出張と移動が続き、更新が滞ってしまいました。
申し訳ありません。
ようやく書けそうです。
1月11日、震災10ヶ月目です。
一ヶ月目の4月11日、宮城県南三陸町の歌津中学校にいました。詳しくはこちらへ。
▼南三陸町志津川の4月11日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/22/511bdbffa5afcf639c2b789aa71dc458.jpg)
ニヶ月目の5月11日、東京の出版社との打合せの場でした。詳しくはこちらへ。
三ヶ月目の6月11日、琉球大学に呼ばれて沖縄にいました。詳しくはこちらへ
▼梅雨明けした沖縄の6月11日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/ce/e868ff8cd0f45bc25c9df33bb717c486.jpg)
四ヶ月目の7月11日、再び被災地宮城県にいました。息子、娘とともに。詳しくはこちらへ。
▼RQ市民災害救援センター東北本部長佐々木豊志さんにお話しを伺った7月11日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/f4/6d04e88ede618da70dcd0a6d50f26b59.jpg)
五ヶ月目の8月11日、初めて区切りの日を泰阜村で迎えました。 詳しくはこちらへ。
▼福島のこどもたちをキャンプに招待した8月11日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/0b/346992159edfba6133d21f2fcc9649de.jpg)
六ヶ月目の9月11日、秋の気配漂う南信州泰阜村で迎えました。詳しくはこちらへ
▼9月11日の泰阜村
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d6/1a48f3a105737476f7122c1361614b88.jpg)
七ヶ月目の10月11日、再び沖縄のハンセン病療養施設「愛楽園」で迎えました。詳しくはこちらへ
▼愛楽園で迎えた10月11日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/38/5907ba3adb430466c6462a2aabef14ff.jpg)
八ヶ月目の11月11日、冬の訪れ迫る南信州泰阜村で区切りの日を迎えました。詳しくはこちらへ
▼南信州の晩秋の味、干し柿つくり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/5d/0b775b0918e5a61387695d0d94d1b891.jpg)
八ヶ月目の12月11日、みぞれ降りしきる北陸福井で区切りの日を迎えました。詳しくはこちらへ
▼私の通った福井の中学校
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f5/57820609be2a83cefb4cd58ec278e690.jpg)
そして、震災10ヶ月目の1月11日。
この日を、北海道の北端に近い町、中頓別町で迎えました。
昨年末に出版された私の拙著「奇跡のむらの物語」を読んだ中頓別町の人から、急遽、講演をお願いされ、行ってきました。
と、簡単に「行ってきました」と書きましたが、これがまた遠い!
地図で調べてもらうとわかると想うのですが、稚内のやや南部にある内陸部の町です。
また、その日、この冬一番の寒波が北海道を遅い、大雪の影響で列車も遅れました。
最寄り駅の「音威子府」駅に着いたときは、マイナス12度くらいでした。
▼音威子府と書いて「おといねっぷ」と読む
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/70/c3acf0a7b5049e8dbc13476fa53dc33b.jpg)
講演には、役場職員やNPOスタッフ、議員さんや町の総合計画策定に関わる委員さんなど、30~40名が集まってくれました。
テーマは主催者の希望で「奇跡のむらの物語」。
後半は、拙著でも紹介している「教育立村」構想についていろいろと熱く語ってしまいました。
中頓別町の人口規模は1900人。
合併ではなく自立を選びました。
2年前までは山村留学も実施していたとか。
わが泰阜村と共通することが多くあります。
▼中頓別町の風景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/77/0f67be08e7af1cea9cdd5a3a611e764f.jpg)
課題多き北の町。
それでも希望を失わずに生き抜くひとびとがいます。
私は拙著でも記した「国内交換留学」を中頓別町の皆さんに提唱し、小さな地域同志が支えあいの仕組みを構築しつつ、それぞれの地域が強くなっていくべきと訴えました。
この構想を、東北の被災地の皆さんにも、提案し始めています。
ひとは傷つけば傷つくほど、ひとに優しくできるのかもしれません。
そしてひとは悲しめば悲しむほど、人を想いやれるのかもしれません。
傷つき悲しむ被災した小さな地域と、非効率・不合理の名の下に切り捨てられてきた小さなへき地が、同志としてつながっていく。
