あれは、僕が埼玉県に住んでいた頃のことだ。
僕はたしか、小学校2・3年生ぐらいだったと思う。
僕の家から、長くて細い急峻な坂道を登りきった所に、大きな団地があった。
夏だったと思う。
僕は、その団地の公園に遊びに行った。
すると、不意に一人のおばさんが僕の前にしゃがみこんだ。
お菓子のたくさん入った袋を僕に手渡し、
「これ、もらってちょうだいね」
とおっしゃった。
僕は、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしたに違いない。
覚えていないが、僕は礼も言わなかったと思う。
あんなに切実な声で大人から話しかけられたのは、それが初めてだったからだ。
たぶん、お葬式があったのだろう。
なぜか、ふとそのことを思い出した。
心地よいノスタルジーとして・・・。
なぜ心地いいのか、自分なりに考えてみると、こういうことだと思う。
つまり、その時僕は生まれて初めて、一人の「人格」として扱われたのだ。
今でこそ、子供の権利条約だのへったくれだのと言っているが、その頃子供なんて、紙屑以下に扱われていたのだ。
「これ、もらってちょうだいね」
あの時、僕は初めて一個の独立した「人格」として観てもらったのだ。
学年でトップの成績をおさめたときも、県の美術コンクールで金賞をとったときも、僕はさほど嬉しくなかった。
教師連中から子供扱いされたからだ。
「これ、もらってちょうだいね」
あの切実な大人の声が忘れられない。
僕はたしか、小学校2・3年生ぐらいだったと思う。
僕の家から、長くて細い急峻な坂道を登りきった所に、大きな団地があった。
夏だったと思う。
僕は、その団地の公園に遊びに行った。
すると、不意に一人のおばさんが僕の前にしゃがみこんだ。
お菓子のたくさん入った袋を僕に手渡し、
「これ、もらってちょうだいね」
とおっしゃった。
僕は、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしたに違いない。
覚えていないが、僕は礼も言わなかったと思う。
あんなに切実な声で大人から話しかけられたのは、それが初めてだったからだ。
たぶん、お葬式があったのだろう。
なぜか、ふとそのことを思い出した。
心地よいノスタルジーとして・・・。
なぜ心地いいのか、自分なりに考えてみると、こういうことだと思う。
つまり、その時僕は生まれて初めて、一人の「人格」として扱われたのだ。
今でこそ、子供の権利条約だのへったくれだのと言っているが、その頃子供なんて、紙屑以下に扱われていたのだ。
「これ、もらってちょうだいね」
あの時、僕は初めて一個の独立した「人格」として観てもらったのだ。
学年でトップの成績をおさめたときも、県の美術コンクールで金賞をとったときも、僕はさほど嬉しくなかった。
教師連中から子供扱いされたからだ。
「これ、もらってちょうだいね」
あの切実な大人の声が忘れられない。