kouheiのへそ曲がり日記

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要領のいいエゴイスト(35)

2015-05-19 09:50:15 | 日記
たしか昭和61年の秋頃だったと思うが、O野教養部助教授が「君は以前横浜に住んでいたんだろ? 横浜のどこや?」と僕に問いかけた。
その場には僕の博士課程の副指導教官、I安教養部教授もいた。

「横浜のM区です」
「・・・お前はなんでそんな嘘を言うんだ? 俺は20年前に横浜にいたことがあるんだ、横浜にM区なんてないわ! この嘘つきが!!」
「・・・」

I安教授も憤然とした表情で僕を見据えていた。
僕はこのO野という奴が大嫌いで、黙っていようかとも思ったのだが、一応答えた。

「じゃあ、横浜にM区があったらどうします? 大学をお辞めになりますか?」
「おう!」
「それじゃ、先生の墓碑銘をこうしたらどうでしょう? 『19××年~△△年、生涯横浜市M区の存在を信じなかった社会学者ここに眠る』、それで横浜市M区から不名誉区民の称号をもらって、アクリル処理して墓の横に飾ったらどうです?」
「なんでお前はそんな口をきくんや!?」
「あまりにもアホらしいからです! 僕の家族が埼玉から引っ越したときは、横浜市K区だったんです、それがすぐに二つに分割されて、片一方がM区という新しい区として創設されたんです!」
「なぜお前は憎まれ口たたく前に、そういう風に、分ってもらおうと丁寧に説明しようとしないんだ!?」
「なんでそんなこと分ってもらおうと努めなきゃならないんですか!? 帰りに駅前の本屋に寄って、神奈川県の地図買って調べればすぐ分ることでしょうが! どうせそんな地図、300円か500円くらいのもんでしょう! そんな調べもしないで、他人を嘘つき呼ばわりする方がアホでしょうが!」
「教師をアホ呼ばわりするんか!?」
「えぇ、アホ以外の何者でもないと思いますね!」
「お前は大学教師である私をアホだと!?」
「大学といっても、Nのように自分自身がしたことをその場にいなかった別の人間がしたことだという記憶が頭にできる気違いが真面目なしっかりした奴だという評判をとって卒業していくところですからねぇ、O野先生のような異常者が教師をしていても不思議ではないですね」

Nは先述のとおり、僕の学部時代の同級生であるが、彼奴は自分がやったことを僕がやったと言いふらして卒業していったのだ。
おかげで僕は、いってもいないところで、してもいないことをし、言ってもいないことを言ったと言われ、とんでもない嘘つきだというレッテルを貼られてしまったのである。

おそらくこの会話をしたときであろう、O野助教授は、Nと組んで僕を陥れる謀略を思いついた。
それもこれも、H教授が普通の知能の持ち主であれば、どうということはなかったのである。

H教授は、僕の知能が突拍子もなく高すぎて、僕のことを信じられなかった。
K大学などという三流大学で長年教鞭――自身もそこの卒業生であった――をとっていたために、そんな人間、つまりその場にいなかったのに、当時のことを詳細かつ精確に記憶できる人間なんているわけはないとしか考えられなかったのだ。

その日Nは繁華街の飲み屋でT崎をいじめ、そのあと僕の下宿へ泊りにきたのである。
彼はT崎をいじめたことを、嬉しそうに哄笑しながら僕に語った。
それで僕は、その場にいなかったのに、その場の状況を精確に記憶していたのだ。(つづく)

要領のいいエゴイスト(34)

2015-05-14 08:55:38 | 日記
S館長は、館内のいろいろな部署のさまざまな雑事を、我々警備員を酷使してこなし、「館長、ありがとうございました」と感謝されるのを生きがいとしていた。

K会館の3階に子供服に関する事務所があったのだが、そこでは毎年夏に展示会が開催されるのが恒例であった。
展示会が開催されている間は事務所を空にしなければならない。
そのため、事務所の机や椅子、キャビネットなどを体育館まで運び、その片隅に保管しておくのだ。

「おい、K島、Cコーラのねえちゃんにスタッフ・ジャンパーをもってくるように言え。それを着て作業をやれば服が汚れんやろ」
「さすが館長、目のつけどころがちゃいまんな、すぐ電話します」
「それからT、作業が終わったら風呂入るから、ボイラーを点火しとけ」
「はい」

風呂など入りたくないのだが、入って「気持ちいい」と言わなければ首になってしまうのだから仕方がない。

僕はその日勤務日だったからいいが、アケの者たちは居残りをさせられ、気の毒であった。
約3時間かけて3階の事務所と6階の体育館を台車とエレベーターで何度も往復し、子供服の部屋はきれいに片付いた。

