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御巣鷹山

2021-08-12 | 日記

今年も「御巣鷹山」の名がニュースに乗って聞こえて来た、初めてその名を聞いたのが36年前だったということも。日本航空ジャンボ機が墜落し520名が亡くなった事故だ。夕方に羽田を飛び立ってしばらく後に行方不明となり、夜になって群馬・長野の県境が接する辺りの山麓が燃えているのを見たという情報が入ったが、次の日になるまで正確な場所が特定できなかったことを思い出す。朝になって人が山に登って行って初めて場所を特定できたが、なぜ空から見つけることが出来なかったのか不思議に思った事故だった。

 毎年この時期になると、この「御巣鷹山」の事故の追悼のニュースが流れるが、なぜか他の航空機事故に関してはニュースを聞かない。ローカルニュースでは流れているのだろうか。調べてみると、雫石上空での全日空機と自衛隊機の空中衝突事故からは丁度50年になるようだ。50年前、約8000m上空で自衛隊機が旅客機に追突し、戦闘機パイロットはパラシュートで脱出したが、旅客機は墜落途中に空中分解し162名全員が無くなったという事故、当時の防衛庁長官が責任を取って辞任したという大事件でもある。4000m付近でバラバラになったと推定されている旅客機に乗っていた犠牲者はかなり広い範囲に落下したという痛ましい事故で、遺体の損傷はかなり凄惨な状態だったという。

 7月30日と8月12日、年は違うが日付の近い2つの事故。片や羽田を目指していた旅客機で他方は羽田発の旅客機で、同じように首都圏の乗客が多かったと思われる。確かに520名という犠牲者はかなり多いけれど、毎年「御巣鷹山」が事故の概要を含めて全国ニュースで報じられるのと対照的に、「雫石」での事故や慰霊行事のニュースはほとんど聞いたことが無いのを不思議に思わされる。「雫石事故」を報じることで、必然的に、後ろから旅客機に衝突した自衛隊機の責任があらためて浮き上がることを避けようという「忖度?」が働いているのだろうかと深読みしたくもなる。

 御巣鷹山の事故から36年、今はジャンボ機も旅客機としては姿を消した。航空界も「一度に多くを運ぶ」ことへのこだわりを捨てたようだ。「雫石」の前にも何度か起きていた航空機墜落事故、調べると1966年には1年間に国内での墜落事故が5件も起きている。うち4件は旅客機で、乗員乗客全員が亡くなる事故、「松山沖のYS11墜落事故」では新婚旅行に向かう多くの新婚夫婦が亡くなっている。御巣鷹山の墜落事故から36年、その間に不時着や着陸時の事故は起きたが墜落・全員死亡という航空事故は国内では起きてないように思う(小型機やヘリコプターでは起きているが)。旅客機の安全性と運航における安全確保が進んだことを感じる。「御巣鷹山」のニュースを機に、空の旅行の安全性が確立されるまでの多くの犠牲者を共に思い起こし、彼らに追悼の祈りを捧げたい。

 

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