ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

ペイチェック 消された記憶(ジョン・ウー監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;『ブレードランナー』で有名なフィリップ・K・ディック原作の映画化。既成の新商品のノウハウや技術を盗み出し、その改良した技術を別の企業に売却するいわゆる「リバースエンジニア」。彼はその研究結果を脳内から消去する契約を結ぶことでビジネスを成立させていた。通常2~3週間が限度で新記録が8週間といわれているこの記憶消去に約9000万ドル(90億円)の報酬を対価とした新ビジネスの話がもちこまれる。しかし彼が3年後に受け取ったのは紙封筒に入った20個の「私物」と報酬を拒否する自らのサインだった‥
出演 ;ベン・アフレック 、アーロン・エッカート、ユマ・サーマン
コメント ;かなりヒチコックを意識した映画であり、さらに過去のジョン・ウーの作品へのオマージュもちりばめられている。定番の「ハト」は思わぬ場面で思わぬ形で登場するが、ヒチコックのケーリー・グラントを意識したベン・アフレックや、「北北西に進路をとれ」を思わせる演出。さらに小道具に細密な「仕掛け」を施すあたりが面白い。一種の未来映画ではあるが、三次元スクリーンなど実際に10年後にはそれに近いものが商品化されることも予想されるし、2010年ぐらいの設定とおもえばさして現在と違和感はない。タバコにもちゃんと「無煙」商品があり、スプリンクラーや音声認識装置、そしてアナログな水晶玉なども技巧的に使われている。バイクのシーンは「ミッション・インポッシブル2」のチェースシーンよりも迫真性があるがやや「マトリックス2」に近いシーンなのが残念。ただし、現実的な撮影ではある。さらに「フェイス・オフ」を思わせる「顔」をめぐるしーンもあると同時に、「無実なのに濡れ衣をきせられた男」というヒチコックの設定がうまくいきている。ただし「階段」を想起させるシーンがなく、それも残念。ベン・アフレックの「パール・ハーバー」や「グッド・ウィル・ハンティング」の演技にはややウンザリしていたがこの映画ではなかなかのもの。ユマ・サーマンも「キル・ビル」のパロディをやってくれている。
 一種の問題解決能力が試されている映画でもあるが、エンターテイメントとしては非常に面白く冒頭に昔ジョン・ウーが作成した空港のコマーシャルを連想させてくれる場面もある。「男たちの逸歌」からのファンにはたまらないだろう。人間の記憶を人工的に消去するというのはそれほど非現実的な話ともおもえない。前頭葉が感情をつかさどり、海馬が短期記憶、側頭葉が長期記憶となり、映画には神経細胞を思わせるシーンがあり、それをレーザーで破壊していく場面が印象的。もっともパソコンを人間の頭脳はスキャニングされているがこれはとてつもなく遠い未来の話ではあろう。ただ、分析できるということは応用できるということでもあり、フィリップ・ディックの原作はすでにそれを見抜いていた。映画の中でさりげなくアインシュタインの肖像画が置いてあったりする遊び心もまた楽しい。小道具係の苦労がしのばれる。


結婚適齢期(ナンシー・メイヤーズ監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;60歳を過ぎて会社を経営するハリーは30歳以下の女性には興味がない。オークションで知り合ったマリン・バリー(アマンダ・ピート)と一流別荘地ハンプトンで週末を過ごそうとしていたが‥
出演;ジャック・ニコルソン、ダイアン・キートン、キアヌ・リーブス
コメント;ハンプトンといえば超一流の別荘地でロバート・デ・ニーロやスティーブン・スピルバーグなども別荘をもっている。冒頭でハリー・ランガーが「このあたりに別荘地があるなんて金持ちに決まっている」と断言するのはそうした土地柄ゆえ。ダイアン・キートンといえば個人的には「アニー・ホール」を思い出すのだが、「ゴッドファーザー」のダイアン・キートンの方がとおりがいいらしい。コメディではあるが、セミヌードを披露するなど力の入った演技である。ジャック・ニコルソンも役にはまりこむタイプだが、こうしたベテランの中でキアヌ・リーブスが36歳の外科医の役をさらりとこなしているのが印象的だ。「ギフト」では悪役、「から騒ぎ」でも悪役とイメージの固定化を避けようとしていたときに「マトリックス」シリーズが大ヒットしてしまったのは長い目でみていいことかどうかわからない。ただともすれば「熱演」の狭間で埋もれてしまいそうな役をきっちりこなしたところがこれからのさらなる成長を期待させてくれる。ただ単にタクシーに乗り込むときの横顔だけで「何か」を演じきるというのは貴重な役者だし、それに肌の若々しさなどが逆に36歳よりも若くみえるという美男子ぶりだ。現代はsomething's gotta give‥「なんとかしなくちゃ」みたいなものか。いまひとつ笑えないシーンが個人的には続くのだが、まあまあ楽しめることは楽しめる。


フォーン・ブース(ジュエル・シューマッハー監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;ニューヨーク・タイムズスクエアで働く広告宣伝マンのスチュワート・シェパードは、ハッタリとデマカセで商談をまとめていく。パブリシティを餌にしてモデルのパメラに誘いをかけてから公衆電話を出ようとすると公衆電話が鳴り出し、思わず電話に出てしまうスチュワート‥
出演;コリン・ファレル、フォレスト・ウィティカー、ラダ・ミッチェル
コメント;ジョエル・ジューマッカー監督の映画はとにかく面白い。エキストラなどに予算をつぎ込んでいるとはいえ、1時間半の短い映画でしかもロケーションが変わらない映画であるが実に面白い。タイムズスクエアでは実は1日のみの撮影で残りの部分は西海岸のロスアンゼルスで撮影したとのことだが、光度などに違和感はまったくなく、一気に最初から最後まで楽しめる映画である。やや倒錯したストーリーだが最後は大方の観客が予測するとおりのラストシーンだ。舞台装置も結構地味ではあるが仕掛けが面白い。ピンクのカーテンが風にスラリと揺れるだけで、「何か」を感じさせる監督の技もすばらしい。コリン・ファレルのでている映画を最近よくみるが、つくづく作品に恵まれていない俳優だと思っていた。トム・クルーズなどよりずっと演技力やルックスに知性が感じられる存在だと感じていたのだが、この作品でその思いをよりいっそう強くした。
もともとアイルランド出身の俳優だが、ブロンクス訛りの英語を最初から最後まで「顔」と「声」で演じきる。そして意外なところで、キーファー・サザーランドが顔を見せるのだが、父親のドナルド・サザーランドにも負けない不気味な存在感である。フォレスト・ウィティカーはクリント・イーストウッドの「バード」で崩壊していくジャズ奏者を演じていたが、その後「更正」したらしく、カッチリした警部の役で出演。アイデア勝利の見事なエンターテイメント映画だ。


見知らぬ乗客(ハリウッド公開版)(アルフレッド・ヒチコック監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;列車の中で足がぶつかったのをきっかけに、テニスプレイヤーのガイは見知らぬ乗客に話かけられる。食堂車が混んでいたため個室で食事をとりながら、その男が話し出したのは、動機なき殺人「交換殺人計画」だった‥
出演;フォーリー・グレンジャー 、ルース・ローマン、ロバート・ウォーカー
コメント;この作品は1951年に公開されたが、ハリウッドオリジナルバージョンと英国公開版の2種類がある。10数年前に見たのはおそらく英国公開版だったのだろう。ラストシーンが違うし、記憶していない映像がいくつかある。
 名作であることは間違いなく、小道具や影のシーンなど魅惑に富む仕掛けがいたるところにしかけられている。原作がパトリシア・ハイスミス、脚本がレイモンド・チャンドラー、さらに音楽はディミトリ・ティオムキン。ワーナー・ブラザースと契約を結んだヒチコックはこのワーナー時代に「見知らぬ乗客」のほか「舞台恐怖病」「私は告白する」「ダイヤルMを回せ」の4作品を監督。「レベッカ」でアカデミー作品賞を受賞したのが1940年だが、その10年後のこの作品時にもその独特の映像感覚はさらに凄みを増している。テニスのシーンと鍵となる「小道具」をめぐるシーンはすでに粗筋を知っていても汗がにじんでくる。さらにこの作品の約20年後「フレンジー」でもゴールデングローブ監督賞にノミネートされるなどとにかく偉大な映画監督であり、そして中期を代表する名作であることは間違いない。
 何度見ても楽しめる。ミステリー映画の王道であり、シロとクロの交錯、いや倒錯する世界が1時間半にわたり繰り広げられる‥。
 ヒチコック作品の常連レオ・キャロル(「白い恐怖」「レベッカ」「断崖」など)やヒチコックの実の娘パトリシア・ヒチコックも出演(妹バーバラ役ではないだろうか)。ロバート・ウォーカーはこの映画の出演後、とある専門病院で病死している‥。階段の上を見上げたとき、そこには意外な展開が次々と巻き起こる。

花咲ける騎士道(ジェラール・クラブジック監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;大砲が発明されてからルイ15世の仕事は戦争を「鑑賞」すること。プロイセンやイングランドとの戦いが続いていたが、フランス側の軍隊に「端数」がでてしまい、急遽新兵を募集する‥。
出演;ペネロペ・クロス、ヴァンサン・ペレーズ 、エレーヌ・ド・フジェロ
コメント;ペネロペ・クロスがひたすら美しい。洗濯物を干しているシーンなどは日光に輝く女性の笑顔で心も満たされる。「コレリ大尉のマンドリン」ではギリシア人、「バニラ・スカイ」ではスペイン系アメリカ人を演じた彼女はこの映画ではフランス系のジプシーという役割だがフランス語を見事に操る。フランス版時代劇というところで、立ち回りもあれば恋愛もあり、頭を空っぽにしてみるにはちょうどいい感じの映画。ましてペネロペ・クロスの意外な表情も画面で鑑賞できる。これまでみた映画の中では一番輝いているが、西南地域のフランスの日光はやはりハリウッドよりも爽やかなのかもしれないなどとも思った。
 ルイ15世治世のフランスという意外な時代設定でフランスはこの時期に7年戦争に巻き込まれ、植民地を多く失い、絶対王政が崩壊しつつある頃である。ちょうど啓蒙思想が台頭するころだが、市民階級出身でルイ15世から「伯爵夫人」の称号を受けたポンパドゥール夫人も登場する。お城などをたてまくり国費を遣いまくった女性として有名だが、この映画ではちょっと違う側面もみせる。7年戦争はかなり複雑なシステムだが、オーストリア継承戦争の後、マリア・テレジアとフランス(そしてロシア)が組んで、英国やプロイセンと戦った。ただし映画の中では「マリア‥なんとか‥」とぼかされてはいる。おそらくフランス人にはやはりオーストリアに思うところがあるのかもしれない。カツラの様式がちゃんとロココ調になっているので歴史考証もちゃんとされていたりする‥。
それまでブルボン王朝とオーストリアのハプスブルグ王朝とは敵対していただけに外交戦争ともいわれたりする。ただしこの7年戦争はフリードリヒ2世によってプロイセンが勝利することにはなるのだが‥。ブルボン王朝はルイ14世の時代に最盛期をむかえて、その後衰退していきやがてフランス革命の時代となる。ただしルイ14世の孫がスペインのフェリペ5世となるので、ブルボン王朝自体はスペインあるいはイタリア統一前のシチリア、パルマ王国でも続くことは続く。)
映画の中ではおそらくぶどう酒とも思われる液体がよく使用されているが、「アキテーヌ」とは、ボルドーの周辺地。おそらくワインも美味しかろう。さらには映画の中で演奏している楽団はミシシッピからよばれたという設定。1699年にフランスが植民地政策をとり、1763年に英国に割譲された地域で、そのせいか黒人俳優も出演している。ただし啓蒙思想もちゃんとあるので、そのあたりの配慮も若干されている。かなでられる音楽はほとんどパロディだがこの現代的なパロディはやや歴史恋愛映画にはあわない部分もある。

 映画の中で時計が使用されたり、戸籍みたいなものが用意されていることに気づく。そういえば時間という概念はもうこの頃には確かにあったのだ、とも思う。


ハッピー・フライト(ブルート・バレト監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;ネバダ州の片田舎のトーレラー育ちの田舎娘。高校時代につきあってた彼氏は地元のスーパーの副店長となり、卒業後はそこのカバン売り場の店員をしていたドナだが、彼氏がツーソンに転勤になると同時に失恋し、酒場で自棄酒を飲んでいると‥。
出演;グウィネス・パルトロウ、クリスティナ・アップルゲイト、キャンディス・バーゲン
コメント;スチュワーデスにあこがれるネバダ州の「田舎娘」という役どころでグウィネス・パルトロウが主役を演じている。地方航空のシエラ航空時代の彼女は厚化粧で、かなり野暮ったい感じなのだが、ロイヤルティ航空の国内線あたりから化粧が薄くなり、あの独特の魅力ある笑顔が画面に展開する。オレンジ色の制服から青色の制服へと変身していくプロセスが色彩的にきれい。
 接客業ではあるが、おそらく国内線と国際線とでは、ペーパーテストを含めて、映画に描かれていたぐらいの厳しい条件は課されているのだろう。「クイユツセ」という合言葉がはいるのだが、「空腹・憂鬱・世界観の歪み・辛さ・いらいら」が顧客の不満の根底にあるとこの航空会社では考え、「まず聞き、理解し、説明する」という原則でクレーム対処を実行させている。これは実務的なところから映画の中にとりいれたのだろう。ネバダ州もツーソンも西海岸よりの都市だが、映画の後半から東海岸エリー湖周辺に話が展開する。フランスの凱旋門前のグウィネス・パルトロウがひたすら美しい。
 女性と女性の関係を、ある意味「いやらしく」描いた部分もあるのだが、へこむ場面も含めてかなり面白い。ただしコメディ映画の割には笑えない場面が多いし、斜視であるがゆえに7年前にペーパーテストで満点を取りながら、客室乗務員になれなかった教官などはある意味残酷ではある。涙をみせまいと、「‥now,go away‥wait, flight away‥」と微妙な間の使い方が泣かせる。
(音楽)
 リアン・ライムズ、ソフィア・ロレル、ケイシーといった若い女性シンガーのオリジナルソングがいたるところに挿入されるのが面白い。さらに往年の大スターロブ・ロウが意外なところに顔を出すとともに、ケリー・プレストンも出演している。かなり刺激的な衣装を売り物にしているがグウィネス・パルトロウがミニスカートを着てもかえって上品にみえてくるから不思議。上品な美人は何を着てもよく似合うし、本人がキモノを引き立てているようにもみえる。

(フライトアテンダント)
もともとは「スチュワーデス」と呼称されていた客室乗務員の仕事は映画の中にもでてくる男性の進出によって「フライトアテンダント」とよばれるようになる。1930年代における客室乗務員は主に軍事用旅客機に搭乗する看護婦資格をもつ独身の女性でしかも32歳までの勤務だったという。その後一般旅客にも客室乗務員が搭乗するようになり、1950年代には高級さを売り物にしていた航空業界も1970年代後半から規制緩和がおこなわれるようになったことに伴い、高級感ではなく低価格競争に入る。一時期はスチュワーデスもセクシーさを売り物にしていた時期もあったようだが、現在は白い手袋からゴム手袋と変わり、高級感よりも清潔感や衛生といった面と低価格が売り物になってきたようだ。


恋愛小説家(ジェームズ・ブロックス監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;恋愛小説を書くメルビン・ユドールは黒人にもユダヤ人にも平気で差別的な、しかもウィットにとんだ罵倒をいうことで知られている小説家。そしてまた強迫神経症でもあり、道路の「割れ目」を踏むことができないし、外食するにも自分専用のフォーク持参という変わり者。彼が懇意にしているレストランでは座る席はいつも決まっているが給仕をするウェイトレスも決まっている。病弱な息子を育てるキャロル・コネリーが給仕をしないと食事ができないのだ‥。
出演;ジャック・ニコルソン 、ヘレン・ハント、 グレッグ・キニア
コメント;ジェームズ・ブロックスの映画は「ブロードキャストニュース」「ザ・エージェント」「ビッグ」などをみていた。「ザ・エージェント」ではキューバ・グッテンバーグがアカデミー賞を受賞し、レニー・ゼルウィガーもたしか出演していた。演出そのものは退屈極まりない映画だったが、俳優の演技はとにかく楽しめる。この映画も監督の映画ではなく、俳優の映画であり、とにかく最高に面白い。昔懐かしき「ある種の思い出」を想起させるワザにこの監督は長けていると思う。人種差別的罵詈罵言を知的な感じでいいまくるジャック・ニコルソンも最高。それを受けて演技をするヘレン・ハントは「ツイスター」でも魅力的な女性だったがこの映画ではさらに美しい子持ちのウェイトレスを演じる。物寂しげだがしかし気が強いという役回りが「ツイスター」と連続している。グレッグ・キニアも「ベティ・サイズモア」では野暮ったかったが、この映画では「破産したゲイ」という難しめの役をきっちりこなす。子犬のバーデルもとにかく可愛い。よくもこんなに器用な犬の表情をフィルムに収めることができたものだ。ボルチモアまでの自動車の旅の映像や、自信を失った画家がお風呂のヘレン・ハントの後姿に創作意欲をわかせるシーンも秀逸。
 「自分を見失う」大人が自分をまた取り戻すプロセスを描いているともいえる。俳優は自分のアイデンティティをいったん失い、そしてまた取り戻すというプロセスの繰り返しだから、さらに映画の中にキャスティングがぴったりはまるのかもしれない。
 日本の映画タイトルが野暮ったいのだが原題の「As good as it gets」のニュアンスを日本語にうまく訳すのは相当に難しい。「it」は状況をあらわす意味で使用されており、「そんなものだろうなあ」とか「よくなってきたなあ」とかいうニュアンスだろうが‥。
 この映画が俳優の映画である証拠に、ヘレン・ハントの息子を診察する医者の役をローレンス・カスダン監督、ハロルド・ライミス監督などが「特別出演」している。


ティアーズ・オブ・ザ・サン(アントワン・フークワ監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;米国海兵特殊部隊大尉のウォーターズ(ブルース・ウィリス)は、民主制選挙で統治していたナイジェリア大統領が軍政クーデターによって転覆した直後のナイジェリア沖の空母から、主にアメリカ市民の救出作業をおこなっていた。アメリカ国籍の女医リーナ・ケンドリックス(モニカ・ベルッチ)救出を命じられるが‥。
出演;ブルース・ウィリス、モニカ・ベルッチ、コール・ハウザー
コメント;キリスト教徒であるアメリカ海兵隊員がイスラム教徒の暴虐をみかねて発砲するシーンを興味深くみた。これは逆の立場からでも描写は可能だが、このアクション映画では「内政干渉の批判を受ける‥」と海軍大佐が大尉に通信しており、おそらく意識的にやっているのだろう。戦争映画にありがちなラブロマンスなどは描写されなかったが、実際には宗教活動やボランティアをしている人間はもっとしたたかな生存哲学をもっているのではなかろうか。大虐殺が始まった場合にそこに踏みとどまるというのは「物語」としては面白いし感動的だが、あまり生産的ではない。とはいえ最近みた戦争物の中ではわりと面白い映画ではあった。特に中間管理職である海軍大尉が自らのプラトーン7人の掌握しており、海軍の中でも相当な意思決定能力をもっていたことがわかる。
 もともとナイジェリア自体が約250近くの部族と国民の5割近いイスラム教徒、4割近くのキリスト教徒(残りの10パーセントは地元の宗教とみられる)という宗教問題と民族問題の両方を抱えている。本来的にはカカオを中心とした農業国だったが、OPECに加盟する唯一のアフリカの国ということでその利権をめぐる北部と南部との争いもある。石油が出ない北部にはイスラム教徒が多く、石油がでる南部にはイボ族を中心とするキリスト教徒が住む。かつて朝日新聞の記者がビアフラというイボ族が建立した国家をめぐるルポを読んだが、すさまじい内乱で、映画で描写されていたのとさほど変わりがない残酷な内戦が続いていたようだ。ビアフラはイボ族の敗北で集結し、1975年に軍内部の民主改革派の革命が成功して、1977年に新憲法が制定される。おそらくこの映画で描写されていたのはその後の1983年のサニ・アバチャ将軍による軍政革命の頃ではないだろうか。通信アイテムも無線が中心で携帯電話などの使用の形跡はない。イギリス連邦に加盟しており、高等教育では英語が使用されている。映画の中で地元のシスターが英会話をするのだが、それはこのシスターが高等教育を受けていたことを暗示するもののようだ。その後ナイジェリアでは再び民政へ移行。隣国カメルーンとナイジェリアは石油の利権をめぐって争いを続けており、山脈をこえてカメルーンに向かうのは理にかなう。問題は広大なアフリカ大陸でしっかり検問所をとおりぬけるイボ族の人間だが、これは国境というものを視覚的に理解させるための映画的枠組みか‥。
 戦闘シーン自体はもう少しスローモーションを使って欲しかった。なんとなく「プラトーン」の二番煎じ的なにおいもするが、それでも撤収の状況や攻め込むときの計画的かつ迅速なフォーメーション、さらには管理職の行動などが妙にリアリティがある。モニカ・ベルッチがなにやら艶かしいのだが、それはまあそういう設定だし。でも博愛主義と残酷さは表と裏か‥。

エクスカリバー(ジョン・ブアマン監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;アーサー王伝説を安い予算と少ない人手、さらにはセットで描く‥。ヘレン・ミレンのためのヘレン・ミレンを見るだけのための大長編映画。とにかくヘレン・ミレンが美しい‥。
出演 ;ヘレン・ミレン、ガブリエル・バーン、ナイジェル・テリー
コメント;ヘレン・ミレンの神秘的な美しさで支えられている映画。もともろロシア人の父親をもつというが、演劇を学んだのはフランスだという。映画の中では青色の衣装が画面に映える。
 さて、アーサー王というのは99パーセント伝説で、6世紀の始め頃からその伝説が伝えられるようになったという。神話ではあるけれども奥さんのグエネビアというのは相当に男遊びの激しい人だったようではある。映画の中で北に向かった騎士がひどい目にあるが、この当時のスコットランド人は相当に荒くれ者。ピクト族やスコットランド人がハイランドを占拠している一方で、ローマ帝国がブリトン人を支配する構図だったと考えていいのではないか。ローマのハドリアヌス帝は北部との境目に土の城壁を作るがこれはスコットランド人が侵入してくるのがメインだったのかもしれない。ローマ人がこのブリテン島に温水のフロ、ガラス窓、プール、寺、ワインなどなどを持ち込んできたわけだが、映画の中のアーサー王はそのすべての便益を享受している。さらにローマ帝国でキリスト教が公認された後は、キリスト教もブリテン島に持ち込まれるが映画の中で魔術師マリーンが「多くの神々が死に‥」というのは地元の多神教的文化が一神教文化に変化していく様相を暗示しているようにも思える。400年ごろから、今度は南部にサクソン人が上陸し、ローマ人のきづいた道路なども破壊してしまう。ケルト人はキリスト教に改宗していたが、ウェールズやコンウォールに逃れそこで作成されたのがこのアーサー王伝説だとされる。アーサー王はケルト人のキリスト教徒のリーダーとしての役割を演じるが、その内容は本来の聖書には程遠いアニミズムの世界でもある。
 金髪で青い目というのがケルト人の特色だが(ま、白人の多くはそうだが)ブリトン人をローマよりも早く統治していたのはこのケルト人。クラウディウス帝の侵略を受けるまではこのケルト人が支配していたのではないか。もっともキリスト教の一色文化よりも錫のキラキラした鎧に身を固めた騎士たちが円卓を囲んでいるというのは当時の理想だったのかもしれない。
 映画自体はひたすら退屈でしかも長い。‥1980年代の映画だがよく映画館で観客は退屈しなかったものだと思う。ひたすらヘレン・ミレンのみに感服する‥。
(ミカエル)
 旧約聖書の中の四大天使のうちの一人。「火」を扱う天使で軍神の性格もあわせもつがプエセメウスやマースの性格を両方併せ持っていたのだろうか。フランスが英国に攻め込まれてきたときに、フランスのオルレアンにおいてジャンヌ・ダルクの前に現われた天使はミカエル説もある‥。つまり「イングランド」でも「フランス」でもミカエルは等しく天啓を与えたことになる。「マイケル」という映画の中でジョン・トラボルタが演じている天使もおそらくこのミカエルだろう。
(聖ジョージ)
 キリスト教の聖人。現在のトルコに相当するカッパドキアに270年ごろ生まれ、「赤い十字架」を掲げて布教し、ドラゴンを倒したという伝説がある。パレスチナ方面で布教を続けるが当時のローマ帝国はまだキリスト教が公認されておらず、303年にローマ帝国に捕らえられて首をはねられた。

カレンダーガールズ(ナイジェル・コール監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;英国ヨークシャー地方の女性連盟支部では退屈な講演会が続いていた。さして興味なく加入したメンバーのうち一人アニーの夫が白血病で倒れる。病院にソファを寄贈するためクリスを中心として6人の中年女性があるアイデアを実行しようとするが‥。
出演;ヘレン・ミレン、ジュリー・ウォルターズ、リンダ・バセット
コメント;「フルモンティ」は製鉄業の衰退したシェフィールドの元鉄鋼マンを中心とした5人の男性の話だったが、この映画では合計11人、主に6人の中年女性が「独特」のカレンダーを作成し、作成した後の苦いエピソードも含めて映画化している。ヨークシャーの田園風景がかなり美しく、英国田舎町特有の緑の平原と岩・垣根などが映画を盛り上げる。実際のカレンダーを模した女優自身の「画像」も紹介。特にヘレン・ミレンの演技がすばらしい。この女性連盟はもともとフェミニストが設立した組織らしいが、カソリックの教会を拠点に活動しているようだ。英国の伝統芸能・工芸を大事にするとともに、平和・歴史保存・女性の地位向上と社会参画などをめざしているらしい。各地に支部があり、この映画の主人公はネーブリー支部所属。コンテストなどでは、伝統芸能を競い合うが、普段はブロッコリーや敷物の歴史などを「研究」したり、「講演会」を開いているようだ。女性のみで構成された一種の町内会みたいな印象を受けるが、英国全体でみればかなりの巨大組織とみていいのかもしれない。全国総会などの情景も描写されるが会長のとった対応策はまさに政治家特有のクレバーな決断で、成功しても失敗しても女性連盟には「傷」が及ばないような政治的配慮がなされているのが面白い。ジュリー・ウィルターズは「ハリーポッター」シリーズでは、ロンのお母さん役で日本では有名。地図でみるとヨークとシェフィールドがそう離れた地域ではないことにきづく。産業としてはやはり伝統工芸や羊織物といったかんじだろうか。あまり「資本主義」とか「市場経済」といった言葉が似合わない様子の田園光景が本当にきれいだ。「ゴスフォードパーク」とかで有名なヘレン・ミレンはとにかく美人。「体に自信がないわ」「そうかしら?」といった会話などに女優魂をみる。年齢と美しさにはやはり相関関係はなく、大女優というものはどうしたって大女優だと確信できる。
(ポンド)
 英国ポンドは1ポンドがだいたい200円くらいだと思われる。自転車の修理工場で請求される25ポンドはだから5000円くらいの感覚か。割高感が出るかもしれない。ちなみに映画の中ででてくる28万6千ポンドというのは日本人の感覚だと5700万円程度。約6000万という感じだろう。100万ポンドでは約2億円と換算すると雰囲気が出るかも。

アレキサンダー(オリバー・ストーン監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;アレキサンダー大王の歴史とベトナム戦争を重ねあわせ、さらに「JFK」でケネディ暗殺の「事実まがい」のサイドストーリー、さらに「ニクソン」でアメリカ大統領を「オモチャ」にしたこの監督が歴史の中で権力をからかうコメディ映画ともいえる‥かな‥
出演;アンジョリーナ・ジョリー、コリン・ファレル、バル・キルマー
コメント;オリバー・ストーン監督の作品では「ナチュラル・ボーン・キラーズ」がやや面白かったが、それ以外の作品はどれも生理的に受け付けられない。「プラトーン」でも強い拒否感を感じたし、「7月4日に生まれて」をみてから、大嫌いな監督の筆頭となった。今回の映画もアメリカのベトナム戦争とだぶるところが多い。マケドニアはもともと前11世紀にオリュンポス山脈の地域から民族として起こり、種々の部族があったが映画の中にも登場するフィリッポス2世によって一つの国家として統合される。この時代のマケドニアは軍事的にも一般の家庭でも家父長制度を採用しており、映画の中ではところどころにそれが示されている。マケドニアはもともと都市国家征服などの領土拡張政策を採用しており、フィリッポス2世は軍隊を分業化し、衛生兵や地図製作要因なども配備した組織化をおこなった。とはいえ貴族中心による「ヘタロタイ」(王の仲間)という性格も色強く残る。フィリッポス自身がギリシアの都市国家の併合と、ベルシャ帝国に対する復讐について強く思うところがあったようだ。そのあたりは映画でも割りと忠実であるが‥。それからの描写がもうひどい。前338年にマケドニアはカイロネイアでギリシアの都市国家連合軍に勝利し、ギリシアに「統合された国」というコンセプトができあがるとともに、翌年の337年にコリントス会議でギリシアとマケドニアの間にコリントス同盟が締結され、フィリッポス2世がその最高指揮官となる。映画で描かれている「結婚式」はちょうどこのコリントス同盟の頃からだろうが、実際にフィリッポス2世が暗殺されたのはその翌年の前336年アイガイ劇場にて。この暗殺が当時18歳のアレキサンダー3世に指揮権をもたらし、彼はすぐに陸軍と海軍の掌握に乗り出す。映画では「しぶしぶ」という描写だが、実際のところ当人にその意志があったとしか思えない。アレキサンダーが生まれたのは前356年とされているから、当時すでにマケドニアはギリシアとの戦いに実質的に勝利した後だ。母親のオリュンピアスは、アンジョリーナ・ジョリーが上品に演じているが、実際のところ相当な野心家でアレキサンダーに「ゼウスの息子」だと信じさせようとしていたようだ。指揮権掌握後、ペルシア帝国傘下のギリシア都市国家の解放のために歩兵3万人と騎兵5千人を率いてダレイオス3世の率いる2万人のペルシア人およびギリシア傭兵と戦闘をおこなう。ただしこの先頭の前にトロイ(アキレスに影響を感じたとされている)に巡礼をしている。さらに前333年にダレイオス3世は約40万人の部隊を率いてアレキサンダーと戦うが敗北し、映画にあるように家族も取り残して敗走する。アレキサンダーがダレイオス3世の家族を丁重にもてなしたのは事実のようだが、映画であるようなダレイオスが約20万人でアレキサンダーが約4万人といった破天荒な作戦はとっていないと思われる。この英雄ぶりを拡大するのはオリバー・ストーンの常套手段なので用心する必要がある。部下が成功を危ぶむ作戦はだいたいその時点で失敗がほとんど確定していると考えていいのではないか。さらにその後、映画では省略されていたが、パレスチナとエジプトを「解放」し、ファラオとしての名誉を獲得するとともにアレキサンドリアは国際貿易の中心地となる。そして前331年にダレイオス3世の軍隊と戦闘するが、ここでもダレイオス3世は敗北し、映画の中で描かれたような敗走劇を演じるアレキサンダーの「侵略」が「新世界への探検」という性格を帯びるのはこの頃からといわれている。実際にはダレイオス3世は馬車の中で部下のバクトリア総督ベッソスに瀕死の状態で発見されて死亡。映画の中では描写が異なるが、そうしたところにオリバー・ストーンの悪意すら感じる。アレキサンダーはこの段階でアケメネス王朝の継承者をなのるという賢い作戦に出る。アレキサンダーは現在のアフガニスタンのヘラートトカンダハルにアレキサンドリアを構築し、ソグド人貴族のロクサネと結婚する。ペルシアの礼儀方式などを採用するがこれがマケドニア人には受け入れられないというのは映画でもあるとおり。実際にパルメニオン、クレイトスなどが死刑・殺害されている。そして前327年にインドへアレキサンダーは向かう。タキシレスはアレキサンダーと同盟するが、インダス川でポロスとアレキサンダーは戦闘状態になる。ここから歴史の捏造がまた始まる。ポロスは象部隊を駆使したが、実際には敗退し、アレキサンダーが勝利している。ただし部下のサボタージュは確かにあったらしい。その後陸と海に分かれて、前323年にバビロンに戻る。映画ではまったく触れられていないが、軍隊の中には歴史家や科学者もおり、いわゆるヘレニズム文明を生み出す文化活動・研究活動もおこなっている。さらに現在では、ギリシア語を拡大したアレキサンダーの功績がそのままキリスト教の布教の土台となり、ユダヤ教ではアレキサンダーはソロモンの神殿に礼拝しており、イスラム教では預言者の一人に数えられている。そしてまた十字軍の時代には一種の偶像としてアレキサンダーは利用されることになる。
 地図をみるとわかるが彼がうまれたペラは現在のユーゴスラビア付近。バビロンはイラク付近だ。その影響は敦煌、長安をへて日本の奈良まで及ぶが一種のシルクロードの土台を築いたとも考えられる。彼の死因についてはマラリア説と毒殺説があるがオリバー・ストーンは毒殺説を採用する。だが通常の人間がこれだけ徒歩で移動して病に倒れれないほうが不思議である。予算は150億円だそうだが、はたして半分も回収できるのかどうか。
このアレキサンダーはバズ・ラーマン監督が2006年に新作をとるが、そちらの方に期待したい。なお映画の中でアレキサンダーがライオンをかぶるシーンがあるがこれはヘラクレスの象徴、といったあざといところか。

S.W.A.T(クラーク・ジョンソン監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー ;人質立てこもり事件にロスアンゼルス市警の特殊警察部隊が出動。人質をたてに犯人たちと警察との銃撃戦が続く中、ジョンソンとストリートの二人は本部の指示を無視して突入し、市民の一人に傷をおわせてしまう‥。
出演;サミュエル・L・ジャクソン 、コリン・ファレル、ミシェル・ロドリゲス
コメント;ロスアンゼルスの特殊警察部隊(Special Weapons And Tactics)の6人の小隊を描く。アクション物としては、「人を殺す舞台ではなく人の命を救う組織だ」という主張が貫かれており、この前提にたったストーリー展開。地味なストーリーではあるが、相手がどこにいるのかもわからない犯罪から、国際指名手配犯人を刑務所に届けるまでのストーリーというのが面白い。この筋立てだと今度は刑務所内部の刑務官を主人公にしても閉鎖的アクション映画は作成できるとは思うけれども。ロスアンゼルス市警(LAPD)のこうしたポリシーはシークレット・サービスやFBIの捜査官にも有用なので研修には参加希望者が多いらしい。実体としては、約60人の警官と7人の管理職が組織を運営しているらしいが、処理事件は立てこもり事件が焼く80件と50件の凶悪事件が年間発生するというので、相当な激務ではある。ただしこの映画の眼目は、現場と管理の対立という観点からするときわめて興味深い。判断ミスでSWATから武器保管所へ「左遷」されたのがストリート(コリン・ファレル)だが、上司のホンドー巡査部長(サミュエル・L・ジャクソン)も左遷から現場へ帰ってくる。こうした憂き目にあう人間は数多いが、「正義感」と「やりがい」を求める世代と、マスコミ対策と組織を重視する管理職とでは当然立場が違うので、こうした対立は多いはず。これは警察だけでなく会社組織でも同様かもしれない。一種のアクション映画ではあるけれども、冒頭から「命令無視」か「現場の判断重視」かという究極の選択を迫られる場面がでてくるが、これは微妙な問題。日本の「踊る大捜査線」では「現場重視」ということになるが、それでも現実的にはそうはいかない。巡査部長が他の5人を組織化していることは間違いないわけだし、警部と警部補、巡査部長、巡査という組織の前に「現場の判断」を重視しすぎると、おそらく統制がきかなくなる。日本にも特殊部隊はあるが略称はSAT。「踊る大捜査線」ではなんと本部の指示を無視した特殊捜査部隊が自分の判断で動いてしまったが、現実的には考えられない。
ドミニカ共和国出身のミシェル・ロドリゲスの健康的な動きが画面では心地よい。コリン・ファレルの苦渋に満ちた表情も今後のさらなる大活躍を予感させる。個人的には非常に楽しめた作品だが、それは上記のとおりアクションとしてより一種のビジネスパーソン物語として最高クラスのストーリーということで。銃撃戦自体は今のところ、「フェイス・オフ」以上の場面にはまだお目にかかっていない。

ボーイズ・ドント・クライ(キンバリー・ピアース監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;性同一性障害を抱えるティナ・ブランドンはアメリカ中部の保守的な土壌ルイジアナ州で暮らしている。ふとしたことで隣町のフォールズ・シティに気の合う仲間と知り合い、「ブランドン・ティナ」という「好青年」として暮らし始める‥。
出演 ;ヒラリー・スワンク、クロエ・セヴィニー、ピーター・サースガード
コメント;性同一障害を扱った映画だがややしんどい。ルイジアナ州リンカーンが主人公の出身となるが、これは「アバウト・シュミット」が舞台となるオマハとそう遠くない場所。日本にやや雰囲気がにている気もするが保守的な土壌といった雰囲気がこの2つの映画からわかる。同時に所得階層の差がかなり大きい地域のようだ。ヒラリー・スワンクは主人公のティナ・ブランドンを演じてアカデミー最優秀主演女優賞を獲得。確かに相当に役回りが難しい役を熱演したものだが、その仕草になんとなく不快感を覚えたのは私が男性だからだろうか、あるいは嘘をつきとおすティナ・ブランドンもしくはブランドン・ティナのキャラクターのせいだろうか。後味が悪い映画であると同時に、きれるととてつもない凶暴性を発揮する犯罪者もしくは元犯罪者の男性たちにも嫌悪感を覚える。性同一性障害者をつかまえて「化け物」とののしるこの男性たちや、あるいは恋人の母親もある種の異形の生物であり、「差別」というもののループのような階層を実感するからかもしれない。つまりこの映画は1993年にルイジアナ州で起きた実際の殺人事件をモデルにしているわけだが、映画を通して「この映画をみている自分はどうなんだ」という製作者の意図を画面・映像・音楽からつきつけられているような後味の悪さがある。
 よく言えばメッセージ性だが、逆に考えると2時間近くも説教をくらっているような気にもなる。監督のキンバリー・ブランドンは女性監督で殺人事件発生当時はコロンビア大学の学生だったとかいうが、そこはかとなく「学生映画っぽい」という雰囲気も漂う。実験性もあり役者の研究も深いが、なんとなく全体的にメッセージ先行型というか。しかし映画で必要なのは別にメッセージではないし、特定のイデオロギーでもない。とはいえヒラリー・スワンクがアカデミー主演女優賞を受賞したこの年の助演女優賞が「17歳のカルテ」のアンジョリーナ・ジョリー。さらには病んだアメリカの市民生活を描いた「アメリカン・ビューティ」が最優秀作品賞という年だ。
 アメリカ型資本主義が民主党クリントン大統領が長刀をふるい、財政赤字を猛烈な勢いでかたづけ、さらに景気を盛り上げていたころにこうした保守的な土壌や普通の生活の裏側を描く作品が迎えられた2000年という年はある種世紀の変わり目にふさわしいのかもしれない。


アバウト・シュミット(アレクサンダー・ペイン監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;66歳でアメリカ、オマハの生命保険会社ウッドメン(実在の生命保険会社)を5時きっかりに退職したウォーレン・シュミット。勤続32年を5時きっかりに終了したがその直後妻のヘレンが急死。次第にウォーレン・シュミットは自制力を失っていくが‥。映画の中でアカデミー賞俳優のキャシー・ベイツがヌードを披露‥いや‥別に‥
出演;ジャック・ニコルソン 、キャシー・ベイツ、ホープ・デイビス
コメント;オマハに実際に存在するというウッドメンタワーの威容ぶりにまず度肝をぬかれる。そして意図的なのだろうが、アメリカ映画の常識を覆し、空の色はほとんど薄暗い。画像は当初はブルーを基調に綺麗に演出されていくが、シュミットが自制心を失っていくあたりから色がだんだんカラフルとなり、そして花嫁の白色のウェディングが最後の一つの山となる。シュミットはカンザス大学では男子学生寮に入り、将来は「フォーチュン500」にはいることを夢見て経営学と統計学の学士を取得。ウッドメン生命保険ではリスク評価を中心にアクチュアリーをして部長代理というやや「中途半端」なポジションで定年を迎える。後任はまだ30代か40代前半の人間だが、「起業をあきらめて大企業に入りそしtまた若い世代に仕事を奪われていく」といった焦燥感をジャック・ニコルソンが見事に演出。シーンによって微妙に変わる髪形に衣装やヘアー・デザイナーの苦労がしのばれる。
 「満足のいく働きをしたか」
 「誰かの役に立てたのか」
 「所詮、自分は敗残者だ‥」
 「男として標準以下だ」
 「I will die ,maybe」
 オマハからコロラド州デンバーまでキャンピングカーを走らせるが、実はこれたいした距離じゃなかったりする。「road」(田舎道)という名前にふさわしいだだ広い殺伐とした風景の中をキャンピングカーは走り続けるが、無力感や虚無感がほとんどすべてのシーンを貫いているが、もちろん伏線となるラストはある。リスク評価ができる彼は残りの人生9年間を行きぬける確率を73パーセントと見積もり「Life is short」とつぶやく‥。
 残された時間を精一杯生きるだけだ、と理屈ではわかっていても、何をすべきかが実はつかめない。そしてつかんだと思っても、他人の奥さんにいきなりキスをするなど掟破りなことだらけ。次々に展開するシナリオの見事さと音楽の見事さ。そして「自分が存在したことを知っている人がいなくなれば自分などはいなかったも同然」といった台詞をたくみに演技する役者陣のすばらしさ。やや説教くさい映画ではあるがなんとキャシー・ベイツが全裸になるシーンもあったりして‥。掟破り連続の地味な、しかしコメディあり涙ありのすばらしい映画だ。
(フンメル人形)
 水運びをする人形という意味らしい。マリア・イノセンツィア・フンメルが描いたスケッチを基に作られた人形で、「水運び」がフンメル。だいたい100種類ぐらいあるらしいが、全部セラミック製。途中で見事な映像でこれが車体から振り落とされていく。
(バッファロー・ビル)
バッファロー・ビルことウィリアム・フレデリック・コーディ大佐は、本物のインディアンなどを加えて西部の戦いや馬の曲乗りなどを見せるワイルド・ウェスト・ショーを1890年代から行っていた。1910年に死亡。こうした西部開拓時代へのフロンティア精神への羨望がこの映画には散見されるが、主人公はベンチャーをあきらめた人間。自分の34年間のサラリーマン生活にはこの西部開拓精神がなかったことを恥じていたのかもしれない。西部劇では確かに妻が死んだ後「Will you forgive me?」といって泣く男というのは想像はできなかっただろう。だが、こうした涙を世界中に見せることができるのは現代に産まれた幸せかもしれない。

レイジングブル(マーチン・スコセッシ監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;プロボクシング元ミドル級のチャンピオンジェイク・レモッタの栄光と破滅を描く白黒映画。ロバート・デ・ニーロはこの映画でアカデミー主演男優賞を受賞。
出演;ロバート・デ・ニーロ、キャシー・モリアーティ、ジョー・ペシ
コメント;1940年代のタイトル戦から始まり、それを1960年代に回想するという形態をとる。これは実は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」にもやや通じる。もちろんワンスは1960年代に1930年代以前のおとを取り扱う映画ではあったが。栄光から挫折へというテーマはマーチン・スコセッシの「カジノ」にも通じるし、あるいは「最後の誘惑」にも通じるのかもしれない。キャシー・モリアーティは一応20代という設定だったが、現在46歳前後の「カジノ」に出ていた女優とそれほどかわらない老け顔だったりする。ただし画面にでてくる存在感は圧巻ではある。白黒映画であるがときに愛が過剰となるゆえに周囲の人間からにくまれる姿、そしてまたエンターテイメントに走ってからの落ちぶれていく様子は、周囲の人間への愛情がかえって疎まれていく様子をしみじみ描き出している。とはいえ主人公がブロンクスのスラム街から這い上がろうがどうしようが、最終的には他人への気持ちを洞察する能力にかけていたことと類まれなボクシングの才能。そしてそこにつけこむ八百長といった種々の事件が彼をむしばんでいく。ヤクシャ魂としてのデニーロは25キロの体重を増減して白黒の映画に耐えた。ジョー・ペシとデニーロはいくつかの映画で共演しちえるがこの映画では兄弟という設定だ。

 でもなあ。こういう実話描かれても結局、デニーロの演技を楽しむだけの映画という感想を抱かざるを得ない。なぜだろう。このマーチン・スコセッシの映像美学の感性のなさというのは‥。しかし最初から最後まで見せてくれる映画ではある。見てつまらないということはないし、微妙な演出加減がまた天才と天才のコンビネーションともいえる。撮影も演出もハイレベルだし、1980年代の映画というのはおそらく過去への回帰する部分が多かったのかもしれない。冒頭のスローモーションでリング上で動き回るデニーロの快適な動きは、他の映画ではなかなか味わえない緩慢なリズムでえおれが個人的にはたまらない快感にもつながる。

 女性を愛するあまりに女性を縛りたくなる‥。愛というのは不思議なものだ。