わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

人間としての尊厳を ~震災7ヶ月目を迎えて~

2011年10月11日 | 日々雑感
今日、10月11日、東日本大震災から七ヶ月目です。

 一ヶ月目の4月11日、宮城県南三陸町の歌津中学校にいました。詳しくはこちらへ

▼南三陸町志津川の4月11日




 ニヶ月目の5月11日、東京の出版社との打合せの場でした。詳しくはこちらへ


 三ヶ月目の6月11日、琉球大学に呼ばれて沖縄にいました。詳しくはこちらへ

▼梅雨明けした沖縄の6月11日



 四ヶ月目の7月11日、再び被災地宮城県にいました。息子、娘とともに。詳しくはこちらへ

▼RQ市民災害救援センター東北本部長佐々木豊志さんにお話しを伺った7月11日



 五ヶ月目の8月11日、初めて区切りの日を泰阜村で迎えました。 詳しくはこちらへ

▼フクシマのこどもたちをキャンプに招待した8月11日



 六ヶ月目の9月11日、秋の気配漂う南信州泰阜村で迎えました。詳しきくはこちらへ
▼初秋の泰阜村



 そして七ヶ月目の10月11日、再び沖縄で区切りの日を迎えています。

▼ヤンバルクイナ保護にまい進する国頭村安田地区




今日はハンセン病の療養所にいました。

沖縄県名護市の屋我地島にある愛楽園(国立療養所沖縄愛楽園)です。

療養所といえば聞こえはいいのですが、要は差別政策により誕生した隔離施設です。


▼屋我地島の奥にひっそりとたたずむ愛楽園


▼現在は200人ほどが療養しているとのことです



14年前に、沖縄を初めて訪れた私が、一晩の宿を求めてひょんなことから転がり込んだのが愛楽園でした。

朝まで一緒に飲んだ糸数宝善さんというおじいさんが、差別と戦う活動家だったということです。

沖縄に行くと必ず立ち寄り、今も続く差別との闘いについて、勉強に伺っています。

糸数宝善さんと奥様の敦子さんご夫妻。

もう90歳になろうとしています。

今日も1時間半ほど、たっぷりと講和をいただきました。

▼まだまだ元気な糸数さんご夫妻



印象に残るのは「人間はどんな環境にあっても、のぞみや夢を失っても、人間の尊厳を失っても、その環境に慣れてしまうものだ」という言葉です。

「私たちは、差別の中で生涯を終えていく」「私たちの戦後は終わっていない」とも。


東日本大震災についても聞きました。

人間は物質的な豊かさや欲望を求めてしまうもんだ。

金がほしい、名誉がほしい、利権がほしい、それではいずれ崩れていく。

それが今回の震災でわかったのではないか。

力によって力を制しても平和にはならない。

与える、許すことによって平和になるのだ。

心と身体が軋むように痛くなる言葉でした。


今回の沖縄訪問では、絶滅に瀕しているヤンバルクイナの保護を集落あげて取り組む姿、これほど豊かになった日本でいまなお差別に苦しむハンセン病の人びとの姿、こうしているときにもジェット機が飛び立つ米軍基地の周りに住む人々の姿を目の当たりにしました。

改めて実感したことは、より弱い者が犠牲になるというこの国の負の歴史でした。

国が強くなろうとする時、危機的状況の時、戦争のとき、常に犠牲になるのはより弱い者です。

私の住む泰阜村は、人口1,900人を切り、国道も信号もコンビニもありません。

満州開拓政策、植林政策、減反政策、自治体合併政策・・・、国策のしわ寄せは、より弱い者や弱い地域にたどり着きます。

震災後は、より弱いものが犠牲にならないよう願っていましたが、どうでしょうか。

東北の被災した人びとはどうでしょうか。

フクシマのこどもたちはどうでしょうか。

被災した皆さんに、人間の尊厳を失わせてはならない。


糸数さんは最後に言っていました。

「それでも耐えてきてよかった。生きてきてよかった」

東北の人々もまた、そう言える日が来ることを願っています。

より弱いものが犠牲になる負の歴史にピリオドを打ちましょう。


代表 辻だいち

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