緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

黒潮をさかのぼって紀伊半島を巡る旅 4日目 帰路

2018-04-27 10:33:41 | 日記
 ぐっすりと眠れたせいか朝は早く目が覚めた。道路を渡って、白浜海岸に行ってみる。本当に砂が白い。白いといってもクリームベージュといった感じの色なのだが、まだシーズン前のせいかゴミもなく綺麗だ。スマホを持っていなかったので、車に戻り朝ごはんにする。朝ごはんは昨日買った柿の葉寿司だ。柿の葉の包を解くと鮭を乗っけた直方体のご飯と、鯖を乗っけた直方体のご飯だがどちらもしっとりと美味しい。あと大きないちごを2個食べた。歯を磨いたり顔を洗ったりしているうちに、霧がでてしまって綺麗な海岸は撮れなくなってしまったのだが、せっかくなので写真を撮る。
 帰路であるが最初は和歌山市から奈良県を抜けて帰ろうかと思ったが、高速代金が1万円以上も超えてしまうので、往路と全く同じではなく、一部熊野の山の中の方を通って帰る道にすることにした。ナビに従って山間部に入っていくと、ほとんど走っている車はない。トンネルも長くはないが結構多い。春の穏やかな日の朝車の少ない道をのんびりと快適にグミを食べながら進む。そのうちに急に山間部とは思えない幅の広い川が眼前に広がってきて、予想もしていなかったので驚いた。いすゞ川もそうであるが、砂州の幅が広いゆったりした川だ。その川と付かず離れず進んでいく。途中で綺麗そうなトイレと見られる建物があったから、トイレ休憩すればよかったかなと思いつつ、先を急ぐと広い駐車場を伴う大きなお土産物屋に出会う。そこで車を止めてトイレを使おうかと思うが、まだ9時になっていないためか空いていない。10分ほど待って中に入ってトイレを済ます。その建物は川沿いに建っていて、階段から降りると川下りをするための乗船場になっているようだった。そこで初めてこの川が熊野詣でをした人たちが川で帰るのに使った熊野川であることを知る。川の水の色がコバルトブルーで綺麗だったので「熊野川って水の色が綺麗ですね。」と店員さんに言うと「ダムが放流しているので、綺麗でなくなってしまいました。」という、ではダムがなかったらどれほど綺麗だったのだろうと思う。
           
           
 そこで、新宮市よりもっと北の熊野市とか尾鷲に抜ける道はないのかな?と表示してある地図を見ると、通行止めになっているようで新宮市で海沿いに出るしかなさそうだった。柑橘類の缶ジュースを買って飲んで再出発だ。そしてどうせ熊野を通るのなら、行きに時間外で見れなかったウミガメ公園によってみることにした。
               

               
   
               ウミガメも鯉と同じで人が近くに来ると、餌をくれると思うのか寄ってくるような習性がある。ウミガメにはアカウミガメとアオウミガメがいるそうだ。そして、世界最大の亀であるアーケロンの大きな剥製も置いてあり、なかなかみどころがあった。亀仙人のように亀の甲羅を背負ってしゃしんをとれるようにもなっていた。ウミガメ公園によれたので、体験できなかったのは紀州博物館ととれとれの湯ということになる。熊野三社神社にもお参りできなかったが。大きなところはその二つである。後は一路4時帰着を目標にトイレ休憩しながらひたすら高速を走る。途中伊勢湾道のSAで松坂牛コロッケとコーヒーを飲んでお昼にする。次第にガソリンの量が気になってきたので、浜松のSAで10Lほど給油をする。そのSAでは海老名までと書いたダンボールを持った若者がヒッチハイクをしていたが、沼津で降りるのでスルーをして通り過ぎた。そういった場合もう少し短い距離で方面を示せばもっと乗せてくれそうな人が見つかりそうなものだが、と思った。布団とか荷物も多いのでなかなか人を乗せる余裕はないし、沼津でもいいよと言ってくれてとしても目標の帰着時間に遅れてしまうので、スルーした。
 ほぼ予定通り、高速を降り246に入って、旦那の家によって長座布団を下ろして家に戻った。

