緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

今回、癒えかけていた傷の上に塩を塗られた件について私は許せるのか?

2024-05-27 05:04:39 | 家を建て替える

昨日はかなり、お互い本音を話せたのかも知れない。

差し入れをとりにきてくれたS氏に差し入れを持って行く前にアパートの前で、彼に対してかなり酷いことを言ったと思う。自分が感じていたままの「偽○者」とかもっと酷い言葉も投げつけた。彼の目が泳ぐと「目をそらさない」とも言った。かなり感情的になっていたと思うが,じっと耐えて聞いてくれた。20代とはいえ,大人に対してしかも外で言ってしまった。でも、言えずにいられなかった。そう思ったままの言葉をぶつけることが、私の心の傷の回復に繋がるのだろうか?

 彼に、なぜ本来感謝すべき私に感謝が湧かずに、片付けを手伝ってくれた人への感謝ばかりが湧いたのか?理由をよく考えて答えて欲しいという答えをきちんと考えて答えてくれたのは、S氏の誠実さの現れではると思うが、やはりその答えは聞かなかった方がよかったのかもしれない。

理解しているつもりで、本当には理解できてなかった。寄り添っているつもりで、寄り添えてなかった。もし、ちゃんと理解し、施主である私に寄り添えていたら、据え付けの日最初に私に対する感謝が湧いたと思う。という答えはやはりショックだったが、彼がその事実にたどり着けて事は良かったことなのだろう。

 一度引っ越しが済んだあと、「あなたは共感的理解ができてなかった。」とS氏に言った。S氏の上司はそれが出来る出来ないは生まれ持ったものなんじゃないか?と言った。彼は共感的理解が今後出来るようになるのだろうか?

 あんなに、解体前に過酷な片付けをさせてしまったことを反省して、変わる事と私に対する挽回を誓ったはずなのに・・・自分が私を傷をつけてしまったから、自分があまり私にたいして接触しない方が私のためにいいだろうと思い、自分からの働きかけを控えていたともいっていた。

 最初の頃こそ困っていることはないですか?とか声を掛けてきてくれて、なるべく住みづらい仮住まいで暮らしやすくなるようにと気を使ってくれたりはしていたが、その後は事務所からこんなに近いのだからたまには様子を見に来てくれたりしてもいいのにな?とも思ったが用事のあるときしか訪問はなかった。ラインもこちらからの返事はあるが、彼からはなかった。その理由を聞いた答えがさっきの、自分が傷つけてしまった本人だから・・・と言ったこたえだった。果たしてどちらがいいのか私にはわからない。

 家が建ったらさっさと忘れておさらばしたいようなハウスメーカー営業と施主 お互いこのままではそうなりかねないと思う。既に家が建つ途上でそんな感じもあるのだから・・・

 私も少しずつ、家建て替え以前のようなのんびりした日常を送れるようになっていくにつれ、意識的に辛かった体験とこみになっているS氏の事を忘れようと努力している部分もあった。とはいえ、誕生日には気に入るようなペンダントトップ用のチェーンを探してあげたり、送迎してくれたときにお茶をわたしたり、近くの公園の見所を教えて上げるくらいのことはしていた。

 彼は契約するまでは一生懸命に施主の家を建てたいという気にさせておいて、いざ解体がはじまるとか家が建つまでの課程が始まるとサポートはいい加減。そんなハウスメーカー営業であっていいのだろうか?若いってこんなに純粋?って思うような好感がもてる面もあっただけにそれは残念な気もする。

 彼が私に感謝出来なかった理由は、彼の私に対する罪悪感のなせる技だったのかも知れない。なので、罪悪感をもたないK氏やMさんに対しては素直に感謝が湧いたのだ。

 罪悪感は人間関係を遠ざけてしまう。なので、せっかくのおめでたい日に、本来喜びを共にすべき相手と喜びを共に出来ず、私は未来を見、彼は自分が私を傷つけていない過去の楽しかった僅かな体験にだけ目をむけ、それを追体験したくてお礼をいいたかったのだろう。つまり罪悪感から目を背けたかったのだ。困難からは逃げたいタイプの人間なのだろうか?

 色々、何のために大金をはたいて家を建て始めたのか・・・辛く嫌な思いをするため?等と考えていたのだが、

最後に、いつまでも私が被害者スタンスで居ても生産性がないので、彼にタッグを組み直そうという提案をしたら、ある程度すっきりして眠りにつくことができた。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