臨時国会がもうすぐ終わるようだ。焦点となっていた「被害者救済のための法律案」も衆院を通過したとか。「軍事費増強の方針」や「エネルギー関係の値上がりに対する方策」なども、国会では議論されていた。
しかし、それらの方針決定や法律案の根拠や提案理由の説明に当たって、「総合的判断により」という言葉が多用されていることが気になる。「総合的」の内容、つまり、そこに至る過程での各要素・各論が説明された上で、最後に「それらを総合的に勘案して」と締めるのならば理解できる。だが、各論での議論を明かさず、議論の最初から「多方面の議論を総合的に判断した最終結論」だけを提示して、「総合的判断」と繰り返すのではとても頂けない。
物事の判断は、何事であっても究極的には「総合的な判断」を要するわけで、「総合的ではない判断」などという説明は有り得ない。最初から「総合的」と言うだけでは、「私が判断したから正しい」と言っているようなもので、説明する気が無いとしか受け取れない。
いっそ質問側も「総合的判断により反対です」と言ってしまえば、事態がハッキリする。要するに、「説明する気は無い、私の判断に従え」と言う勢力と「反対だから反対なのだ」と言う勢力の、中身の無いやり取りが続くだけの「数の力の押し合い」に過ぎないわけだ。「過半数の議席があるから何でもできる」と「議席が足りず抗い切れない」という「低レベルの会議ゲーム?」が繰り広げらている。
「結局は、国民に問題を考えて判断する力があるかどうか、それを議席に反映できるだけの知恵があるかどうかだね」ということになる。でも「会議は会議」でしょ?、少なくとも、「国の最高決定機関の会議」で何がどう議論され、判断されているのかという「具体的内容」くらいはもうちょっと国民に分かるように見せて欲しい・・・とは思うのだ。