黒潮をさかのぼって紀伊半島を巡る旅 3日目の車中泊

2018-04-26 08:43:42 | 旅行
 南方熊楠博物館を出たあと、お楽しみのとれとれの湯ととれとれ市場に向かう。すごく広2~3ヘクタールはあろうかという広い長方形の駐車場が道路に沿ってあり、道路と垂直な感じでとれとれ市場があり、とれとれの湯は平行な感じで建物が坂を上った先にあったが、とれとれの湯の方に車が止まっていない、スマホで確認するとそこも臨時定休日で、またしてやってしまった/(-_-)\というかんじである。仕方ないので、とれとれ市場の中を見て回って、そこで和歌山ラーメンでも?と思ったけれどやはりクエが食べてみたいなーなど思っていたので、そこでは柿の葉ずしといちごを買った。そしてお風呂もその近くにもあったが、どうせだったら泊まる近くの方が良いかもと思い、車中泊予定のはまゆうしららはま公園へ向かう。公園といっても、公共施設に付随した駐車場のようなところだが、道を挟んですぐ白浜海岸が広がっているところである。
 公園に着くと車はほとんど泊まっていないので、トイレの一番近くに止め、暗くなってから止まる準備をするのは大変とわかっていたので、明るいうちに昨日の教訓を活かし、助手席側を座布団などで平にして、長座布団を敷いて寝床にすることにした。寝床の用意ができたので、お風呂に行こうと思い、白良湯の場所を確かめる。とにかく足が痛いのであまり歩きたくない。すぐ近くにあるようなので、着替えとタオルくらいで向かった。すぐ見つかったのはいいが、昭和いや大正時代のものか?と思われるような木造二階建てで、一階は床が広がるのみで、玄関に鍵付きの傘立てがあり、雨が心配で持ってきた傘をそこに立てて、あがるとコインロッカーがぽつんと置いてある。もしや、上の浴場階にはかごのみなのだろうか?と不安になった。確かめるために一回うえにいくのも足の痛みでしたくなかったので、普通の100円帰ってくる式のロッカーだろうとなんとなく思い込み貴重品を入れて、その後開けてみても、100円は行ったきりだった。もっとよく確かめるんだったなと思ったが、あきらめて上に行くと、とりあえず、鍵付きのロッカーはあった。料金も420円と安いのだが、普段行く日帰り温泉と違い、石鹸もシャンプーも置いていない。それは予想していなかったので持ってきているのはタオルのみである。仕方ないのでお湯に浸かるだけ浸かることにした。利用しているのは近隣に住むと思われるお年寄りばかりだった。洗ったりもしないので、すぐに出た。そして近くのファミマで洗顔料などを買って戻ることにした。その時九時がひけてグミをもらった。車に戻り夕食どうしようか?と思う。公園の隣にはクエ料理店とかあるが、営業していない。仕方ないのでちょっと先のラーメン屋に行った。和歌山ラーメンと白浜ラーメンというのがあり、タイでだしをとったという白浜ラーメンの方にするが、なんだかあんまり美味しくない。車に戻ると、2台くらい車が増えていた。することもないのですぐ寝た。前の日が寝付かれなかったり、早く起こされたせいか直ぐになむってしまった。そして8時ころ電話の音で目が覚めた。旦那からでいればいいよ。という電話だった。メールに気づかずに返していなかったようだ。電話で起こされたのですこしねつかれなかったのだが、しばらくしてまた眠ってしまったようだ。

