わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

杜の都に行ってきました

2012年02月09日 | 日々雑感
先日、杜の都、仙台に行ってきました。

三井物産環境基金シンポジウム「創造と連携 -市民による東日本大震災からの復興」に参加です。

場所は仙台国際センター。

なんだかすごい建物です。

真っ白に変身した広瀬川のほとりです。


▼東北大雪の日。真っ白な広瀬川です




宮城県知事の講演「富県宮城の復興戦略」、パネルディスカッション「復興に向けた創造と連携 -東北の復興から日本の活性化へ」、どちらもためになりました。

なおパネラーは次の方々でした。

畠山重篤さん(NPO法人森は海の恋人理事長)

加藤三郎さん(NPO法人環境文明21共同代表)

鈴木孝男さん(宮城大学事業構想学部助教)

久保田崇さん(陸前高田市副市長)

西岡秀三さん(国立環境研究所特別客員研究所)

コーディネーターは後藤敏彦さん(サステナビリティ日本フォーラム代表理事)。


▼日本中から人が集まった




2日目は、坂本文武さん(㈱ファンドレックス社外取締役 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科准教授 長い・・・笑)のファシリテーションによる分科会と全体会でした。

このところアウトプットが続いていたので、1日目も含めて久しぶりにインプットの時間ができて新鮮でした。


この三井物産環境基金の震災復興助成金金を受けて、私たちNPOグリーンウッドは次のような事業を実施しています。

「農山漁村の子ども達による持続可能な地域づくりネットワーク基盤事業」

なんのこっちゃ?ですよね(笑)

この事業に参画するへき地は次の6箇所です。

北海道浜中町。カウンターパートは「認定NPO法人霧多布湿原トラスト」

宮城県南三陸町歌津地区。カウンターパートは「くりこま高原自然学校」

福島県鮫川村。カウンターパートは「NPO法人あぶくまエヌエスネット」

福井県小浜市。カウンターパートは「NPO法人自然体験共学センター」

沖縄県国頭村安田地区。カウンターパートは「やんぱるエコツーリズム研究所」

そして長野県泰阜村。事業を統括するのがNPOグリーンウッドです。


各地域のこどもたちが、それぞれの地元で環境活動を地道に展開し、その成果を持ち寄って交流する。

その交流によって得られた他地域の知恵などをまた地元に持ち帰り、地元の活動にいかそうとするものです。

こどもたちのその自発的な活動を通して、自然と共生した持続可能な地域社会の構築と被災地の復興に資することを目的としています。

こんな活動に、大企業がお金を出すというのです。

まさにNPOと企業とへき地とこどもの協働。

こういった柔軟な実践が、世の中を変革していくものです。

三井物産さんに感謝です。


被災地同志が学びあう。

被災地から学ぶ。

困ったときはお互い様です。

小さな地域同志が手をとりあい、課題を相互に解決していく。

こどもも大人も。

お互い様・共助・支え合いによる新しい教育、それは新しい国を創る動きに他なりません。

そして、実はそれは農山漁村がもともと持っていた文化を、今、改めて見直し、小さな地域同志で紡ぎなおす作業なのだと想います。

まさに、今、「支えあい・共助」の文化を持つ泰阜村の出番です。

泰阜村の教育力を発揮する震災支援活動。

地道に、息長く、続けます。


▼追伸





追伸

懇親会のときに振舞われた日本酒です。

手前のお酒がおすすめときいていましたが、開始後すぐに瓶ごとなくなりました~(笑)。なのでお土産にこのお酒を買い、泰阜村で東北を想い一献傾けました。

お酒を飲むことも、地道な支援ですね。

代表 辻だいち


盟友

2012年02月05日 | 東日本の教育団体支援・協働
いわき市で、山賊キャンプにこどもを送り出してくれた保護者の方々とお茶会をした後、いわき市から車で小1時間の鮫川村に向かいました。

目的地と宿は、福島県鮫川村の「NPO法人あぶくまエヌエスネット」。

理事長の進士徹さんと、奥さんの由美子さん、そして名物地元人三瓶稔さんが快く迎えてくださいました。

彼らとは、地域の風土を大切にした体験教育の視点で、10年来の盟友です。

進士さんたちは、福島県あぶくま高原の豊かな風土を舞台に、良質の農的体験活動を展開してきました。

長い歴史のうえに築き上げられてきた鮫川村の暮らし、そしてそこに根ざした進士さんたちの血のにじむ活動。

あの地震は、それらをすべて吹き飛ばした。

4月上旬、私は進士さんの地を訪ねて、進士さんのこれから、福島のこれから、日本のこれからを語り合った。

その後、進士さんは福島のこどもを守るために「ふくしまキッズプロジェクト」を立ち上げて東奔西走。

私もかげながらその動きを応援し続けてきました。

あれからもう11ヶ月がたとうとしています。

福島の小さな鮫川村と、信州の小さな泰阜村が支えあいを通じて豊かに縁を紡ぎ始めています。

その縁が、全国の小さな地域に広がり、世界に広がっていく。

そして村のこども同志の交換留学などの教育、自然エネルギー推進などにつながっていく。

エネルギー、教育、平和・・・、これからの時代にどうしても避けて通れないことについて、真正面から取り組もうと、今回熱く語り合いました。


▼あきらめない進士さん(右)は元気です





鮫川村教育委員会にも挨拶させていただきました。

いつものごとく矢吹主査が、明るい笑顔で待っていてくれました。

鮫川村のこどもたちを山賊キャンプに招待するだけではなく、進士さんたちとも協働して、鮫川村のこどもたちと泰阜村のこどもたちが交流していこうじゃないかと、ここでも熱く語り合いました。