小さな地域同志のつながりが、優しさと想いやりを大切にするひとびとを育成していくと強く想っています。
ぜひ拙著「奇跡のむらの物語」をご覧ください。
「これはかなりしばれてるよ~ 21度は超えてるね~」
21時に講演が終わって外に出ると、町の人が皆口をそろえて言いました。
「マイナス」を使わないんですねこの町の人は。
その寒さはといえば、肌がそぎとられそうな痛みです。
その後の懇親会が終わって時ごろに外に出ると、今度は町の人は皆次のように言いました。
「お、さっきより緩んでる。20度は超えてないっしょ」
その差が私には全くわかりません(笑)
翌朝、寒波の影響か、中頓別町はマイナス24.1度を記録しました。
その日の全国10位でした。
雪を踏みしめる音まで凍りつきそうです。
ちなみに1位は北海道陸別町の28.2度です。
聞くところによれば、毎年日本一寒い日となることが数日あるそうです。
「でも、25度くらいからは、30度でも35度でもかわらないよ」
最果ての北国の人々、おそるべしです。
さあ、今後、中頓別町と泰阜村、そして被災地との間に紡がれるであろう豊かな縁にご期待ください。
▼宿泊した温泉。「ピンネシリ」を漢字で書くと「敏音知」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d0/f4ec0eb83db32c1645bafb62b36a84cc.jpg)
▼車で小1時間走るとオホーツク海に出る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/e8/6fb8382045d9e2bbe604275562af8ba4.jpg)
▼冬の大河「天塩川」が悠々と流れる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/b8/ba97d5e0df4be3821e6061a4afddde5c.jpg)
申し訳ありません。
ようやく書けそうです。
1月11日、震災10ヶ月目です。
一ヶ月目の4月11日、宮城県南三陸町の歌津中学校にいました。詳しくはこちらへ。
▼南三陸町志津川の4月11日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/22/511bdbffa5afcf639c2b789aa71dc458.jpg)
ニヶ月目の5月11日、東京の出版社との打合せの場でした。詳しくはこちらへ。
三ヶ月目の6月11日、琉球大学に呼ばれて沖縄にいました。詳しくはこちらへ
▼梅雨明けした沖縄の6月11日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/ce/e868ff8cd0f45bc25c9df33bb717c486.jpg)
四ヶ月目の7月11日、再び被災地宮城県にいました。息子、娘とともに。詳しくはこちらへ。
▼RQ市民災害救援センター東北本部長佐々木豊志さんにお話しを伺った7月11日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/f4/6d04e88ede618da70dcd0a6d50f26b59.jpg)
五ヶ月目の8月11日、初めて区切りの日を泰阜村で迎えました。 詳しくはこちらへ。
▼福島のこどもたちをキャンプに招待した8月11日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/0b/346992159edfba6133d21f2fcc9649de.jpg)
六ヶ月目の9月11日、秋の気配漂う南信州泰阜村で迎えました。詳しくはこちらへ
▼9月11日の泰阜村
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d6/1a48f3a105737476f7122c1361614b88.jpg)
七ヶ月目の10月11日、再び沖縄のハンセン病療養施設「愛楽園」で迎えました。詳しくはこちらへ
▼愛楽園で迎えた10月11日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/38/5907ba3adb430466c6462a2aabef14ff.jpg)
八ヶ月目の11月11日、冬の訪れ迫る南信州泰阜村で区切りの日を迎えました。詳しくはこちらへ
▼南信州の晩秋の味、干し柿つくり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/5d/0b775b0918e5a61387695d0d94d1b891.jpg)
八ヶ月目の12月11日、みぞれ降りしきる北陸福井で区切りの日を迎えました。詳しくはこちらへ
▼私の通った福井の中学校
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f5/57820609be2a83cefb4cd58ec278e690.jpg)
そして、震災10ヶ月目の1月11日。
この日を、北海道の北端に近い町、中頓別町で迎えました。
昨年末に出版された私の拙著「奇跡のむらの物語」を読んだ中頓別町の人から、急遽、講演をお願いされ、行ってきました。
と、簡単に「行ってきました」と書きましたが、これがまた遠い!
