浜ちゃんの小豆島写真日記 二代目

特に変わったことのない日常ですが

蕪崎と千振島

2007年07月17日 17時16分48秒 | Weblog
7月17日火曜日曇り台風が通り過ぎても台風一過とはならず相変わらず
梅雨空が続く。中越沖地震の被災者は大変なる被害謹んでお見舞い申し上
げます。早く天候だけでも回復してくれねば、なお更心配です。
昔神宮皇后が海を鎮める為お神楽をあげたので神楽崎と言われていたそう
です。それが訛って蕪崎となったとも言われております。
小さい島が千振島で無人島です。
遥か向こうは岡山県です。

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4 コメント

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蕪崎と千振島など (JA5NXT)
2007-07-17 18:30:19
 向こうに見える山は金甲山なんですね。番田という
ところも昔は四方指展望台の少し南に向けると電波
が滑り落ちて飛んでいました。

 蕪崎も地質学では珍しいものがあると昔、岡山の
中学教師から聞いたことがあります。岡山大学の教
授なども一緒に小豆島に研究に来られていたと聞い
たことがあります。
 千振島、岡山の犬島もそちらですと近いですね。
金甲山には両備バスの無線仲間がいてよく交信を
していました。
伊喜末・長浜の地層 (JA5NXT)
2007-07-17 19:17:56
 さぬきの自然の旅 小豆島の自然 香川県の
古い冊子゜を持っています。昭和21年3月香川県
自然保護課の編集したものですが、その2Pから4
Pにかけて蕪崎の陸けい島の砂州のことがあります。

 蕪崎は潮が満ちると千切れたような小さな島に見
えるのでしょうね。伊喜末・長浜では 蕪崎に近い
伊喜末と長浜では、砂が堆積してできた厚い地層〔
土庄層群〕がありますが、これは今から約2、000
万年ホド前の古い瀬戸内海の堆積物です。

 伊喜末では古生代の堆積岩に不整合に重なって
いるのが観察できますが、写真では雑草に隠れて
見えません。この古い瀬戸内海は、現在の名古屋、
津あたりから奈良、大阪を経て小豆島の東部を日
本海に抜けていた海のことで、現在の瀬戸内海の
前身に当たるものです。

 この地層からは地質時代を推定するのに役にた
った、Cinnamomum lanceola
latum〔クスノキの仲間〕、二枚貝、巻貝を
はじめ、サメの歯、虫が朽ちた木に穴をあけたあ
との生痕化石などが見つかっています。なお、こ
の地層の下部には数枚の石炭層が発達していて、
かって盛んに採掘されたこともあります。

 長浜海岸では、古い瀬戸内海の後に地殻運動が
あったことを示す大きな断層がみられます。・・
以上は引用

 浜さん また四海小学校の先生などとお話され
たらいいでしょうね。四海の公民館にも郷土の本
も置いているのがあるのでしょうね。

 浜さんの写真を見て、昔の岡山の中学校の先生
と無線で蕪崎の話をしたのを思い出しました。
有り難う (浜)
2007-07-17 22:18:12
色々と古代の地層まで有り難う御座います
亜炭の採掘は肥土山では戦後も掘っていたように思います。長浜では私の小さい時にもう廃坑で穴だけに
なっていました。私の若い頃は長浜の海岸にはたくさん木の化石がゴロゴロと転がっていました。
大石先生に出てくる坂道は蕪崎の付根に当たる場所で採石場の所です家まで建て古くするのに柱など薄黒く
ペンキをしていました。
肥土山の亜炭のことなど (JA5NXT)
2007-07-18 04:08:25
 長浜に木の化石がゴロゴロしていたのは知りません
でした。肥土山の亜炭のことを少し聞いたことがあり
ますが廃坑跡などは見たことがありません。

 田中佑子はロケの時に馬木のたる屋旅館にいたのも
後で知りました。まだ彼女が独身時代でしたが、蕪崎
付近がロケ地となったのですね。

 今朝「肥土山 亜炭 小豆島」で検索をしました
が、小豆島に集まれ たくさんの笑顔たち ブログ
関係で小豆島のことが一覧できるのがありました。

 JA5NXTの文字の掲示板に浜さんのことも
一緒に紹介をしました。長浜の台風の後の海岸の
写真を見ましたが、海岸にも上から絶えず土砂も
あり自然の威力を感じました。海岸が掘り返され
ていましたね。

 

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