ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

住めば都今は月寒人

2013年11月14日 18時33分30秒 | ペタンク爺さんの一日
生れた所は新潟の五ヶ浜、当時は陸の孤島で弥彦さんの裏側の海岸で佐渡島が見える小さなだった、三歳で北海道に渡って来ているので故郷の記憶は小学校1年生で7歳上の兄と二人で夏休みに祖父のいる故郷を訪ねた時の記憶が全てになった。
その後室蘭の輪西が第2の故郷となる幼稚園時代から高校、そして結婚長男が生まれたあたり迄で25年間親と一緒だった、30歳を前に事業に失敗し札幌に移り住んだ、間もなく次男が生まれ子育て時代は円山地域で釣具店をしながらタクシードライバーで18年間住んだ円山地区だった。
その後山鼻地域に移り住んだ時は、釣具店も辞めていて、この時期に20年務めたタクシードライバも退社して友人と共にスポーツイベント会社設立と運営に携わった。
10年にも満たなかったが収入は別として充実した時間を過ごし色々なことを学ばせて頂いたペタンク協会もその頃立ち上げている、そして沢山の友人も出来たのも此の頃だった。

その山鼻時代は12年間で、その頃が親離れ子離れの時期に差し掛かっていた、夫婦二人での生活を考え月寒の市営住宅に申し込んだら運よく入居することが出来た。
60歳を機にしたように退社し山鼻から月寒の住人になる、年金を貰きながらアルバイト生活がしばらく続く、時を同じくして二人の息子も所帯を持つ、そしてその頃から夫婦連れだって全国のペタンク大会遠征が始まった、成績は別として旅は車で良くフェリーを利用した旅になった。
軽のワンボックスカーをキャンピングカー並みに仕立て何日も道の駅辺りなど巡る旅が続いた。
5年前に女房が先立って行き、本州遠征はなくなってしまった、今は運よく妹と同居しているが月寒のひとも22年に及んでいる、此処のまま行くと最多年数になるかもと思っている。

月寒人今日は交通安全で街頭に立つ今夜は豚生姜焼きでした。

交通安全で街頭に
豚の生姜焼き