サッカーW杯の日本-クロアチア戦は、延長戦を終えても1-1で同点、PK戦の末にクロアチアの勝利となった。試合は両チーム一進一退という状況、得点同様互角という感じだったが、PK戦まで終わって見れば、90分内で勝負を付けられなかった日本の戦略敗け、クロアチアの延長戦後半は「PK戦には勝算あり」という自信が見えていたように感じる。
日本は前半から堂安選手が出場、前半に先制点を狙うという姿勢に見えた。狙い通り1点を先制、後半はこれまで通りに最初から選手を入れ替えると思いきや、後半の入りは左サイドバックの長友選手がそのまま。何となく、「このままで守り切れたら」と期待してるような気がした。結果は、これが甘かったことになる。
守りの日本チームはこれまでにも「守備でも消極性」となり、仇となるケースが多い。積極守備から積極的な攻撃、それが得点チャンスに繋がる日本チームで「攻撃的守備」が消え、相手のにフリーで狙い通りのシュートを許している。ペナルティーエリア内でもかなり遠い位置のヘディングとは言え、やはりしつこくヘディングに競っていく必要があった。
そう言えば先のロシアW杯でのベルギー戦最後の決勝点も、コーナーキックをキーパーが取るという判断でヘディングで競ろうとせず、キーパーのフリーなキャッチを許している。それが直後の正確なハンドパスに繋がり、決勝ゴールを奪われたと言える。攻撃でのシュートブロック同様、守備もヘディングに競って飛ばなければ失点に繋がるということ。長身選手が狙いすましてゴールを狙えば、キックと同じ威力のシュートも可能という世界水準のヘディングを目の当たりにすることとなった。
とは言え同点、疲れの見えたクロアチアに対して1点を取るチャンスはあったと思う。試合後のクロアチア監督の言葉を聞いて振り返ると、延長戦後半ゆっくりとボールを回すクロアチアには「PK戦なら自国有利」との自信があったのだろう。日本はキーパーから浅野選手へのロングボール一辺倒ではなく、パスから最前線に繋げる工夫など時間内の勝利に執念を見せて欲しかった。
PK戦一人目がボールをセットした時、画面越しだが「どこにも蹴るコースが無い」という感覚を覚えた。相手キーパーの自信が伝わるような感覚。結果は、比較的キーパーの近い所へのシュートを止められ、PK戦全体の雰囲気が決まったように感じる。日本には「できるならPK戦にしたくない」との気持ちがあったのでは。
「PK戦に自信が無い」ということじゃなく、「PK戦は失敗した選手への個人的負担が大きすぎる」という「親心的」な考え方なのだろう。しかし、2度目のベスト16のPK戦敗けは、そんな「親心的」な気持ちすら乗り越える必要があると教えられた気がする。解説の岡田さんの「我々にはまだ何かが足りないということでしょう」という呟きが印象的だった。
世界ではW杯でのミスで命を奪われた選手すら居る。有って良いとは言わないが、「それが起き得る環境でサッカーをプレーする強豪国の選手たちの気持ちの強さ」は見逃せないのだろう。サッカーや他のスポーツが「不条理な命懸けの道」では無い国が、十分以上に「サッカー強国」へと昇って行くならば、「気迫」や「強い気持ち」「執念」においても世界の状況を乗り越えるだけのものを備える必要があるのかも知れない。
ともかくも、カタールW杯ではサッカー強国と言われるドイツ・スペインに勝ち、予選リーグ1位で決勝に進んだ。自分としては、最初から順位が目標じゃ無いと考えている。「〇〇年にW杯優勝を」が目標としても、順位より「強豪国に勝てるチーム作り」の方が大切。日本サッカーのレベルがどれくらいにあるかは、互角の戦いを繰り広げたクロアチアが対ブラジル戦でどんな試合を見せるかによって判明する。果たして、クロアチアや日本のサッカーは世界ランキング1位ブラジルのサッカーに遠く及ばないレベルにあるだろうか。