kouheiのへそ曲がり日記

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要領のいいエゴイスト(36)

2015-05-20 08:56:19 | 日記
僕は博士課程に進学してから、1週間に1回、教養部のI安教授の研究室に顔をだしていた。
I安教授と一対一でG・ジンメルの著作を読んでいたのだ。
ある日のこと、I安教授が言った、「おい、どこや?」と。
僕は何を言われているのかまるで分らなかった、「はっ? 何がですか?」

「(神奈川県の地図を示しつつ)これや」
「あぁ、え~、渋谷から西に私鉄がのびてませんか?」
「渋谷から・・・あっ、これか」
「はい、これです、ここにI尾という駅があり、次がF岡ですね、ウチはこのちょうど中間のこのあたりにあったんです」
「(地図をなめるように見つめながら)あ、M区・・・ホンマにあるんやな」
「ありますよ、ウチの家族はそこに3年間住んどったんですから」

その頃、O野助教授はN市を訪れていた。
N大学のK教授に会うためである。

「K先生、昭和55年の7月に集中講義でK大学へ来られましたね。そのとき○○(繁華街)に飲みにいって、××(僕の名前)がT崎君をいじめたんでしょ?」
「ん? 誰か知らんけれども、T崎君――あのメガネをかけた小太りの子だろ?――をいじめた子は、彼をボロカスに言うたびに『と、××なら言うやろな』と言っていたけど・・・」
「じゃあ、××がいじめたんではないと・・・?」
「いじめたんではないどころか、来てなかったよ」
「・・・」
「だいたい、あのときH先生もごいっしょだったんだから、わざわざ私に訊きに来なくとも・・・」
「H先生は『××がやったに決まっとる』と言ってるんです」
「ほ~、H先生がそうおっしゃっているなら、私は何とも言わないけれど(H先生にはH先生なりの深いわけがあって、××君がやったということにしてるんだろうから)」
「K先生、この件については特別な事情がありまして、私に任せていただけませんか?」
「私は別にかまわないけれど・・・」

O野助教授は、すぐさまT崎をいじめた張本人、Nと連絡をとった。

「T崎君をいじめたのは君だったんじゃないか」
「は~、記憶が混乱してまして・・・」
「まぁ、ええわ。H先生は何も覚えておられないから、このまま××に罪をなすりつけるからな。協力してくれよ、なっ?」
「はい!」

――おい君! 君は授業中となりの女の子からメモ用紙みたいなのを受けとっていたな、あれにはなんて書いてあったんだ?――
――(手を斜めに揚げて)まぁ、まぁ、まぁ――
――(T崎の手を払いのけながら)この手が腹立つんじゃ!(罵詈雑言を浴びせ)と、××なら言うやろな! わははは――

「そいでな、H先生が『そのへんでええ加減にしとけ』言わはったんで、やめたったんじゃ、T崎いじめるの! わははは」

昭和62年初頭、僕が社会研究室にいくと、H教授の笑顔があった。

「やっぱり君だったんじゃないか、そらそうだよな」
「何の話です?」
「しらばっくれるな!」
「・・・?」

それからというもの、皆の僕に対する態度は、極めて苛烈なものへと変わった。
今思い返しても寒気がする。
自殺しなかったのが不思議なくらいだった。
昭和62年は、冤罪に包み込まれた過酷な1年であった。

「君! もうええかげんにしなさいな! T崎をいじめたのは君やな?」
「違います。いじめたのはNです」
「君はあくまでもしらをきるつもりか?」
「しらをきるもなにも、僕は神に選ばれた人間です。僕の言葉は永遠の真実です」
「・・・」(つづく)