小中学校の頭がやわらかいときにこそ、全国の他の地域のこどもと交流する。

1年間は難しくとも、1週間でいいから交換留学をする。

その交流を通して、自分の足もとの地域を見つめる良質の視点を培えるものと想います。

福島県鮫川村のこどもたちが、NPOグリーンウッドそして泰阜村との出逢いを通して、全国に、そして世界に目を向けて行くことができれば、それが私たちの身の丈である「教育活動を通した支援」になるのだと強く想います。

震災から1年がたとうとしている今、支援=支縁はここからが本番です。


▼鮫川村の山々。ここを除染するのかと想うと途方に暮れます





代表 辻だいち

強い意志

2012年02月01日 | 日々雑感
福島に来ています。

福島県内はレンタカーがどの会社もなぜか満車満車で(復興需要?)、足の確保に四苦八苦しました。

その足で、広野町の原発20キロ圏警戒区域線まで行きました。

ものものしい機動隊と警察のひとびとが行く手を阻んでいます。

さすがに写真を撮るような雰囲気でもありませんでした。

なので、その手前の写真を一枚。





警戒区域の手前には、作業服を着た人でにぎわうコンビニと民宿。

人が住まないほうがいいところに確かに人びとの生活の臭いがありました。

これをどうとらえればいいのでしょうか。

浜通り(福島県の沿岸地域の呼び名)には強風が吹き荒れていました。

この風に乗って禍の元凶が拡散していくのだな~と、ワゴン車やバンがひしめくコンビニの駐車場で空を見上げました。



久之浜、四倉、豊間、薄磯、小浜・・・

いわき市海岸沿いで、津波によって多くの犠牲者が出た集落です。

昨年4月に初めて足を踏み入れてから、もう何度訪れたでしょうか。

あれほど瓦礫でめちゃくちゃだった場所、サンダルや写真が散乱していた場所が、家の基礎を残してきれいさっぱりです。

何もない。

▼豊間集落 すべて海にもっていかれた。



▼豊間中学校 言葉も出ない。



でも確かにここにはひとびとの暮らしの営みがあったのです。

ここに住んでいた人々の暮らしはいったいどうなってしまうのでしょうか。

多くの命が引きずり込まれていったいわきの海。

その海のかなたから聞こえてくる無念の想いに耳を傾け、ただただ佇みました。


▼この海には無念の想いが漂っている






このいわきの街から、多くのこどもたちが信州こども山賊キャンプに参加してくれました。

キャンプへの招待が、私たちNPOグリーンウッドと泰阜村が行う震災支援のひとつです。

今回は、こどもを送り出してくれた保護者の方々とお茶会です。

夏キャンプにも冬キャンプにも参加してくれた小1の男の子のお母さんは、現在のいわきの状況をたくさん話してくれました。

幼稚園のこどもは1日に30分だけ外で遊ぶということ。

しかもできるだけ砂や土には触れずに遊ぶということ。

遊具に触って遊ぶだけということ。

小学生は、長い休み時間は週に2回だけ外に出るということ。

体育の時間は、ほとんど屋内で過ごしてるとのこと。

体育館も陥没して使えないので、すみっこでなわとびをしてるということ。

それでも、こどもは泰阜村での体験が楽しみで楽しみでしょうがないと言ってること。

キャンプに参加した全国の友達から年賀状が来てうれしくて、さっそくお返事を書いたこと。

泰阜村から送られてきたお米がほんとにおいしかったとのこと。

※今度、この親子から届いた手紙も紹介します。



もう1人は、夏と冬、いわきからのこどもたちの招待について、現地でとりまとめを一手にとりしきってくれたお母さん。

一昨年夏、いわきから山賊キャンプにお子さんが参加しました。

3月11日の震災後、連絡がとれずに心配で、4月上旬になってようやく安否を確認できました。

そして4月8日、私はこの少年とお母さんに会いに、いわきまで足を運びました。

そこから、いわきの小さな地域と泰阜村の縁が始まりました。

そのお母さんからは、中学生はさすがに部活などは外でやってるとのこと。

でも、街にあるグラウンドなどはほとんど瓦礫や除染処理物でいっぱいだということ。

そしていわきを襲う度重なる災害を、笑い飛ばす強(したたか)かさも。

福島が抱える様々な状況を聞きました。聞けば聞くほど、こどもたちが苦しい現実に追いやられていることを感じます。

それでも、いわき市と泰阜村に創られた新たな縁を、今後、息長く、豊かに紡いでいこうと熱く語り合いました。


縁をつむいでいく-

「そうしよう」と強く想わなければ、縁は紡げません。

私は「そうしよう」と強く想います。

泰阜村の人々が脈々と営んできた「支えあい・お互い様」の暮らしの文化。

今、泰阜の人々と、いわきの人々が「支えあい・お互い様」で縁を紡ぎ始めます。

この縁、なんて素敵なんでしょうね。

要は「強い意志」です。

強い意志をもって、この豊かで素敵な縁を紡ぎます。


代表 辻だいち