緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

S氏メンタル強くて良かった

2024-05-27 11:02:38 | 家を建て替える

 昨夜も色々、マイナス思考が噴出してそれをそのままメールでだらだら垂れ流しをしていたが、最後ちょっともう過ぎたことは仕方ないので、いつまでも被害者モードは止めようと思ったメールを出して、昨夜より早く寝付けたが、目が覚めたのは4時台であきらめてブログの更新をしていたら、結構時間が過ぎていた。でも、食欲が湧かないので、コーヒーに牛乳を入れて電子レンジで温めて飲んだだけだった。

 出かけるので、面倒で嫌だなと思いつつも、しぶしぶ8時台にBBクリームでメイクをした。松田聖子とかああいった人は娘が亡くなって辛いときとかメイクするのも良く出来るなと思いながら。

 8時半頃あれだけ偽○者とかサ○○○スとか昨日酷い言葉をぶつけたS氏メンタルやられてないだろうか?と心配で事務所に電話したら、ちょうど、S氏がでたのでほっとした。

 寒いから、もう一枚グレーのパーカーを重ね着した。9時には迎えに来てくれた。行く途中で、なるべく具体的理由を挙げて毎日10回はありがとうを言ってほしいと提案した。そうすれば感謝の心も自然に湧くだろうからという理由だ。着くと今日は沢山の大工さん達の車が駐車されていた。S氏が車を移動している間、朝、家を見に来れるよと電話連絡しておいたTさんを迎えに行った。

 家の中に入ると,大工さんからヘルメットを被って欲しいと言われ、S氏がヘルメットを持ってきてくれた。私は後ろのベルトみたいなのを必死ではずそうとしていたが、そこはそのままでいいようだった。

 Tさんは、ご主人と私の家を見ながら「家の配置がちょうど私の家の影にならずに東からの光線が入ってきて絶妙だね。」とか「LDK少しも狭くないよ。」とかほんとに色々家を褒めてくれた。あと、家の隣側から見ると木々がこういう風に見えるんだねとかそんなこともいっていた。昨日に引き続き、もし物置を置くとしたらどこがいいかなどという話もした。西北の空き地をちょっと隠したいものを置くのにもちょうどいいんじゃない。などとそんなことをいいながら立て途中のハウスツアーを楽しんでくれた。北側に和室を置いてある部屋を見て、ここを仏さんの部屋にするって言ったら、おじさんも部屋ができてよかったね。きっと喜んでいるよといってくれた。新しい家を見に行くのが大好きなのだそうだ。私以上に私の家が建つことを楽しみにしてくれている様子に、沈んでいた気持ちもなんとなく明るくなってきた。そして同じ木造ハイムに住んでいるので、「ハイムは高いなと思ったけど、アフターケアが充実しているからいいよね。メンテナンスの方法とかも教えてくれるし。」とか、「空気工房のお陰で湿気がなくて床がさらっとしている。」とか、ハイムのいいところを、盛んに言ってくれた。なので、私もだんだんハイムの選択は間違っていなかったのかな?と思い始めた。S氏は私がTさんは盛んにS氏の愚痴を聞いて貰っていた人だと聞いていたので、「もっとしっかりしないと駄目。」とか言われてしまうのではないか。と危惧していたようだがそんなことは全くなかった。私が今日いいなと思ったのは、車庫がなくなって、以前より北側と東側の窓からの光が良く入って寝室が明るい事だ。

 Tさんは自分たちが家を建てたときは息子が社会人になって住むって言っていたのに、彼女が出来た途端さっさと家を出て行ってしまい。こんなに大きな家は要らなかった二階の一部は持って行って欲しいくらいだ。とか言っていた。未来を予想して家を建てても想定通りには中々行かないといい、なのでせっせと孫に泊まりにきてもらうといっていた。Tさんに昨日S氏に酷いことを言ってしまったんだ。というと「大丈夫。大丈夫。ああいう人達は。私も仕事していたときは、サービス業だからって割り切ってそういう言葉聞いていたから。」と言った。確かに私もそれは同じ体験をしていた。

 Tさんはいつもこちらがマイナス思考的な事を話をしても、でもさぁと前向きな切り返しをしてくれる人である。一人っ子で大切に育てられて、お婿さんをとり、夫婦仲もいい感じにみえる。仕事と家庭の両立など色々苦労はあっても、両親のサポートもあり基本幸せな人生を歩めてきた人ならではの明るさなのだろうなと思う。

 S氏も設計図面片手に、「ここが凹んでいるのはなぜ?」とか「このホースは何なの?」といった質問に答えてくれているのを見て、ああ同行するってこういう意味だったのか・・・と思った。

 

    少し前にS氏に対する不信感満載な時は、『家を見に行くときは,分からないこともあって不安に思ったりもするだろうから、事前に分かれば同行する。』の言葉も、どうせ施主に何か突っ込まれたときの対策だろう。とわが家作りの敵と見なしていた。なので、家をきちんと業者側のいい加減な施工から守るには施主である私が頑張らないと無理だ。とハイム側に警戒感を抱いていた。ただ、職人さん達にはしっかり家を建てて貰うために差し入れとか施主として配慮していこうと思っていたが、私にとってハイムは敵だった。不信感とかさぷたを剥がしてくれたS氏に憎悪を抱きながら家づくりを進めようとしていたのだった。Tさんが一緒に家を見てくれて、色々褒めてくれたことが、やはりこの選択は間違ってはいなかったかもしれないという気持ちに傾けさせてくれた。でも、まだまだ警戒は怠れないと思う。再度嫌な思いをさせられて、食欲も回復していないし、寝付きもまだまだ良くないから。S氏の嫌だな、駄目だなと思ったことはすぐに指摘するように心がけようと思う。早く、大船に乗った気持ちで家づくりを進めたいものだ。

 ふと、思ったのだが、片付けているときに『今日は○○を捨てた。』とかラインで連絡すると『ありがとうございました。』とか返信があるのを、自分の家の建て替えのために自分の家を片付けるのにHM側からお礼を言われるのも何かおかしいな。と思いそういう風にS氏に言ったことがあるが、S氏も本音はそういう風に思っているので、私が家を苦労して片付けたことも本来施主の責任だから当たり前だろうと思い、どんなに苦労をして片付け終えたとしてもそれに対しては感謝の気持ちが湧かなかったのではないかとふと気づいた。なので、感謝して欲しいと感謝を強要するのは変な話であるかもしれない。しかし、やはり施主が片付けきれなかったら無事予定通りの着工というわけにはいかないのだから、やはりHM側がそこは顧客に対して感謝しないといけないところなのだろうか?

 


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