黒潮をさかのぼって紀伊半島を巡る旅 3日目 南紀白浜

2018-04-25 11:02:20 | 日記
 お客が私しかいない売店で梅干が350円と安かったので買う。そして、一路南紀白浜へと向かう。最初は紀伊博物館があるという平草原公園だ。ついてみると、全然人気がない、休館日だったのだ。南方熊楠博物館はちゃんと休館日をチェックしてあったのにここの休館日チェックを忘れてしまって、/(-_-)\と思う。が仕方がない南紀白浜を一望するというので痛い足を引きずりながら展望出来ることころまでいって、とりあえず写真を撮った。
 車に戻りナビを「さんだんかべ」と入力するが該当するところが出ないので、仕方なく地図上で近くの駐車場に設定した。後でわかったのだが、「さんだんぺき」と入力しないといけないようだった。三段壁は無料駐車場があり、そこに行く間のお土産物屋が結構果物など安そうであった。ついてみると地上からはよく見えないが、お土産物屋の建物にエスカレーターがあり、1300円払うと中の懐中洞窟まで降りられるそうだが、1300円まで払って行ってみたいとは思わなかったので、駐車場に戻りながら3個で確か100円の瀬戸香かなんかの果物を買って千畳敷に向かう。
 千畳敷とは.「新第三紀層の砂岩からなる、太平洋に面したスロープ状の岩盤である。砂岩は非常に柔らかいため、打ち寄せる波の浸食を受け、複雑な地形を形成している。 その広さはおよそ4ヘクタール」となのだそうだ。千畳敷も無料の駐車場があった。そこに止めて下に降りて見ると砂岩で柔らかいせいか、落書きなどもほってあった。海沿いまで行きたくもあったが、なんにせん前日の那智の滝めぐりで足が傷んだのが治っていないので諦めて、駐車場のところにある一階土産物屋二階レストランのレストランで海をみながらお昼を食べることにする。せっかくなので、グレの唐揚げ定食にする。いろいろなオカズがついていて1000円くらいなのでお得感があった。
                     
 食後熊野三社神社に向かうが、どうも車では行けない場所にあるっぽいので、あきらめて円月島の見えるところに向かう。車をとめて写真を撮ろうとしたら、撮ってくれるという人がいたので円月島を背景紙にして撮ってもらったが、風で乱れた髪を直そうとしている手が顔にかかって写ってしまっていた。
 とりあえず円月島の写真は取れたので熊楠博物館に向かうが、駐車場にくると赤信号がついているものが置いてあるので仕方なく車をとめて、坂道の入口に杖が置いてあったのでその杖を使いながらやっと上に上がると、なんと上にもう車が止めてあった。あの信号はずーっと赤ではなく緑にも変わったらしい。出て帰るときどっちから上がってきたかわからなくなったので、一緒に降りた人の話でわかった。その人は仕事でよく海外に行くという中年の女性でマイルがたまったのでそれを使い、南紀白浜まできたのだそうだ。南方熊楠という人は写真を見るとなかなかイケメンである。そして一生いろいろな研究をしたり、自然保護運動などをして生涯を終えた人であるらしい。お金がなければできないような生き方である。今で言うとちょっと障害もあったのではないかと感じられるような天才だ。何ヶ国語もすぐにマスターできたらしい。一番印象に残ったのは、彼の書いた腹案という大きな紙にいっぱい言葉を書き散らしてそれを結んだ図である。今で言うマインドマップみたいなものを既に考案してそれを使いこなして思考していたんだな。天才と言われる人はやはり時代を先取りしているのだなと驚いた。

