kouheiのへそ曲がり日記

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要領のいいエゴイスト(32)

2015-05-12 04:01:28 | 日記
僕が社会研究室に入ると、H教授とZ氏がいた。
僕が挨拶すると、H教授は部屋の片隅のソファに座るよう目で合図した。
僕が座ると、H教授も僕の向かい側のソファに腰を下ろした。

教授は疲れているようにみえたが、真剣な顔つきで口を開いた。

「君がやってるのは、何という学問や?」
「・・・社会学です」
「そやろ? それなのに個人、個人って・・・だいたいデュルケームは社会をどう捉えてるんや?」
「・・・個人の総和以上のものだと・・・」
「そやろ、つまり社会は個人に・・・」
「・・・還元できないということですね」
「そうや、要するに個人から社会を説明することはできないっちゅうことやないか! それに、法理念にもとづいて<集合表象>と対抗する主体性ってなぁ・・・法も<集合表象>やないか!」
「はぁ・・・」

H教授は、僕の論文に対する反駁ノート――昨夜書いたのであろう――をポケットからだし、「これあげるからよう読んで、しっかり考え直しなさい」と教授にしては冷静につぶやき、これから会議があるからと言って退室した。

Z氏は――僕が陰で知的障害者の一歩手前などと言っていたことを知っていたからだろう――勝ち誇ったように、そして僕を見下ろすような目つきでにやつきながら、「どうや? どういう気分や?」と嗤った。
僕は一気にまくしたてた。

「H先生の理論社会学は30年前で止まっている、といつもZさん言ってましたよね、T井さんも、H先生の前で言ってうけるようなことは、他の場所では通用しない、といつか言ってました。まぁ、僕はZさんやT井さんの言うことをまともに受けとるようなバカではありませんから、僕なりのやり方でH先生の学問が30年前で止まっているか否か確かめたわけです。もうH先生には理論社会学の新しい地平を切り開く能力はないし、自分ができないのみならず、我々若い者に、あっちの方を耕してみろ、と方向を指し示すこともできない。今やっておられる同族団の経験的研究者としてはどうか知りませんけどねぇ、すくなくとも理論社会学者Hは30年前に死んだんです」
「・・・」
「要するにH先生は、僕の試験に落ちたんです」
「・・・」

H教授の好評価だけを目指して大学院生活をおくっていたZ氏には、驚くべき言葉だったようだ。
Z氏は僕を、まるで祟りを恐れぬ文化人類学者を眺める未開人のような目つきでみた。

「だいたい個人の問題なんて関係ないって・・・ラドクリフ‐ブラウンが『社会構造の研究なくしてヒトは理解しえないし、ヒトの研究なくして社会構造の理解はできない』ってはっきり書いてるじゃないですか! だいたい個人と社会を対立させる考え方がナンセンスなんです。あらゆる精神分析学は社会科学なんです!」
「・・・」
「それに、法も<集合表象>やないかって・・・日本のように、民衆自らが血と汗と涙を流して自由をかちとってない国には、法と規範とのずれの問題があるんです! 要領がよくて一度も社会の壁とぶつかったことのない人間だから、そんな気楽なことが言えるんです!」
「・・・」(つづく)