わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

児童「外で遊びたい」 ~フクシマからの叫び~

2011年06月08日 | 日々雑感
 前回のブログでお約束したフクイからフクシマの新聞記事です。

児童「外で遊びたい」
厳重 夏日も長袖登校
「第一」から60キロ圏郡山


 登校する児童はマスクに帽子、長袖、長ズボン。わずかに見かけるスカートの女児は、タイツや長い靴下ですっぽりと足を包む。中には手袋をしている子どももいる。歩道脇には満開のツツジが咲き誇っているが、厳重に身を守る姿は、冬場に流行するインフルエンザに備えているようだ。
 5月半ばの福島県郡山市薫小。この日の最高気温は28度に迫った。

 郡山市は福島県で人口が2番目に多い34万人。「東北のウィーン」「”楽都”郡山」と呼ばれ、緑豊かで文化の薫りが漂う。東北自動車道と東北新幹線が南北に磐越自動車道が東西に貫く。福島第一原発からちょうど60キロ。
 薫小は4月の放射線量測定で市内の小学校で唯一、国が屋外活動を制御する1時間当たり3.8マイクロシーベルト(年間積算量20ミリシーベルト)を記録した。「原発から離れた郡山にとって事故は対岸の火事と思っていた」。森山道明校長(55)は数値を聞いた瞬間の衝撃を忘れらない。
 市は、国より厳しい独自基準を設け、同月下旬に薫小など28の幼・保育園、小中学校の校庭・園庭の表土を除去した。しかし、除去土は処分場近くの住民の反対に遭い、行き場を失った。児童の歓声が聞こえなくなった校庭の片隅で、除去土を覆ったブルーシートが初夏の日差しを浴びて不気味に輝く。

 学校生活は一変した。体育の授業はすべて体育館内。校舎の窓は閉め切ったままだ。運動会やさまざまな課外活動は中止や延期になった。地場産給食、学校菜園での野菜づくりも取りやめ。恒例の6月の大掃除は、新学期が始まった4月に「除染」として行った。
 震災後、児童30人が県外へ避難した。「友だちといたい。違う学校に行きたくない」。転校する児童は泣き叫んだ。安田葵さん(6年)は「今残っている友だちとは遊びの話ばかり」。つらくなるから震災や原発の話には触れないとう。
 表土の除去後、校庭の線量は大幅に減少した。しかし、放射能に対する保護者の不安の声がなくなることはない。

 薫小と同じく、グラウンドの表土を除去した郡山市大島小。2年の橋本沙菜さんの父徹さん(38)は。放射性物質を吸収するとされるヒマワリの種をようやく手に入れ、庭で育てている。種は今や貴重品。少しでもできることから始めたいとの思いからだ。
 県外に親類もいるが、寂しい思いやふびんな生活をさせたくないから沙菜さんを預けられない。かといって、こうして郡山に残しているのも不安だ。
 「もし将来、沙菜の体に異変が出たら、絶対原発事故のせいにしますね」。結婚、出産・・・。20年先、30年先・・・、不安は尽きない。しきりにまとわりつく沙菜さんがたまらなくいとおしい。
 その沙菜さんが精いっぱいの言葉をつなぐ。「お友だちがいっちゃったからいっぱい泣いたの。暑いからマスク嫌い、長袖嫌い。早くシーソー、ブランコしたい。先生は『お外で遊ばないように』って言うけど、『いやっ』っていうと友だちがだんだん増えてるんだよ」


▼新聞記事(写真をクリックすると拡大できます)




「放射線の雨」おびえ
やはり事故は人災
戸惑う学校


 日曜日、郡山市内のグランドを走っていた郡山三中陸上部の部員が突然練習を切り上げ、軒下に集まった。雨が降ってきたからだ。「生徒を雨にぬらしてはいけない、と学校から強く言われている」と五十嵐正広顧問(42)。息子を車で迎えに来た母親が「子どもを助けに来ました」とあいさつをする。しかし、既に自転車で帰宅してしまったことを知ると、みるみる表情がこわばった。
 校舎に水をかけてきれいに除染後、学校が側溝にたまった水の上で放射線量を測定した。すると、線量計は計測上限の1時間当たり9.9マイクロシーベルトを記録し、ブザーが大きく鳴ったという。これから梅雨時期。雨はいったいどれくらいの放射性物質を運んでくるのか。おびえる日が続く。
 陸上部副部長の橋本蘭さん(3年)は「放射能は目に見えないし、不安だけど最後の大会に向け取りあえず練習する。放射能に色が付いていたらわかるのに・・・」。原発は詳しく知らなかったが、新聞やテレビが事故一色となったことで自然と知識を蓄えた。「事故前に福島原発を危険だ、という人もいたんですね。やっぱり事故は人災だと思う」


 この記事に掲載されている学校にこどもを通わせるお母さんと、郡山でお話をしてきました。
 他人事にはできません。

代表 辻だいち



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