黒潮をさかのぼって紀伊半島を巡る旅 3日目 串本水中公園

2018-04-25 10:26:28 | 日記
 道の駅の横を通る車の音でなかなか眠れなかったのだが、朝大粒の雨が車の屋根を叩く音で目が覚めた、時間を見るとまだ4時雨音を聞きながら2度寝を試みる。朝6時に起きてみると雨が止んでいたので、起きて寝ていたところを片付けたり身支度を始める。道の駅は橋杭岩のある海岸べりにあって、その海岸に降りていけるようになっていた。着いた時はもう暗くて見えない景色だったので、塩が引いていたのを幸いに下の海岸まで降りてみることにした。かなり大きな岩の方まで、平で歩いていけそうに見えた。
 食事を済ませ、一路串本水中公園に向かった8時には付いたけれど、開園まで一時間近く待たなければならなかった、結構波が高い。駐車しているのは私の車一台だけしかなかった。開園少し前に波が高いので観光船は出ませんという掲示がされた。せっかく乗ろうと思っていたけれど仕方がない。入ってみると南の珊瑚礁の海の中が再現された水族館だった。
    水中展望塔は海の中にある、そこまで桟橋を歩かなければならないので海が荒れていて波が高いので少々怖かった。海が荒れていると水中も撹拌されてしまっているのか、薄ぼんやりと、時々魚影が見えるくらいで水族館で見れるような珊瑚礁が広がる景色が見れなくて残念だった。でも、その前に3Dで串本の海中の四季という動画を見れたので、まあ良しとする。串本町の潮岬より西側の海は日本で最北の珊瑚礁がひろがっているのだそうだ。

黒潮をさかのぼって紀伊半島を巡る旅 2日目 トルコ記念館 潮岬

2018-04-17 10:18:03 | 日記
 本当はじっくり見たいところだが、今日の予定はあとトルコ記念館、潮岬があるので一通り見て、食事をして次に向かおうかと思ったら駐車場を出たところにあるレストランは1時半がオーダーストップとなっていて、しかも室内で工事をしているようだった。全然商売気を感じない、ウィークデイだからだろうか?仕方ないので朝食べる予定だった野菜果物ジュースとバナナとクリームをはさんだビスケットを車で食べて、次の目的地に向かう。トルコ記念館は紀伊大島という島にある。紀伊大島は砂州がつながって出来た半島から少し離れた島で、海中の橋でつながっている。トルコ記念館とは今から約125年前に日本に友好のためにオスマントルコから派遣されたエルトゥールル号が大島の灯台近くで座礁沈没した海難事故を大島の人たちが自分たちの生活を顧みず必死の救助活動を行い、それが日本とトルコとの友好の始まりとなったことを記念して建てられた記念館である。1985年のイラク危機の時に日本が救援機を送らないでいるところを自国民より日本人を優先して救援機をトルコた送ってくれたということだ。
 トルコ記念館を出て、もう少し先に行くとトルコの物産店があったので、トルコアイスを食べたがもっちりした感じだった。そしてもっと先に日本の灯台を設計した英国人技師のための官舎が100円で見学できるようになっていたので、100円払ってガイドさんの説明を聞いた。どうにか崖をよじ登って助けを求めたトルコの人たちがここで暖をとったという暖炉あとなどがあった。その後潮岬に行くと、タワーがあったけれどそこはもう時間でしまっていたのでその前の広い芝生をなるべく海側に行って写真をとったりした。するとちょっとした建物があったのでなんだろうと思って入ってみると、昔串本町の人たちがオーストラリアに白蝶貝などを採取に働きにいっていたのだそうだが、そのことを記録した展示がある記念館のような施設だった。過酷な労働や差別待遇などもあり大変だったようだ。潮岬灯台は駐車場だけで300円で中も見れないので、遠くから写真だけをとった。 
 潮岬から串本町の温泉施設にナビを設定すると、他にももっと近そうな道があるのに、元来た道を示すので、知らないところだからと思いナビに従ったが、ナビでは行けることになっている道も実際は進入禁止だったり、車一台が通るのがやっとの道が多く、ナビの地図を見ながら結局自分で判断してどうにか温泉に入り、そこで飲食店の案内パンフレットを貰い、ナビが上手く案内できないが、地図をみながら地元のファミレスみたいなところで、漁師丼を食べた。その後ちょっと飲み物でもと24時間営業というスーパーに行ってみたら、紀伊半島の先で交通の便が良くないせいか、商品価格が高めだった。その後2日目の宿泊地橋杭岩道の駅にいった。いよいよ初めての車中泊だった。もう暗くなっていたので準備をするのが結構大変だった。なんとなく道側に止めたら、夜遅くまで通る車の音と、足元にハンドルがあるのが邪魔でなかなか寝付かれなかった。