地図で調べてもらうとわかると想うのですが、稚内のやや南部にある内陸部の町です。
また、その日、この冬一番の寒波が北海道を遅い、大雪の影響で列車も遅れました。
最寄り駅の「音威子府」駅に着いたときは、マイナス12度くらいでした。
▼音威子府と書いて「おといねっぷ」と読む
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/70/c3acf0a7b5049e8dbc13476fa53dc33b.jpg)
講演には、役場職員やNPOスタッフ、議員さんや町の総合計画策定に関わる委員さんなど、30~40名が集まってくれました。
テーマは主催者の希望で「奇跡のむらの物語」。
後半は、拙著でも紹介している「教育立村」構想についていろいろと熱く語ってしまいました。
中頓別町の人口規模は1900人。
合併ではなく自立を選びました。
2年前までは山村留学も実施していたとか。
わが泰阜村と共通することが多くあります。
▼中頓別町の風景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/77/0f67be08e7af1cea9cdd5a3a611e764f.jpg)
課題多き北の町。
それでも希望を失わずに生き抜くひとびとがいます。
私は拙著でも記した「国内交換留学」を中頓別町の皆さんに提唱し、小さな地域同志が支えあいの仕組みを構築しつつ、それぞれの地域が強くなっていくべきと訴えました。
この構想を、東北の被災地の皆さんにも、提案し始めています。
ひとは傷つけば傷つくほど、ひとに優しくできるのかもしれません。
そしてひとは悲しめば悲しむほど、人を想いやれるのかもしれません。
傷つき悲しむ被災した小さな地域と、非効率・不合理の名の下に切り捨てられてきた小さなへき地が、同志としてつながっていく。
小さな地域同志のつながりが、優しさと想いやりを大切にするひとびとを育成していくと強く想っています。
ぜひ拙著「奇跡のむらの物語」をご覧ください。
「これはかなりしばれてるよ~ 21度は超えてるね~」
21時に講演が終わって外に出ると、町の人が皆口をそろえて言いました。
「マイナス」を使わないんですねこの町の人は。
その寒さはといえば、肌がそぎとられそうな痛みです。
その後の懇親会が終わって時ごろに外に出ると、今度は町の人は皆次のように言いました。
「お、さっきより緩んでる。20度は超えてないっしょ」
その差が私には全くわかりません(笑)
翌朝、寒波の影響か、中頓別町はマイナス24.1度を記録しました。
その日の全国10位でした。
雪を踏みしめる音まで凍りつきそうです。
ちなみに1位は北海道陸別町の28.2度です。
聞くところによれば、毎年日本一寒い日となることが数日あるそうです。
「でも、25度くらいからは、30度でも35度でもかわらないよ」
最果ての北国の人々、おそるべしです。
さあ、今後、中頓別町と泰阜村、そして被災地との間に紡がれるであろう豊かな縁にご期待ください。
▼宿泊した温泉。「ピンネシリ」を漢字で書くと「敏音知」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d0/f4ec0eb83db32c1645bafb62b36a84cc.jpg)
▼車で小1時間走るとオホーツク海に出る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/e8/6fb8382045d9e2bbe604275562af8ba4.jpg)
▼冬の大河「天塩川」が悠々と流れる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/b8/ba97d5e0df4be3821e6061a4afddde5c.jpg)
代表 辻だいち