カワセミ
近頃よく訪れる干拓地で、冬の猛禽の登場を待っていると、予期せぬ鳥がふと姿を見せてくれることがある。カワセミもその一つで、隅っこの水路の脇に止まっているのを見つけてから、猛禽を待ちくたびれた時にカワセミの様子を撮影したりする。ただ、結構離れた所から、それも車の中からでないと撮影出来ず、少し角度を変えたいと思って車から出ると人影に敏感に反応して飛び去ってしまう。
たまたま同じ場所を通り掛かったバーダーと情報交換をしていて、一昨年までどこかの公園の池に非常に人馴れしたカワセミのつがいが現れていたというのを聞いた。人が座っていると、すぐ横に止まることがあったり、居並ぶカメラマンの前で雄が獲った獲物を雌に渡す求愛の行動まで見せていたそうだ。そんなに馴れたカワセミなら一度撮影したいと思って今の様子を尋ねたら、残念ながらつがいの一方が「お亡くなりになって」昨年は一度も姿を見せなかったという。
「飛ぶ宝石」とか「水辺の宝石」と呼ばれるカワセミを、ゆっくりと近くから撮影したかったという気持ちもあったのでいかにも残念なことだが、野生で生きている生き物が寿命や猛禽に襲われたりして落命するのは良くあることだろう。カワセミのような用心深い鳥が人馴れしてくれる環境がある場所ならば、そのうちまた新しく同じように人を警戒しないで近づいてくれる鳥が現れてくれるだろうと期待することにした。
人馴れしたカワセミということで思い出したのが、随分前に、海外協力でバングラデシュに滞在していた知り合いの若い大学生からもらったメール。バングラデシュでは、用水路や川の岸辺で頻繁にカワセミを見掛けるというのだ。人がいてもそれほど逃げることも無く、結構近くから軽い望遠レンズで撮影できるとのこと、おそらく150mmくらいで撮影したカワセミの写真を送ってくれた。水田地帯の濁った水路の岸にとまって、じっと水面を見つめているようだった。カワセミは山奥の清流でないと住めないと聞いていたのに、何故こんなに濁った水路しかない水田地帯にたくさんのカワセミがいるのだろう?とメールは尋ねていた。
大事なのは水が澄んでいることではなく、生きて行くための餌となる魚がどれくらい居るかということなのだと考えて、「日本では山奥の清流にしか魚がいなくなったけど、バングラデシュでは濁った水路にもたくさんの魚が居て狩りができるからだろう」と返した。確かに、最近は日本でも干拓地や住宅地の人気の少ない水路、山が近い公園の池などでもカワセミを見ることができるようになった。おそらく日本の農村でも、カワセミやヤマセミのような水面近くを泳ぐ魚を飛び込んで狩る鳥たちが、昔はもっと身近に普通に見られたのだろう。人が彼らを大事に思って、彼らの生活を邪魔しないように心掛ければ、一度は幻になってしまった野鳥たちも現代の人間が住む環境の中に少しずつ戻ってくれるのかも。是非そうなって欲しいものだ。