千葉県・房総半島にある鋸山(のこぎりやま)(標高329m:日本百低山の1つ)に行ってきました。
(Google マップ から)
旧国名は安房(あわ)で、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、石橋山の戦いで敗れた頼朝たちが落ち延びたすぐ近くです。
房総半島中南部の地層は、数百万年前に海底に堆積した火山噴出物である凝灰岩を中心にできています。
浜金谷駅から見た鋸山
鋸山の凝灰岩は、良質で加工しやすく、竃や七輪などの他、建築資材としても適していたため、「房州石」の名で、江戸時代中頃から明治から大正にかけての最盛期にはたくさんの石が切り出されました。 その結果、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見える姿となり、この名で呼ばれるようになりましたが、正式な名称は乾坤山(けんこんざん)です。
房州石の切り出しは、自然保護規制の強化により昭和60年に終了しましたが、切り出された跡は垂直の崖になっています。
この鋸山(正式には乾坤山)の南斜面には、聖武天皇の勅詔を受けて行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所である日本寺があります。
日本寺も加工し易い凝灰岩の上にありますし、境内の北は房州石の切り出し場に接しています。 そんなわけで、境内では至る所で石仏が見られます。
百尺観音
太平洋戦争の戦没者や交通戦争の犠牲者の供養に彫られ、昭和41年に6年の歳月を費やして完成した高さ100尺(約30m)の磨崖仏で、房州石の石切場跡に彫られています。
大仏(薬師瑠璃光如来)
元々は天明3年(1783年)の建立ですが、侵食が進み崩壊状態になっていたものを、昭和41年(1966年)から修復を開始し、昭和44年(1969年)に原型より約7m低くして再現させた日本最大の摩崖仏です。
千五百羅漢
石切場跡を利用した「地獄のぞき」
旅行の目的は、歴史探訪でも岩石に興味があったからでもなく、珍しいコケがあるとの情報を入手したからですが、それについては、いずれまたどこかで・・・
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