S氏、肝心なところがちっとも理解できないのはどうしてなのだろうか?一見、人に配慮している、心配しているような言動はよくしているが・・・やはり自分中心?することの根本動機が、自分がいい人でいたい。自分がいいことをして満足したい。頼られて自己肯定感を高めたい。自分が人から感謝されたい。自分が人から好かれたい。ちやほやされたい。だからなのだろうか?
私の「感謝の方向の違いはなぜか」を読んで貰って「やはり、私に対する感謝が足りていなかったと思う。」とそこは認めている。それはなぜなんだろうか?片付け引っ越しといった本来施主がやるべき事をやりきれない情けない施主と見下している部分があったのではないかと思う。私が出来きれないばかりに、自分も通常業務以外に加えて手伝いをしなければならなく不本意だったかもしれない。それでも中には助かった事もあったが、どうみても真剣味あったの?と感じるお手伝いも多かった。つまり、一緒にやりきろう的な当事者感がないことが多かった。当事者感が感じられたのは、車庫の一階二階と二人で分担して片付けた時はきっちりやって貰えたと思う。その後の出てきたスプレー缶の処理も多少遊びつつだがやっていたし。「あなたのやった事、また結局物を元のところに戻さなければならなくて却って手間でしたよ。」とか指導すればよかったのか?私にはそんなことまでする余裕も元気もなかった。軽率さを感じる。施主の心や気持ちも理解できずに、家づくりのチームメイトもパートナーもないものだろう。深く自分の事を顧みて貰いたい。
こちらが、気を許して世間話なんかできない営業氏である。そんなことしてたら、今のままの自分で許されると勘違いするだろう。せめて人の神経は逆撫ですることなく、疑問に答えるとか要望に応えるとかその辺をとりあえずは一生懸命やってほしいものだ。甘やかしてはいけない人間それがS氏だ。
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