社会学的分析を思い立ったのである。

H教授は僕の両親をだまし――息子さんは、自分を神に選ばれた人間だと言っています、そして自分のやったことを一切認めようとしない、こういう異常な精神構造はどのようにできあがったのか? それを私は知りたいのです――、僕の家の居間と自室に盗聴器と盗撮カメラを設置する許可を、僕の両親から得た。

恥ずかしい話だが、僕の父はある新興宗教の信者だ。
その教えでは、何より守らねばならない大切なことが「親孝行」である。
当然、親は子供に何をしてもいいということになる。
僕は今でもこのような信仰をもつ父を軽蔑している。

甘い親だと思われたくないのだ。
厳しい親だと思われなければならないのである。
僕の両親は僕のプライバシーを大学に売りとばしたのだった。

・・・調べたところ、これはディープ・パープルの『Live In Japan』ですね・・・
・・・こんなのがいいんだねぇ、まったく・・・
・・・いや、そうおっしゃるけれど、私は3歳の頃からギターをやってますけど、こんなの、どうやって弾いてるのか、見当もつきませんよ・・・

「おい! あれはなんだ?」
「? あれとおっしゃいますと?」
「20分もあるやないか」
「・・・20分?」
「お父さんから聞いてるやろ!」
「親父から聞く?」

・・・これはイエスの『Close To The Edge』です・・・
・・・あのオルガン・ソロ、彼が弾いてるんじゃないのか? この落ち着きのない弾きかた・・・
・・・キーボードはリック・ウェイクマンとなってますけど・・・

「どうしてあそこまで<狂気>にこだわるんや?」
「?・・・何の話です?」
「ほら、あの、プリズムに光が分光されるジャケットの・・・」
「あぁ、あれは元リーダーに対するレクイエムです。シド・バレットというのが発狂してしまいましてね、商業的成功なんて無視して前衛ロックをやりはじめたのに、いつの間にか自分たちは人気スターになってしまった、とくにベースと作詞担当のロジャー・ウォーターズはシドに対する思い入れが強かったんですね」
「君、俺がなんで君の聴く音楽を知ってるか気にならんの?」
「はぁ、まっ、僕は大音響でいつも聴いてますから・・・」
「しらばっくれるな!」
「?」

・・・ピンク・フロイドの『Dark Side Of The Moon』です・・・
・・・ロックなんて僕はバカにしてきたけど、ロック・ミュージックというものを根本から考え直さなあかんなぁ・・・
・・・この歌詞、文学的にも価値あるよ・・・

「なぁ、なんでキエフの大門のところでめちゃくちゃな音だすんや?」
「?・・・キエフの大門・・・あぁ、あれはキース・エマーソンのお得意のパフォーマンスです、彼はミニ・ムーグをステージに叩きつけたりします」
「なんでそんなことするの?」
「それがロックというものなんです」

・・・エマーソン、レイク&パーマーの『展覧会の絵』です・・・
・・・私の耳はクラシックしか受けつけなかったけれど、これなら最後まで聴けますわ・・・

「なぁ、君は高校生の頃、詩を書いてたんやろ? いちばん自信のあるやつ1篇でいいから、読ましてくれよ」
「とんでもない、他人様にお見せできるようなものではありません」
「・・・じゃあ、どんな手段つこうても見るで!」
「(思わず微笑んで)H先生、ウチで泥棒でもしはりますか?」

・・・これは、こんな詩、高校生に書けるか? こんな詩、60歳の大詩人が書くもんやで!・・・
・・・18歳でこんな詩を書くということは、やっぱりこないだのピアノ・コンチェルト、彼が作曲したんちゃうんか?・・・

「君はピアノ・コンチェルトのレコードもってる? 音楽の先生がこんな曲聴いたことない言うてたで」
「ピアノ・コンチェルト? あぁ、1枚だけもってます」
「誰が作曲したの?」
「キース・エマーソンです」
「ピアノは誰?」
「キース・エマーソンです」
「指揮ぶりがえらく板についとるけど、君の棒で録音したんか?」
「えっ、そんなバカな」
「高校生があんな詩を書くちゅうことは、全然音楽教育うけてない者が、あの程度のピアノ・コンチェルト作曲するくらいの衝撃なんやて」
「?」

