福島県鮫川村。
この村にも連休の合間に行ってきました。
この村には、私たちとの物語がたくさんあります。
鮫川村には盟友の進士徹さんがいます。
この10数年、へき地に住む同じ同志として、常に支え合ってきました。
今回も彼の家に泊めていただきました。
彼もまた苦しんでいる。
(詳しくは、彼のブログを御覧ください。こちらへ)
でも、前を向くために、いろんな作戦会議をしました。
鮫川村の教育委員会に行き、教育長と課長さんたちと打ち合わせ。
進士さんのご紹介で、鮫川村のこどもたちを、NPOグリーンウッドの主催する信州山賊キャンプに招待すること2年。
今年も招待することになり、3年目の打ち合わせでした。
昨年、泰阜村の副村長が鮫川村まで来たこともあり、スムーズです。
何人か来てくれるといいな~。
このキャンプ招待の縁で、実は鮫川村と泰阜村の間には、少年野球の交流試合が実現しました。
昨年、私は泰阜村少年野球クラブの保護者会長。
キャンプ招待のため、何度か鮫川村に通ううちに、鮫川村の少年野球チームと交流祖してはどうかと思うようになりました。
以来、泰阜村の保護者会をまとめ、泰阜村行政からの支援もいただけるよう奔走しました。
そして鮫川村の保護者会や監督・コーチの皆さんとも打ち合わせを重ねました。
昨年8月、鮫川村のこどもたちが遠く福島から泰阜村に来てくれて、交流試合。
こどもたちも仲良くなりましたが、何がよかったかって、保護者同士、コーチ同志も仲良くなったこと。
福島のおかれている状況や、そこに住む人々の声は、信州の山奥ではなかなか触れることができません。
そして、常に「わしらに何ができるんだろうか」と支援をしたくてもできない状況に陥るのが、泰阜村の人々。
でも、「野球をやることが支援になるならば」と思えたことはよかった。
きっと難しく考えることはない。
シンプルなことなんだと想います。
鮫川村と泰阜村にはまだまだ物語があります。
そして、創っていきます。
小さな泰阜村の人々が、これまた小さな鮫川村のこどもの未来を一緒に考えます。
そんなに難しくない。
きっとそれはシンプルです
応援ください。
この村にも連休の合間に行ってきました。
この村には、私たちとの物語がたくさんあります。
鮫川村には盟友の進士徹さんがいます。
この10数年、へき地に住む同じ同志として、常に支え合ってきました。
今回も彼の家に泊めていただきました。
彼もまた苦しんでいる。
(詳しくは、彼のブログを御覧ください。こちらへ)
でも、前を向くために、いろんな作戦会議をしました。
鮫川村の教育委員会に行き、教育長と課長さんたちと打ち合わせ。
進士さんのご紹介で、鮫川村のこどもたちを、NPOグリーンウッドの主催する信州山賊キャンプに招待すること2年。
今年も招待することになり、3年目の打ち合わせでした。
昨年、泰阜村の副村長が鮫川村まで来たこともあり、スムーズです。
何人か来てくれるといいな~。
このキャンプ招待の縁で、実は鮫川村と泰阜村の間には、少年野球の交流試合が実現しました。
昨年、私は泰阜村少年野球クラブの保護者会長。
キャンプ招待のため、何度か鮫川村に通ううちに、鮫川村の少年野球チームと交流祖してはどうかと思うようになりました。
以来、泰阜村の保護者会をまとめ、泰阜村行政からの支援もいただけるよう奔走しました。
そして鮫川村の保護者会や監督・コーチの皆さんとも打ち合わせを重ねました。
昨年8月、鮫川村のこどもたちが遠く福島から泰阜村に来てくれて、交流試合。
こどもたちも仲良くなりましたが、何がよかったかって、保護者同士、コーチ同志も仲良くなったこと。
福島のおかれている状況や、そこに住む人々の声は、信州の山奥ではなかなか触れることができません。
そして、常に「わしらに何ができるんだろうか」と支援をしたくてもできない状況に陥るのが、泰阜村の人々。
でも、「野球をやることが支援になるならば」と思えたことはよかった。
きっと難しく考えることはない。
シンプルなことなんだと想います。
鮫川村と泰阜村にはまだまだ物語があります。
そして、創っていきます。
小さな泰阜村の人々が、これまた小さな鮫川村のこどもの未来を一緒に考えます。
そんなに難しくない。
きっとそれはシンプルです
応援ください。
代表 辻だいち