古代インドのバラモン教の経典「ブラーフマナ」にみえる話。
人間の第一号、ヤマとヤミーという夫婦がいた。
この宇宙に「夜」というものがなかったある日、ヤマが死んでしまった。
妻であるヤミーは、心の底から悲しんだ。
「今日、ヤマが死んでしまった」・・・と。
その嘆きぶりは凄惨で、ヤミーは次第に憔悴していった。
それを見かねた神様たちは、一所懸命にヤミーをなだめるのであったが、ヤミーの嘆きは収まらない。
「今日、ヤマが死んでしまった」と、ヤミーは泣き続けるのであった。
そこで神々は相談し、この世に「夜」というものを作り出した。
するとヤミーは、「昨日、ヤマが死んだ」、「一昨日、ヤマが死んだ」とだんだん生気を取り戻していき、ついには数ヵ月後、悲しみを乗り越えたのであった。
苦しみは、時がいつか必ず癒してくれる。
だが、無理に忘れようとしてはいけない。
そうすると、かえって苦しみを忘れられなくなる。
自然に、自然に、時の流れに身を任すのが良いのである。
人間の第一号、ヤマとヤミーという夫婦がいた。
この宇宙に「夜」というものがなかったある日、ヤマが死んでしまった。
妻であるヤミーは、心の底から悲しんだ。
「今日、ヤマが死んでしまった」・・・と。
その嘆きぶりは凄惨で、ヤミーは次第に憔悴していった。
それを見かねた神様たちは、一所懸命にヤミーをなだめるのであったが、ヤミーの嘆きは収まらない。
「今日、ヤマが死んでしまった」と、ヤミーは泣き続けるのであった。
そこで神々は相談し、この世に「夜」というものを作り出した。
するとヤミーは、「昨日、ヤマが死んだ」、「一昨日、ヤマが死んだ」とだんだん生気を取り戻していき、ついには数ヵ月後、悲しみを乗り越えたのであった。
苦しみは、時がいつか必ず癒してくれる。
だが、無理に忘れようとしてはいけない。
そうすると、かえって苦しみを忘れられなくなる。
自然に、自然に、時の流れに身を任すのが良いのである。