「館長、本当にありがとうございました」と、子供服の女の子が館長に深々と礼をしたが、僕ら警備員にはなんの挨拶も差し入れもなかった。
この娘は30手前であった――いつも神社仏閣を訪れては、結婚できますようにと祈っているという噂であった――が、僕らは「あんな無神経な女、結婚できるか!」と陰口をたたいたものだった。

僕は転職して半年ごろまでは無我夢中で、館長の異常性にまで気がまわらなかったが、だんだん慣れてくると、なぜ警備員がこんなことをしなきゃならないのか? と深刻に悩むようになった。
いろいろな雑事をさせられる。
そして飯を食ったり――館長の命令で夕食は昼食の残り物を食べるように決まっていた、晩飯の弁当をつくる奥さんやお母さんの負担を減らすためだそうだ――、先述のとおり風呂に入ったりすることまで強制される。
僕は自分が奴隷であるような気がしてきた。

S館長陛下の赤子、K島隊長のおべっか使いも僕の神経を刺激した。
俺もやがてこうなっていくのか・・・?
僕はついには、館長の声を聞いているだけで胸が締めつけられ苦しくなるのを感じようになった。

「隊長、僕を異動させてください、このままだと館長を刺してしまいます」
「・・・分かった、なんとかするから、館長にはいっさい言わんといてや」
「はい、よろしく願いします」

せっかく隊員が次々に首になるという異常事態が収まっていたのに、と本社では舌打ちする人もいたそうだが、館長にいっさい辞意を悟られないようにしたため、またM部長の絶妙のとりはからいもあって、僕は表立っては円満にK会館から本店の保安部付警備隊に転属することとなった。(つづく)

要領のいいエゴイスト(33)

2015-05-13 05:00:42 | 日記
結局僕の論文は雑誌に載らなかった。
僕の後輩N崎は、H教授の検閲をうけず、ノーチェックで論文――それは、統合失調症患者が書いたような、学術論文とはとうてい言えない支離滅裂なものであったのだが――を掲載してしまった。

しばらくたったある日、雑誌がでてからのゼミでN崎の論文の合評会がおこなわれた。
N崎のことを毛嫌いしていたY井助手が、彼の論文の混乱ぶりを次々に暴いていった。
H教授は何度もうなずき、ホンマそのとおりやとくりかえした。

「ウチの子の書いたもんやから読んだけど、よその子のなら、絶対こんなもの読まんわ、これからは君が何を書こうとも、名前みただけで読んでもらえんのや、そこのところ分っとるか?」
「・・・」
N崎は、かわいそうにうなだれてしまった。

その頃、没になった僕の論文のコピーがあちこちで読まれたらしい。
――あのN崎君の論文を雑誌に載せて、彼の論文を没にするとは・・・H先生、すごいイジメだねぇ――
H教授が僕をいじめているという噂がひろまったようだった。
なぜかというと、僕の論文の評判がかなりよかったからだろう。
僕の論文がH教授の評価どおり、とるにたらないものだったら、誰もイジメなどとは言わないはずだから。

「H先生が見せなくていいというところを、君がどうしてもチェックしてほしいと頼んだんであって、べつにイジメでも何でもないやんな?」
「Zさん、それはたしかにチェックを頼んだけれど、僕の論文を没にしてN崎のあの論文を載せるなんて、僕がなんぼお人よしでも――いや、僕は自分がお人よしであることを恥じてはいませんが――これがイジメ以外のなにものでもないということくらい分ってますよ」

Zさんは、非常に苦々しい表情をした。

「君がH先生をテストしたんだって言うてたやないか!」
「それは言いましたけど、あれはいわゆる負け惜しみでね、・・・でも僕はこんなイジメには負けませんよ、こんなことくらいで参ってたまるか!」

だが僕の心は、そのときすでに限界を超えていたようだ。
僕はかなり辛抱づよいほうなのだが、ひとたび心の線が切れると、バッとすべてを投げだしてしまうのである。
女心はよく分らないけれど、失恋していったん心の整理をつけてしまうと、未練もなにもなくなる女性の心理に近いのかもしれない。
僕は退学の準備を急ピッチで進めた。(つづく)

要領のいいエゴイスト(32)

2015-05-12 04:01:28 | 日記
僕が社会研究室に入ると、H教授とZ氏がいた。
僕が挨拶すると、H教授は部屋の片隅のソファに座るよう目で合図した。
僕が座ると、H教授も僕の向かい側のソファに腰を下ろした。

