和弥のノンアルコールライフ

酒の無い日常をここで語りましょう。

震災の思い出

2015年03月11日 17時32分53秒 | 日記
先ずは、東日本大震災により犠牲になられた方々のご冥福を祈ります。黙祷!

おいらは阪神淡路大震災を経験した。
当時、大阪府のある市内の営業所で勤務をしており、その瞬間は夜勤明けで洗顔を終えた時だった。まだ夜が明けきれない早朝だったが、その揺れはデスクの引き出しを開け、固定された電照板を揺らし、コンコースのタイルに長いひび割れをおこした。

おいらは早起きだったので、着替えも済んでいたが、まだ仮眠中の同僚2人は2階の仮眠室から転げる様に降りてきた。
おいらはてっきり、その頃噂されていた関東の地震だと思い、和歌山の実家に電話をした。父が出て「なんか揺れたけど、なにもないけど?」との返事に安心した。そして宝塚市の自宅に電話をしたら、妻が「テレビが落ちて、水屋の中のお皿やらが飛び出して、大変よ!」との事であった。子供は寝ていたまま・・・気づかなかったそうで、まだ寝ているとの事だった。

8時に交代だが、交代が来ない。その間営業所は停電し、テレビも使えず情報が入って来ない。空腹に、ぬるくなった電気ポットのお湯でカップラーメンを食べて過ごし、交代の同僚がバイクで出勤したのは10時だった。
同僚のバイクを借りて帰宅をしたのだが、大阪府から兵庫県へ、猪名川を渡った頃から風景が怪しくなってきた。道路のアスファルトのひび割れからガス漏れの匂い、西に行くにつれて電信柱の倒木?やらが目立つようになった。

帰宅すると、テレビが阪神高速の倒壊や神戸の火災をヘリコプターから中継していた。この時に事の重大さに気づいたのであった。しかし、住んでた近所の情報は入らない。入浴して、シャンプーをしていたらお湯が止まってしまった。断水である。

とにかく飯の準備である。近所のコンビニは落ちた品物をお客が拾って、店員が電卓で会計をしている、ほしかったお茶や水のペットボトルは売り切れ、すぐに食べられるおにぎり等も無い。近所のスーパーに行ってみたが、全部閉店状態だった。一件、個人経営のお弁当屋さんが開いており、おかずは調理できないが、ご飯だけがあり家族分買って帰った。

しかし。しかしだ、そんな状況なのにお酒の自販機だけは売り切れていなかった!そんな状況で、だれが酒を買う?非常時なのに、買ったのはおいらだった。