kouheiのへそ曲がり日記

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OCEAN BREEZE

2005-06-24 08:59:00 | 日記
もう一年前のことであるが、高中正義の『OCEAN BREEZE』をインターネット・ショッピングで購入した。
アナログ盤はもっているのだが、レコード・プレイヤーがいかれてしまって、順次名盤のみをCDに買い替えているのである。

あぁ、素晴らしい旋律・ハーモニー・アレンジ・演奏だなぁ・・・。

ギターが良いのはもちろんだが、シンセサイザの音色・演奏が心地よい。
モーグ博士、シンセサイザを発明してくれて、本当にありがとう(^^)

この歳になってつくづく思うのは、何か楽器をやっていれば良かったなぁ、ということだ。
僕の母親の話によると、何でも子供のころ、ピアノを習うか?と問われ、僕は断固拒否したそうだ。

「そんなもん、女のすることだ!」と吐き捨てるように言ったらしい(笑)

当時はまだ男尊女卑の風潮が色濃く漂っていたが、僕はとりわけ「男らしさ」にこだわるガキだったらしい。
あぁ、もったいなや(笑)

自分でもこれほど音楽好きになるなどとは思ってもいなかった。
ホント唄の文句じゃないが、♪人生が二度あれば♪だよなぁ・・・。
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『ジョゼと虎と魚たち』

2005-06-18 08:01:00 | 日記
何か勘違いしていないか?日本映画の監督連中・・・。
貧乏くさいことがリアルなことなのだとでも考えているとしか思えない。

妻夫木君が最後泣きだすところも分からない。
あのシーンが田辺聖子女史の原作どおりなら、彼女は「男」が分かっていないとしか言いようがない。
「男」とは、ああいう場面で泣きだしたりはしないものだ。

あぁ、面白い日本映画を観てみたいなぁ~~っと(笑)
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どうにもならないこと

2005-06-17 10:20:00 | 日記
仏教では、生・老・病・死を「苦」としている。
だが「苦」とは、「苦しい」、「苦痛」といった意味ではない。

生きることは「苦」だろうか?
いやいや、そりゃあ苦しいときもあるけれど、楽しいときだってある。
老いることも、赤ちゃんが大きくなっていくことは、むしろ「喜び」と言えよう。
全然自覚症状のない病気もあるし、死ぬことが苦しいかどうかなんて永遠の謎である。

サンスクリット語で調べてみると、「苦」とは「どうにもならないこと」という意味であることが分かる。
たしかに生・老・病・死は「どうにもならないこと」である。
「どうにもならないこと」はどうもせず、放っておいたら良い。

たとえば過去。
辛く苦しい過去をいくら反芻したところで、どうにもならない。
未来もそうだ。
どんなに明日のことを思い煩ってみても、なるようにしかならない。

「どうにもならないこと」をどうにかしようとするから苦悩することになるのである。
過去や未来を思い煩うことなかれ。
どんなに考えてみたって、それは「どうにもならないこと」なのだから(笑)
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答えはひとつではない

2005-06-16 09:46:00 | 日記
僕は4年前行政書士の国家試験を受け、幸いにも合格できたのであるが、その試験勉強をしているとき、大変意外で、かつ楽しい思いをしたことがある。

僕は通信教育を受けていたのだが、あるときこんな問題がでた。

「流行は規範と○○○○○。なぜなら~~だからである」
○に文字を埋め、その理由を述べよ、という問題である。

僕は次のように書いた、すなわち、

「流行は規範とはならない。なぜなら規範とは比較的硬性な行動の準則を指すものだからである」

この答えが正解かどうか、僕は全然自信なかったのであるが、結果的に僕の答えは正解とされた。

しかし驚くことに、送られてきた正解集を見ると、「流行は規範となる」でも正解だったのである。

つまり、流行を規範と捉えようと捉えまいと、その理由付けがリーズナブルであれば正解なのである。

画一的な受験勉強に嫌々ながらも慣れ親しんだ僕にとっては、このことは意外であり、かつ新鮮で、清清しい思いをしたのを今でもはっきりと覚えている。

いまどきの生徒・学生は、皆あらかじめ決められた正解をはじきだすよう学校や塾で訓練されている。
そんな勉強が楽しいわけはないし、これほど身につかない勉強方法もないだろう。

(少なくとも国語や社会系の教科では)答えはひとつではない。
どんな答えを捻り出そうとも、その答えを出す過程において、論理的思考がたしかに働いていれば正解とする、そんな教育が小学校のうちから必要だと思われる。
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教師の復讐

2005-06-15 08:49:00 | 日記
僕は大学と専門学校で非常勤講師をしていたことがある。
そこで感じたのは、生徒・学生に親しみを感じていればいるほど、叱れるということだ。

受け持った学生に嫌悪感をもっている場合には、学生が何をしようと、全然叱る気になれない。

どうも最近の生徒・学生らは、授業中寝たり、私語したり、それが当たり前になっているようだ。

先生方、そういう場合、注意せず放っておこう。
それがいちばんの復讐だよ。

しかし、46歳にして思う、僕を叱ってくれた先生は、僕の将来を真剣に考えてくれていたのだ、と。
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