kouheiのへそ曲がり日記

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人間に無知な教師を首にせよ

2006-10-28 15:52:00 | 日記
僕は1981年に母校である高校へ教育実習に赴いたのであるが、教師というものがあまりにも人間存在に無知なので、ホントに呆れかえってしまった。

僕は社会科の実習生として行ったのであるが、社会科の実習生のなかに、かなり年上のHさんがおられた。

彼は70年安保時代に高校生であり、当時かなり派手に暴れていたらしい。
当時の彼を知る体育教師が「お前、あれだけ教師というものをバカにしていたやないか、なんで教育実習なんか来るねん!?」と言ったそうだ。

僕はそれを聞いて呆れかえった。
人間がいつまでも高校生のときのままの精神でいるわけがないではないか!

また、これは北杜夫の受け売りであるが、人間には大きく分けて二つの発達の仕方があるように思われる。

一方は広い社会的視野から自我を形成していくタイプであり、他方は極めて個人的なものから出発するタイプである。

教師というものは前者の発達の仕方しか良しとしない。
後者のタイプには「エゴイスト」の名のもとに、「根性を叩き直さねばならぬ」問題児というレッテルを貼るのである。

こういう無知教師の精神的圧力が、内向的・引っ込み思案・非社交的・陰気・小心といった精神傾向を「忌むべきもの」とする傾きを与え、後者の発達の仕方をする子供たちの心を傷つけるのである。

僕自身がいい証拠である。
僕は40歳を過ぎて、ようやく自分の自我というものが、いかに社会と緊密に結びついているか実感した次第である。

僕はエゴイスティックでもエゴサントリックでもなかったし、思いやりの心は人一倍持ち合わせていたように思う。

だが教師たちの目に僕は、「自立心」は旺盛であるが、「公共心」や「協調性」が皆無な歪んだ性格の持ち主としか映っていなかったようである。

教師どもよ、もっと人間存在について勉強しなさい。
それができぬ奴は、今すぐ教壇を去れ!!!
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『冷血』

2006-10-26 10:33:00 | 日記
トルーマン・カポーティ著『冷血』を読んだ。

これは、1959年11月にアメリカの片田舎、ホルカム村の一農家で起こった一家4人惨殺事件を、カポーティが5年の歳月を費やして取材し、6千ページにおよぶ資料ノートを圧縮・転換・編集して書き上げたノンフィクション・ノベルの金字塔である。

ひとことで言えば、簡単に人を殺せる人々が描かれている。
彼らの精神構造の最大の特徴は、他人の内面に対する想像力の欠如である。

まったく思いやり Sympathy というものがないのである。

当時としてはこの事件は、かなりセンセーショナルでショッキングな事件だったようだが、今日では日常的現実がこのノンフィクション・ノベルを飛び越えてしまったというべきか?

とにかく、死刑制度の是非、アダルト・チャイルドの問題等々、今日の現状を予見したかのような作品である。
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『アパシー』

2006-10-18 10:43:00 | 日記
25歳で自殺した片山飛佑馬氏の遺稿である。

自殺直前に書かれたのだから当然といえば当然であるが、絶望したのが手に取るように分かる。

だが、読後感は決して悪くない。

おそらく絶望も認識の一種なのだから、それは希望の一形式と言えるからであろう。

認識は、たしかな現実の手触りを感じさせる認識は、それ自体が「希望」なのである。

彼は死んでしまったけれど、優れた芸術作品の良き鑑賞者だったようで、そのことにも好感がもてた。

ご冥福をお祈りいたします(合掌)
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思いやり

2006-10-15 17:58:00 | 日記
恥ずかしい話ではあるが、僕は人間の容をした猿には悩みがない、と信じていた。

思春期時代、いつ自殺しても、そしていつ発狂してもおかしくないような精神状態で生きていた。
そういう生き様は、我々『人間(詩人、芸術家等々)』のみに当てはまるのだと本気で思っていた。

だが今の僕には分かる、どんなに陽気で御気楽に生きているように見える人にも、地獄のような苦しみに悶え苦しんだ時があるのだと。

僕は最近、TBSの小林麻耶アナウンサーの存在を知り、彼女のファンになったのであるが、彼女にはどのような苦悩があるのだろうか?

誰からも好かれ、何の苦労もないように見えるが、彼女にもきっと人に口では言えない苦しみがあるはずだ。

それを知りたい。
そして、できることであれば、僕がその苦悩を癒して差し上げたい。
・・・我ながら変態のストーカー(笑)みたいになってきたので、これ以上は述べないが、歳をとればとるほど自分が「思いやり」深くなっていくような気がする。

歳をとるって・・・案外いいかも・・・。
来月で満48歳になります。
少しずつでいいから仏様の境地に近づいていければと思っています(合掌)
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発情モード

2006-10-01 16:09:00 | 日記
暑くもなく、寒くもない。
とてもいい気候である。
そのせいか、僕は軽い「発情モード」に突入したらしい。

いい歳こいたオッサンがミットモナイ、キモイと言うなかれ。
性の問題は、男も女も灰になるまでである。

一週間ほど前から僕の脳裏には、豊満な乳房をもったカワイイ女性の映像がことあるごとにちらつくようになった。
それは、どうもテレビCMのようであった。

だが、何の宣伝であったか皆目見当がつかない。
いざテレビを注視しはじめると、なかなかそのCMに出会えない。

ネットで検索もしてみた。
「テレビCM 巨乳」「セクシーなテレビCM」などと打ち込み、ググッてもみた。
だが、お目当てのCMにヒットしない。
昨日の時点で僕はかなりイラついていた。

しかし・・・悪魔の恩寵というべきか、昨晩2階の自室でパソコンを弄っていたとき、急におなかが痛くなり、階下のトイレへ行ったついでに居間のテレビを点けると、なんとあのCMが流れてきたのである!

僕は興奮気味に画面に見入った。
そのCMで宣伝しているのは何の商品か頭に叩き込み、急いで2階へ駆け上がり、パソコンを叩いた。

豊満な乳房を見ると心が安らぐ。
昨日から何度あのCMをパソコンで観たか分からない(恥)
すっかりあの娘のファンになってしまいました(笑)
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