教授は疲れているようにみえたが、真剣な顔つきで口を開いた。

「君がやってるのは、何という学問や?」
「・・・社会学です」
「そやろ? それなのに個人、個人って・・・だいたいデュルケームは社会をどう捉えてるんや?」
「・・・個人の総和以上のものだと・・・」
「そやろ、つまり社会は個人に・・・」
「・・・還元できないということですね」
「そうや、要するに個人から社会を説明することはできないっちゅうことやないか! それに、法理念にもとづいて<集合表象>と対抗する主体性ってなぁ・・・法も<集合表象>やないか!」
「はぁ・・・」

H教授は、僕の論文に対する反駁ノート――昨夜書いたのであろう――をポケットからだし、「これあげるからよう読んで、しっかり考え直しなさい」と教授にしては冷静につぶやき、これから会議があるからと言って退室した。

Z氏は――僕が陰で知的障害者の一歩手前などと言っていたことを知っていたからだろう――勝ち誇ったように、そして僕を見下ろすような目つきでにやつきながら、「どうや? どういう気分や?」と嗤った。
僕は一気にまくしたてた。

「H先生の理論社会学は30年前で止まっている、といつもZさん言ってましたよね、T井さんも、H先生の前で言ってうけるようなことは、他の場所では通用しない、といつか言ってました。まぁ、僕はZさんやT井さんの言うことをまともに受けとるようなバカではありませんから、僕なりのやり方でH先生の学問が30年前で止まっているか否か確かめたわけです。もうH先生には理論社会学の新しい地平を切り開く能力はないし、自分ができないのみならず、我々若い者に、あっちの方を耕してみろ、と方向を指し示すこともできない。今やっておられる同族団の経験的研究者としてはどうか知りませんけどねぇ、すくなくとも理論社会学者Hは30年前に死んだんです」
「・・・」
「要するにH先生は、僕の試験に落ちたんです」
「・・・」

H教授の好評価だけを目指して大学院生活をおくっていたZ氏には、驚くべき言葉だったようだ。
Z氏は僕を、まるで祟りを恐れぬ文化人類学者を眺める未開人のような目つきでみた。

「だいたい個人の問題なんて関係ないって・・・ラドクリフ‐ブラウンが『社会構造の研究なくしてヒトは理解しえないし、ヒトの研究なくして社会構造の理解はできない』ってはっきり書いてるじゃないですか! だいたい個人と社会を対立させる考え方がナンセンスなんです。あらゆる精神分析学は社会科学なんです!」
「・・・」
「それに、法も<集合表象>やないかって・・・日本のように、民衆自らが血と汗と涙を流して自由をかちとってない国には、法と規範とのずれの問題があるんです! 要領がよくて一度も社会の壁とぶつかったことのない人間だから、そんな気楽なことが言えるんです!」
「・・・」(つづく)

要領のいいエゴイスト(31)

2015-05-11 05:03:11 | 日記
Z氏は現在H大学の教授であるが、もともとK大学の大学院出身である。
Aほどではないが、Z氏もまた、大学院生としては異様ともいえる知性の持ち主だった。

彼は、マルクスが「私はマルクス主義者ではない」と言ったことをまったく理解できなかった。
また、明証可能性と反証可能性とがまったく次元の異なるものであることも、N口教授にこんこんと諭されるまで気づかなかった。

それなのに、非常に奇妙なことに、Z氏は――同級生のT井氏とともに――自分にかなりの学問的才能があると信じて疑わなかった。

だが僕はZ氏が好きであった。
彼がおべっか使いとは真逆の精神構造をもっていたからである。
だがそれは、彼がH教授のおもちゃであることを意味してもいた。

「この封筒に宛名書いたんは、Z、お前やろ!」
「! は、はい」
「相手の名前は真ん中に書くんじゃ! こんなはしっこに書いて!! お前は目上の人に対する気遣いが足りない、といつも言うてるやろ!」
「すいません!」

H教授も、なんというかZさんには、心置きなく怒鳴り散らせるようであった。
彼はしかし、権威主義的パーソナリティーの持ち主でもあった。
僕にはどうにも理解ができないのだが、彼は、学問の才能は先生・先輩・同輩・後輩の順に少なくなっていくと考えているようであった。

Z氏は、僕よりも自分の方がかなり上だと思っていた。
Z氏にかぎらず、他人から観ると僕はどうも遊び人にみえるらしかった。
じつは学問や芸術に真摯に邁進していたのだが・・・。

さて僕は、雑誌に載せる論文を書き上げ、H教授に事前チェックをお願いした。
だいぶ締め切りもすぎていたし、H教授はいいからそのまま載せろとおっしゃったのだが、僕は目を通していただきたく、さらに頼みこんだ。
教授は、それならと原稿のコピーをもって帰宅した。

翌朝、僕の家に電話がかかってきた。
H教授であった。

「今日、大学へ来れるか?」
「はい」
「じゃあ、すぐ来なさい、あの論文、問題ありすぎや」(つづく)