・・・これはなんぼ何でも商品ではありえないわな、これは彼の実験作品ちゅうとこやな・・・
・・・それはそうとしか考えられんわな・・・

「(満面の笑みで)昨日の曲は、君の作品やな」
「昨日の曲と言いますと?」
「歌のない、即興曲のような・・・変拍子の・・・」
「あぁ、あれはキング・クリムゾンの『Fracture』という曲です」
「!?」

・・・こんなめちゃくちゃな曲が商品として流通してるんやねぇ・・・
・・・いや、そうおっしゃるけど、じっくり聴いてると引き込まれていきますよ、とにかくこのギターは私には弾けません・・・(つづく)

要領のいいエゴイスト(36)

2015-05-20 08:56:19 | 日記
僕は博士課程に進学してから、1週間に1回、教養部のI安教授の研究室に顔をだしていた。
I安教授と一対一でG・ジンメルの著作を読んでいたのだ。
ある日のこと、I安教授が言った、「おい、どこや?」と。
僕は何を言われているのかまるで分らなかった、「はっ? 何がですか?」

「(神奈川県の地図を示しつつ)これや」
「あぁ、え~、渋谷から西に私鉄がのびてませんか?」
「渋谷から・・・あっ、これか」
「はい、これです、ここにI尾という駅があり、次がF岡ですね、ウチはこのちょうど中間のこのあたりにあったんです」
「(地図をなめるように見つめながら)あ、M区・・・ホンマにあるんやな」
「ありますよ、ウチの家族はそこに3年間住んどったんですから」

その頃、O野助教授はN市を訪れていた。
N大学のK教授に会うためである。

「K先生、昭和55年の7月に集中講義でK大学へ来られましたね。そのとき○○(繁華街)に飲みにいって、××(僕の名前)がT崎君をいじめたんでしょ?」
「ん? 誰か知らんけれども、T崎君――あのメガネをかけた小太りの子だろ?――をいじめた子は、彼をボロカスに言うたびに『と、××なら言うやろな』と言っていたけど・・・」
「じゃあ、××がいじめたんではないと・・・?」
「いじめたんではないどころか、来てなかったよ」
「・・・」
「だいたい、あのときH先生もごいっしょだったんだから、わざわざ私に訊きに来なくとも・・・」
「H先生は『××がやったに決まっとる』と言ってるんです」
「ほ~、H先生がそうおっしゃっているなら、私は何とも言わないけれど(H先生にはH先生なりの深いわけがあって、××君がやったということにしてるんだろうから)」
「K先生、この件については特別な事情がありまして、私に任せていただけませんか?」
「私は別にかまわないけれど・・・」

O野助教授は、すぐさまT崎をいじめた張本人、Nと連絡をとった。

「T崎君をいじめたのは君だったんじゃないか」
「は~、記憶が混乱してまして・・・」
「まぁ、ええわ。H先生は何も覚えておられないから、このまま××に罪をなすりつけるからな。協力してくれよ、なっ?」
「はい!」

――おい君! 君は授業中となりの女の子からメモ用紙みたいなのを受けとっていたな、あれにはなんて書いてあったんだ?――
――(手を斜めに揚げて)まぁ、まぁ、まぁ――
――(T崎の手を払いのけながら)この手が腹立つんじゃ!(罵詈雑言を浴びせ)と、××なら言うやろな! わははは――

「そいでな、H先生が『そのへんでええ加減にしとけ』言わはったんで、やめたったんじゃ、T崎いじめるの! わははは」

昭和62年初頭、僕が社会研究室にいくと、H教授の笑顔があった。

「やっぱり君だったんじゃないか、そらそうだよな」
「何の話です?」
「しらばっくれるな!」
「・・・?」

それからというもの、皆の僕に対する態度は、極めて苛烈なものへと変わった。
今思い返しても寒気がする。
自殺しなかったのが不思議なくらいだった。
昭和62年は、冤罪に包み込まれた過酷な1年であった。

「君! もうええかげんにしなさいな! T崎をいじめたのは君やな?」
「違います。いじめたのはNです」
「君はあくまでもしらをきるつもりか?」
「しらをきるもなにも、僕は神に選ばれた人間です。僕の言葉は永遠の真実です」
「・・・」(つづく)