kouheiのへそ曲がり日記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

神に選ばれし者

2016-01-17 09:39:04 | 日記
僕は大学生だったとき「僕は神に選ばれた人間ですよ」と口走って、大顰蹙をかったことがある。
何という思いあがった傲慢不遜な奴なんだろう、というわけだ。

芸術のげの字もわからない根性の卑しい低俗な凡人という者は、我々芸術を愛する者には想像もつかないものの考え方をするんだなぁ、と孤独にうちふるえながら、寂しく黙想したものである。

「神に選ばれる」ということは、「何らかの特権を得る」ということではない。
それどころか、それは「犯してもいない罪に問われ、理不尽な制裁を加えられる」ことなのである。

理由は分からない。
というより、理由はない。
ある日突然、行ってもいない場所でしてもいないことをしたと責められ、詰られる。
そして無実の罪でありながら「神に選ばれし者」は、自ら責任をとらねばならないのである。

冤罪は晴れることもあれば、一生晴れないこともあるだろう。
「神に選ばれし者」=「自分の犯してもいない罪にも責任を感ずる者」は黙ってただひたすら過酷な制裁に耐えねばならない。

なぜなら「神に選ばれる」ということは、自らの有責性を誰よりも先に宣言する「倫理の人」を意味するからである。
もちろん、理不尽な仕打ちに耐えることができるのは、自分が「神に選ばれし者」だという、あまり有り難くない確信があるからだけれど・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開かれたプログラム

2016-01-12 10:09:41 | 日記
人間とは開かれたプログラムである。
したがって「人間は~~である」という哲学的命題をつねに裏切ってゆくのが人間である。

僕は生物の専門家でも何でもないが、動植物の営みを鑑みてみるに、生物の生きる意味は『子孫を後世に残すこと』としか言いようがない。
このことには多くの方に賛同していただけるのではなかろうか?

あらゆるDNAは子孫を後世に残すべくプログラムされている。

だが・・・僕は結婚しなかったし、子供も一切つくらなかった。
僕はストレートだし、性の目覚めもかなり早かったが、結果的に子孫繁栄のための活動は一切しなかった。

いわば僕は、意思の力でDNAのプログラムを開いたのである。
それが正しかったかどうかは分からない。
しかし僕のような人間は決して少数派ではないと思う。

子孫繁栄へのヴェクトルをも凌駕してしまう人間の意思力、これこそが人間の力なのである。
それが神意に背くものかもしれないとしても。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする