ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

ブロンド・ライフ(スティーブン・ヘレク監督)

2007-12-29 | Weblog
ストーリー;ブロンドのニュースキャスターは全国中継ニュースへの抜擢が決まった直後に街角の預言者にあと一週間の命と宣告される‥
出演;アンジョリーナ・ジョリー、エドワード・バーンズ、トニー・シャルーブ
コメント;アンジョリーナ・ジョリーの怪演ぶりが光る一作。父親のジョン・ボイトも時に得体の知れない映画に出演して気を吐くが、この映画のアンジョリーナ・ジョリーの演技もまさしく同様。「ラブコメ」にしてはギャグがすべてすべるようにおそらく意図的に仕掛けてあり、本作品は年間の最低映画を褒め称えるゴールデン・ラズベリー賞を受賞。いいのか悪いのか。
 せっかくの黒髪をブロンドにそめて演技しているジョリーはかなり美しさが際立つ。おそらくジョリーファンでこの映画をみて損したと思う人はいないだろう。なお、映画の中の父親役に「メジャーリーグ」でインディアンの監督役を演じたジェームズ・ギャモンが出演。深みのある演技を座ったままで演じきっている。

トゥー・ウィークス・ノーティス(マーク・ローレンス監督)

2007-12-29 | Weblog
ストーリー;歴史あるコミュニティセンターを保護しようとする環境派の女性弁護士と、顧問の女性弁護士に手をつけては不動産開発に支障をきたしているボンボン。この二人が組んで一緒に仕事を始めるとなると‥
出演;ヒュー・グラント、サンドラ・ブロック、アリシア・ウィット
コメント;ヒュー・グラントは英国にこだわる仕事をすると宣言していたが、この映画は2002年に撮影されサンドラ・ブロックが製作も手がけるハリウッド映画だ。当時「アバウト ア ボーイ」の撮影も同時進行に近い状態だったが、「ブリジッド・ジョーンズの日記」からそれまでのイメージを変えようとしているヒュー・グラントの一種の実験作品なのかもしれない。ノラ・ジョーンズやドナルド・トランプ、そしておそらくレッドソックスのマイク・ピアザもカメオ出演している。サンドラ・ブロックという女優がこの前に製作・主演した「デンジャラス・ビューティ」を映画館でみていたく立腹した記憶があり嫌な予感とともにみていたのだが、それほどひどくはない。これはヒュー・グラントのかなり大胆な実験演技とサンドラ・ブロックの大仰な学園祭演技との組み合わせが面白いからかもしれない。女優としては助演しているアリシア・ウィットの方がかなり可愛い上に上品な演技で好感がもてるのだが‥。ノラ・ジョーンズのピアノ演奏シーンは結構美形ぶりがきわだつ。
 この映画の中でサンドラとアリシアがともにハーバード大学卒業の弁護士を演じているが、いまひとつ良くわからないのはハリウッドのなんともいえない学歴主義。なんだかんだといっても映画中で他の私立大学卒業生の弁護士を低く扱っている上に、サンドラの演じてる民主党支持派にありがちな典型タイプ(グリーンピースで捕鯨に反対する環境活動家と同棲してたり、共和党のブッシュ大統領にひっかけたギャグをとばしたり、さらには legal aidでボランティア的な仕事をしてたり、といったシーン)が逆に空々しく個人的には途中でシラーとしてしまった。とはいえ、ヒュー・グラントがいみじくも指摘しているように「ラブ・コメディにはストーリーは決まっている」ということなので、こうした展開に異議を唱えるのはヤボってもんかもしれない。ストーリーは最悪で個々の場面のギャグはまあまあ。役者はヒュー・グラントとアリシア・ウィットがよく。カメラワークをはじめとする撮影場面はそもそも趣味に合わない。


 こんな恋愛の先にあるものはまた破局か離婚なのだがハリウッドのラブコメは「その先」を描かないのもなんだかなあ。ただしラストでヒュー・グラントが突っ込む台詞はなんとなくヒュー・グラントのアドリブじゃないかと思う。それが結構印象的かつ効果的だと思う。なお映画の中で出てくるホテルの名称はなんとグランド。これは往年の名作「グランドホテル」にささげるオマージュだろう。またサンドラ・ブロックが唯一輝いて見えたのは子共献金パーティでオードリー・ヘップバーンを意識したドレスメイクのとき。カメラワークはこれもうカラーでヘップバーンファンにはたまらない場面だろう。なお労働基準法で退職2週間前に事業主に通告するという制度はアメリカもそうだが、日本も同様。日本では被雇用者は2週間前、事業主が解雇に踏み切る場合には1ヶ月前となる。この辺の労働法制は日本は英米から輸入しているので、共通しているケースが多いようだ。もっとも運用の形態はぜんぜん違う。弁護士の描き方もおそらく日本も20年後はこうなっている可能性が高いという感触を得る。

 ヒュー・グラントの英国貴公子ぶりはテニスのシーンでのきれいなサービストスの上げ方にあると思う。このシーンはヒュー・グラントのとぼけた演技が他の役者をもうくいまくり。とにかくかっこいい‥。

初恋の来た道(チャン・イーモウ監督)

2007-12-29 | Weblog
ストーリー;江北省の片田舎の学校に都会(おそらく北京)から22歳の青年が教師として赴任してくる。この地方では建造物の設立にさいしては梁に赤い布をまくが、村一番の美少女招女弟は必死で機織機で布を織る‥
出演 ;チャン・ツィイー、チョン・ハオ、スオ・ホンレイ
コメント;ストーリー自体はただのメロドラマだが不覚にも最後に近くなって涙が出てきた。中国華北地方の厳しい冬と美しい春との対比がすばらしい。またチャン・ツィイーが映画の中で作るお弁当がすさまじくおいしそうだし、片思いの相手に作るキノコ餃子のつややかな白さがたまらない。映画の中でもチャン・ツィイーは「赤が似合う」といわれているが、髪留めは緑色で青いズボンに赤いシャツ。いずれもおそらく相当に安い生地でできていると思うがそれがたまらなく美しい。秋のシーンで白いススキの中にいるチャンがとてつもなく映画の中の映画という感じがする。お弁当は白地に青い花がプリントされているもの。これが途中で壊れて修理する場面もすごい。なまめかしさすら感じる。
 この映画はカレンダーでは1958年となっているが、文化大革命の時代とされている。ただしそうした政治的な色合いはまったく感じさせない純粋な恋愛ドラマ。監督のチャン・イーモウはこれだけの映画を撮影していても「チェン・カイコーよりは落ちる」というのが国際的な評価だというから、日本の映画監督のほとんどは国際的にはほとんど問題にならないのだろう。お金の問題ではなくいくら出してもかまわない映画にほぼ近い。

文化大革命
 1966年より。毛沢東主導による右派劉少奇を筆頭とする当時のブルジョア反動主義路線と革命継続主義。数千万人が虐殺されたともいう。映画の中での「右派」とはこの「ブルジョア反動路線」のことをいう。ただし当時の状況とは裏腹に現在の中国は市場経済政策を進めており、WTO加盟、さらには日本よりも厳しい株式会社の情報公開を促進中だ。

「5000元」
 映画の中でやりとりされる「元」は中国の通貨で12月末の為替レートは1元あたり12・5143円ほど。映画の中でやりとりされている5000元は換算すると約62,571円となる。ただし中国政府は変動為替相場をとっておらず、輸出増強政策のため意図的に元を低く設定されている。したがって、中国の実生活の相場では10万円から15万円ぐらいに考えておいたほうが良い。したがって、映画中で5000元を即座に支払う男性は日本では10万円から15万円をポンと支払った感じになると思う。

コールドマウンテン(アンソニー・ミンゲラ監督)

2007-12-29 | Weblog
ストーリー ;南北戦争末期にノースカロライナのチェロキー族が呼称する「コールドマウンテン」から徴収された舞台が集う基地。北軍と南軍の肉弾戦となり、バージニア州は血の嵐となる中、主人公が持つ本の中から一枚の写真が火に燃えようとする‥
出演 ;ジュード・ロウ、レニー・ゼルウィガー、 アイリーン・アトキンス
コメント;すごい役者の顔ぶれだ。主役のジュード・ロウはイギリス、アメリカで大活躍の実力派。さらにベテラン中のベテラン、アイリーン・アトキンス、キャシー・ベイカー、ドナルド・サザーランド、そして「レオン」のナタリー・ポートマンにフィリップ・シーモア・ホフマンが奴隷の黒人女性を妊娠させて殺害しようとした「牧師」を演じている。老人役が充実している映画は文句なしに名作の必要条件だと思う。
 物語は「イングリッシュ・ペイシャント」の続編としてみることもできるだろう。「イングリッシュ・ペイシャント」では洞窟で倒れている恋人を助けにいこうとしてかなわなかったハンガリー貴族のイギリス人をレイフ・ファインズが演じていたが、この映画では戦争中のバージニアからノースカロライナまで歩いて帰ろうとする無口な農夫をジュード・ロウが演じている。ホメロスの「オヂュッセイア」を彷彿とさせるというむきもあるが、愛する人間のもとへ帰りたいというのは人間の深層心理に横たわる本能のようなものかもしれない。南軍、北軍の軍人の狼藉ぶりの描き方も見事だ。おそらくこれに類する非戦闘地域での「義勇軍」のような存在は世界中のどこにでもあるのだろう。脱走兵を許容していると戦争そのものが成立しないからだ。そして脱走兵をかくまう人々も当然この世には多数存在する。どちらも人間の業の深い部分ではある。こうした話が堂々と映画でできるというのもアメリカと日本の社会構造の違いを感じずにはいられない。当時には「輪廻」という発想はおそらくなかったはずだが山奥の老婆(アイリーン・アトキンス)がしみじみとそれに近いことを語る。「帰りたい、あなたがいるから」「還りたい、魂のいるべき場所へ」などというセリフは無茶苦茶恥ずかしい言葉ではあるが、こうした一流の役者陣営はそうした陳腐なセリフを哲学的なきわみにまでひきあげる力をもっている。

 レニー・ゼルウィガーはこの映画でアカデミー助演女優賞を獲得。「ブリジッド・ジョーンズの日記」はイギリス映画だが、テキサス出身の彼女はアクセントそのほかをすべてマスターしてから撮影にのぞんだらしい。この映画ではこれまでの「ブリジッド‥」「ナース・ベティ」「恋は邪魔者」などと異なり一番演じやすい役だったのかもしれない。顔はあまりきれいな女優ではないが、とにかく性格の良さがにじみ出ている役者でかなり私は大好き。あまりの仕事のオファーに一年間休養するそうだが、そうした仕事ぶりもすごく好きな役者である。現在イギリスのロックバンドのボーカルとの恋話がもちあがっているそうな。日本では「ブリジッド・ジョーンズの日記2」が公開され、コリン・ファース、ヒュー・グラントとまた共演するらしい。公開されたら劇場まで見に行こうかと考えているところだ。

 しみじみした余韻を思わせる映画で、さかしらなイデオロギー的なものも少ない。人間の絶望的なまでのおろかさを過酷に描くアンソニー・ミンゲラ監督だが、その彼方にいつもなにかしらの希望がみえる。

アバウト・ア・ボーイ(クリス・ウエイツ・ポール・ウエイツ監督)

2007-12-29 | Weblog
ストーリー;38歳独身の男は、親の印税で暮らせる気楽な独身。シングルママに狙いをつけてナンパのためにウソをつくが‥
出演;ヒュー・グラント、レイチェル・ワイズ 、ニコラス・ホルト
コメント;独身でも金銭的に豊だとイギリスではこういう生活もありうるのかもしれない。ただしクリスマスはいつも一人で過ごして「フランケンシュタイン」をみるのが毎年の行事らしい。コメディータッチではあるけれども、結構シビアな場面も多く、「笑い」と「泣き」の場面が交錯している。ニコラス・ホルトが年上の恋人と肩を組んで坂道を歩く場面やレイチェル・ワイズがヒュー・グラントに「初対面の印象はblank」といいきる場面などはむしろ「ヒヤリ」とするぐらい凄みがある。ラストはなんとなくコミュニティを褒め称えるような形になっているが、それから先にもこの映画の登場人物はいろいろなところに問題を発生させそうだ。
 とはいえ、イギリス都市生活者、30代独身生活者の有様みたいなものがリアルに描かれており、個人的にはなかなかいいのではないかと思う。ヒュー・グラントが抑制した演技の中に斬新なことをしておりすごい。

GIA(マイケル・クリストファー監督)

2007-12-29 | Weblog
ストーリー;1970年代後半から1980年代前半に「ヴォーグ」などの表紙を飾ったトップモデル「ジア・ギャランティ」(GIA)の「天国」と「地獄」、そしてそれを乗り越えた後、「戻る」プロセスを描いたもの。切ない。主役のアンジョリーナ・ジョリーはゴールデン・グローブ主演女優賞を受賞。助演のフェイ・ダナウェイもゴールデン・グローブ賞をこの映画で受賞している。
出演;アンジョリーナ・ジョリー、エリザベス・ミッチェル、マーセデス・ルール
コメント;単なる「成功」と「挫折」にしては(実際の話だけに)切なすぎる。すでにテレビでも放映されている映画ではあるが一部過激な部分もあるのでカットされている可能性が高い。もともとこの手の話では「フィラデルフィア」などがあるが、イデオロギー性が強すぎて観客が引くときもある。この映画は1980年代という時代性もあり、まだ「成功」「失敗」「挫折」がある程度クリアに認識されていたころ。ドラッグ、セックス、同性愛といった話は今ではある程度普遍性もあるが時代を考えると当時26歳のジアが抱え込んでいた「もの」は重く深い。
 

 エイズについての知識も当時はあまり普遍的ではなかっただろうから、当時のジアが最後におかれた状況は想像を絶するものがあるだろう。ただし現実は理想よりも重く苦しい。そのハザマがこの映画ではメッセージ性を強くもって描かれてはいる。ただしそうしたメッセージはもともと「映画」の領域ではないので、アンジョリーナ・ジョリーにとってはあまりプラスに働くことはなかったのかもしれない。ジョリーは1975年生まれなのでまだ29歳。ジアと同様に美貌と演技の才能に恵まれたとんでもない俳優がこの世に存在する。フェイ・ダナウェイやマーセデス・ルールといった大女優にはさまれながらもその輝きが失われないのはそのgiftを感じさせる。当然これからもさまざまな映画で彼女は活躍するのだろう。この映画で彼女の裸身がどうこうというのはどうでもいいことではある。
「現実と自分を切り離して考える」というジアは「しかし自分はどこに置けばいいのだろう」とつぶやき、ドラッグの世界に自分を置くことを選択された。「愛」というものに飢えていた彼女は、男性に対しても一種「不信」を持っていたのかもしれない。弱くても負けても受け入れてくれる場所。実はお金をどう稼ごうとそれはたいしたことではなく、虚像ではない自然なままな自分を受け入れてくれる場所がジアは欲しかっただけなのかもしれない。それはおそらくファッションの世界ではなく、むしろ病気にかかったときに「大学で勉強する‥」といった一言が現れているのかもしれない。重い映画だが(そしてまたそういう映画は実は好きではないが)見て損をする映画ではない。すごい。

エイリアン対プレデター(ポール・アンダーソン監督)

2007-12-29 | Weblog
ストーリー;2004年10月。地球近くを周遊する人工衛星が南極大陸で「熱」を感知。探索したところ南極大陸に巨大な建造物の痕跡が‥。さまざまな分野の科学者が急遽招聘されるが‥。
出演 ;サナ・レイサン、ラウル・ボヴァ、ランス・ヘリクセン
コメント;今日は公開初日の土曜日‥。「ハウルの動く城」ではなくあえて「エイリアン対プレデター」を見に行く観客は当然両方の熱烈なファンかその恋人に決まっている。他のホラー映画では当然「笑い」が起こるであろう場面でもファンは必死で画面をみる。私が見たときは誰も笑わず終了後は映画館でしばし「談義」が行われていた。
 時代設定は2004年だが、これは妥当でエイリアンシリーズでいえば、まだリプリーは生まれていない。見る前に予想していた「オチ」とか「伏線」はほぼ的中してしまったが、「エイリアン2」と「エイリアン3」をみた人はあの人造人間役の人が登場する場面に注意。ちゃんと「エイリアン2」のパロディもやってくれています。また「プレデター」をみた人には、あの1980年代当時に想像されていたモバイルが現在登場するとこうなるのか、という楽しみも。
 ただしファンであればきづくいくつかの問題点。まずはエイリアンは寄生してから、外にでてくるまで一日以上は通常経過する。したがって、映画で想定されている「10分」とかいう「刻み」ではあんなに大量のエイリアンが賦課するというのは考えにくい。またエイリアンの数も「エイリアン4」でジャン・ジュネ監督がこだわったほどこの映画では考証されつくしていない。人間の数が限定されているのだから、エイリアンの数も限定されてしまうはずだ。また「プレデター」ファンからは、あのプレデターが走る場面なんて‥というクレームも。
 ただしこの映画はそれぞれの映画のいわば番外編。ラストは「エイリアン3」をみた人ならばある程度予想がつくもののそれはたいした問題ではない。むしろ画像処理や宇宙の場面などは「エイリアン」や「2001年宇宙の旅」の時代と比較するととんでもなく精密な撮影に。映画館でみれば音響効果も楽しめるという趣向。総合評価は星一つでも多人数で見れば見るほど楽しめる映画(ただしファン限定で)。


シークレットサービス(ウィルフガング・ピーターゼン監督)

2007-12-29 | Weblog
ストーリー;ケネディ大統領狙撃を阻止できなかったシークレット・サービスはその後、酒におぼれ家族を失った。そしてあれから30年後、現大統領の狙撃を予告される‥
出演;クリント・イーストウッド 、ジョン・マルコヴィッチ、レネ・ルッソ
コメント ;もう何十回となくみているサスペンスだが結論がわかっていても見直してしまう。クリント・イーストウッドの無骨な演技にくわえてしゃれたウインクやかわいいおどけた表情がたまらない。ジョン・マルコヴィッチの抑制した場面と激昂する場面の落差もすばらしい。犯行予告の電話がかかってくる瞬間、イーストウッドはマイルス・デイビスのCDを室内でかけていたとか、この時代にはまだ携帯電話が一般的ではなかったとか種々のチップスが得られるのも楽しい。

小説家を見つけたら(ガス・ヴァン・サント監督)

2007-12-29 | Weblog
ストーリー;ブロンクスの黒人少年の部屋には三島由紀夫をはじめとした小説が平積みになっている。彼はバスケットボールの名手でもあり、仲間を遊んでいると近くの古びたビルの窓からいつも双眼鏡で彼らをみている視線を感じる。彼らはそれを「ウインドー」と呼んでいた。そしてある日‥
出演;ショーン・コネリー、ロブ・ブラウン、マーリー・エイブラハム
コメント;この映画にでてくるアンナ・パキンは「ピアノ・レッスン」でいきなりアカデミー助演女優賞をとった女優(確か当時最年少で受賞し、授賞式でオスカーを受け取るときにはすごくうれしそうだったのを記憶している)。この映画では理知的な高校生を演じている。
 ショーン・コネリーとマーリー・エイブラハムといえば「薔薇の名前」。一種の社会的ひきこもりの小説家を演じているが、アメリカの教育事情がうかがわれて非常に興味深い。才能はあるけれども環境にめぐまれないというシチュエーションは結構世の人の興味をそそる題材だが、案外彼らは教育的環境を重視するとともに指導者の資質というのも重視しているようだ。こうした「資質」重視の視点があってさらに「啓蒙」がある‥という意味合いからすれば、この映画が成立する前提も一種のエリート的な考えを背景にしているようでもある。つまり小説家とであったのが、兄弟のうち兄の方であったならば小説家とはそもそも会話が成立しない。非常に良い映画であることは疑いようはないが、「文章」や「文学」って‥とたちどまって考える必要性もありそうだ。映像としては個人的には趣味ではない。

キューティ・ブロンド(ロバート・ルケティック監督)

2007-12-29 | Weblog
ストーリー;お金持ちでブロンドが「売り」の女性が彼氏をおってハーバード大学法学部に入学。すったもんだの挙句、主席で卒業‥と、いう‥
出演;リース・ウィザースプーン 、ルーク・ウィルソン 、ヴィクター・ガーバー
コメント;この映画はあまりにも現実離れはしているもののそれでも、アメリカ人(特に白人女性)の精神構造をみるのには格好の教材。ブロンドの女性の代表としてマリリン・モンローがあげられ、政治家の妻の理想として、ジャクリーン・ケネディが引用されたりする。この映画では有色人種やプアホワイトといった階層は見事に無視され続けている‥。ただしハーバード大学の授業形態や入学選考方式はこれに近いものがあるだろう。いかに人格や多様な個性を重視するとはいっても、ペーパーテストが軽視されているわけではない。教授会の選考でもヒロインの高校時代の成績表や法学検定試験の点数(200点中175点以上)が加味された上で入学が許可されている。さらに授業自体もそうとうなディスカッション形式で「ふるい」にかけるから、入学も卒業もそれなりに大変ということだ。おどろくべきことにこのパート2があるらしいが‥

 基礎として教育制度の大きな違いを念頭に置くともっと楽しめるのかもしれない。英米では(イギリスとアメリカとでもまた異なるが)基本的にエリート用の教育コースと中層階級向けの教育コースとが用意されている。エリートは家柄や経済力そのほかである程度コースが約束されてはいる。イギリスのパブリック・スクールやアメリカのボーディング・スクールなどがエリート養成学校であり、哲学・倫理・政治経済・外国語などを幅広く学習し、リーダーシップ哲学を叩き込まれる。大統領や首相の多くはそうしたコースからの出身者である。とはいえ平均的な教育の方は相当お粗末な状況のようだが、この映画ではもともと主人公は経済力に関しては問題がないことが明らか。後は高い授業料を支払い、ペーパーテストに合格すればよいということになる。こうしたリーダーシップ育成系統の学校では卒業時の総代というのは日本とはまったく意味合いが異なる。エリート階級の中でもエクセレントと認められた人間が挨拶をするわけなので、当然、次のエリートコースへの布石となるとみておいてよい。