農林水産省選定,ため池百選に選ばれている、蛙子池、伝法川地域の水不足を解消するため
に作られた小豆島最大のため池です。
現在も200ha余りを潤して地域の主水源と為っています、1683年当時の庄屋太田伊左衛門典徳
が水不足を解消する為、倉敷代官所にため池、築造の許可と援助を嘆願して工事に着手したが、工事
は難航し典徳は資金作りに家財や水田迄売り払う、などの苦労を重ねた末に1686年に完成しました。
6月15日待望の池水が離宮八幡神社まで達し,歓喜した百姓たちは神社境内に、仮小屋を建てて
芝居を催したのが現在まで続く肥土山農村歌舞伎の始まりです。
記念碑のそばでスミレが咲いていました。記念碑は字が読めないので写していません。
池の対岸には山桜が綺麗です。
山桜
肥土山農村歌舞伎の始まりが、そのような小豆島の致命的な?水の問題と関係していたとは!!!
子供の頃、給水車からの水の供給のあったこと、夏の厳しい給水制限!実家には井戸が2つあったことなど、水の苦労は子供心に覚えています。
そんな島で、醤油産業が栄えた時期があるのですね。不思議です。
母の実家も醤油屋で、大きな井戸がありました。
降雨量が少なくても、地下水は豊かだったのでしょうか?
ことになります、文化財に指定されています
お母さんの実家は大部と言われて居られましたね大部に
は醤油屋さんは2軒ありますね、去年ダイハツの宣伝に
出ていたお家デスか山十一さんですか。
醤油を作るくらいの水は井戸を掘っていれば出たので
は有りませんか。
私が物心ついた頃は、ただ、その工場跡といくつもの竃のある台所、そして大きな井戸がありました。
戦争ってなんだろうと、子供心に思った最初かもしれません。
でも、母からは、子供の頃に、醤油は残らないように、適量をお皿に取るよう教わりました。
今年も5月5日に行われます、玄人裸足のようですよ。
詳しくはブログ小豆島に集まれ、たくさんの笑顔たちを
開いて見て下さい。