ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

デイウォッチ(ティムール・ベクマンベトフ監督)

2008-11-24 | Weblog
キャスト:コンスタンチン・ハベンスキー、マリア・ポロシナ、ウラジミール・メニショフ、ガリーナ・チューニナ、ヴィクトル・ベルツ・ヴィツキー、ジャンナ・フリスケ

評価:☆

コメント:ロシア映画界が生んだ都会ファンタジー。シリーズ物なので実はこの映画の前作にあたる「ナイト・ウォッチ」(闇を監視するもの)を見ていないとトータルな物語の枠組みが見えてこないのだが、要は「光」と「闇」の二つの世界に「異界」は分かれていて、その2つの世界の協約を破るものがいるかいないかを特殊能力をもつ人間が「異種」として監視する。
 その際に、光側の監視をするか闇側の監視をするかで「デイ・ウォッチ」と「ナイト・ウォッチ」に別れるという構図だが、こうした物語りの設定枠自体がなんだかロシア的だ。
 映画の中でも明らかに中央アジアの影響を見て取れることができるし、ハリウッドでもフランス映画でもない独自の世界観がそのまま最初からラストまでスピーディに展開していくあたりが面白い。
 物語はイラク北部から名将ティモールと「魔法のチョーク」の関係から始まるが、名称ティモールは黄色人種。当然黄色人種もロシア世界には大きな影響を与えてきたわけで、こういう歴史回顧主義的な文脈でモンゴロイドが活躍する展開もハリウッドでは期待薄だ。
 2006年のモスクワを舞台にしているので全編雪だらけでこれもハリウッドでは作れない雪のシーンのオンパレード。名将ティモールの墓場はサマルカンドにある…という設定も、見たことのないアクションシーンも素晴らしい。ただ見ているうちに気分が重く沈んでくるのはハリウッドリズムというよりもやはりアジア的な暗さが全面にでてくるせいか。 中央アジア文書が保管されているナイト・ウォッチの書庫も画面からその「湿気」が漂ってくるような湿っぽさがいい。

ストーリー:闇を監視するナイト・ウォッチのアントン・ゴロデツキーは、研修生でもあり恋人でもあるスヴェトラーナと「人間のエネルギーを吸い出す事件」を探知して駅に向かう。異界の第二レベルまでは絶対に入るなと所長のゲッサーから言われていたが、それを無視して、異界の第二レベルに突入する研修生スヴェトラーナ。そこで発見したのはエネルギーを吸い取るアントンの実の息子イゴールの姿だった…。

スウィーニー・トッド~フリート街の悪魔の理髪師~(ティム・バートン監督)

2008-11-12 | Weblog
キャスト;ジョニー・デップ、アラン・リックマン、ヘレン・ボナム・カーター、ティモシー・スポール、サーシャ・バロン・コーエン、エドワード・サンダース、ジェイミー・キャンベル・バウアー、ローラ・ミッシェル・ケリー、ジェイン・ワイズナー

評価:☆

コメント:「ミンチ」が出来上がるシーンから下水道に至るまでの冒頭の流れるようなカメラワークが素晴らしい。
 19世紀ということで、ヴィクトリア王朝の時代が想定されているようだ。街灯が設置されていて、石畳のロンドンの街並みが印象的だ。特権階級と貧民階級の格差が強調されており、また身寄りのない人間が農村から都市にでてきてロンドンを形成している様子もみてとれる。肉の値段が高騰しているという設定で「パイ」は粉とラードだけ…という貧しい食生活。ヘレン・ボナム・カーターが怪しくてなかなかいい。
 聖ダンスタン市場の活気あふれる様子や「赤と白の床屋のマーク」、ガラスの窓、ジンの普及、ハーブやコリアンダーなどでソースを作るといったあたりに香辛料だけは入手可能な状態であることがわかる。精神病院もすでに設置されていて、「フォッグ収容所」として映画の中に登場する。  
 当時の英国の「階級社会」の様相が巧みに描写されつつ、さらに現代風に変形もされているところが興味深い。
 アラン・リックマンが演じるターピン判事は地主ではなさそうだが、裁判所の裁判官という法律を学ぶ者ということでジェントルマンとみなされる階級だということがわかる。ターピン判事の親は、おそらく貴族かあるいはジェントリとよばれるクラスの地主だったろうが、おそらく兄弟がいてターピン判事はその弟に相当するのであろう。土地を相続することはできなかったが法学院で法律を学習してその後司法にたずさわり上層階級になりあがっていったのではないか…と推察できる
 また当時の新聞が怪奇小説をそのままあたかも真実であるかのように掲載していたことも知られているが、スウィーニー・トッドもそうした怪奇小説の一部が都市伝説として広まって現在に至るのではないかと推定される。実際の殺人事件であってもあらかじめ用意してあったイラストなどと一緒に新聞には掲載されていた時期があったらしいので、都市伝説が生まれる基盤は当然あったのだろうが…。  

 もう一人の重要な脇役少年トビー。18世紀当初からの産業革命の影響で、過酷な工場労働や炭鉱労働に少年が駆り出されていたのは歴史的事実。一種の徒弟制度の変形バージョンとしてトビーはスウィーニー・トッドの下で働くことになる(厳密にはラベット夫人だが)。いわば「オリバー・ツイスト」的な子供像をこのトビーは映画の中で体現している。

 ヘレン・ボナム・カーターは「眺めのいい部屋」で1907年のエドワード王朝の頃の良家の令嬢ルーシー・ハニーチャーチを演じたときの演技が印象的だった。1901年から1909年ごろまでの短い時代(エドワード7世の時代)だがヴィクトリア王朝の「禁欲的生活」から「古きよき自由な時代」を生きたルーシーのイメージとヴィクトリア王朝を舞台にしたこの映画のラヴェット夫人との対比がまた印象的だ。エドワード7世とヴィクトリア女王の性格の差がそのまま時代の差となり、さらに「眺めのいい部屋」と「スウィーニー・トッド」の差異となってあらわれているような気もする。

 この映画は1998年に映画化された「スウィーニー・トッド」(ジョン・シュレンジャー監督 ベン・キングズレー主演)に続く二度目の映画化作品。ミュージカルの題材や英国の各種小説にも顔を出すキャラクターだが、前回の作品は新宿ミラノ座で公開された時点で見た記憶がある。前作の映画では、石畳の道路や街灯はラストに見えるだけでヴィクトリア朝後期からエドワード時代に至る過渡期が示唆されているラストが印象的だったが、今回の作品はティム・バートンのこだわりがみえる舞台設定で、全面に街灯や石畳がふんだんに用いられているのが印象的だ。ちなみに白熱灯がロンドンに導入されたのが1882年だから、舞台設定も1882年以降ではないかと推定される。ちなみにこの映画は第80回アカデミー美術賞を受賞。舞台装置そのほかは見事というしかなく、受賞は当然のような気がする。  

 衣装も見事でだいたいヴィクトリア朝後期の1850年代から1890年代に英国の服飾の基本が確立されたとされている(「西洋服飾史」朝倉書店)。ゆったりとしたトラウザーズ、折り返しについた襟、ブーツから編み上げの靴、トップハットの帽子など映画の衣装も美術以上に楽しめる。ジョニー・デップが着ている木綿の白いシャツもこの時期に確立された衣装のようだ。  

 肉は高いが粉は手に入る…という台詞が面白い。これはおそらく穀物法の廃止で自由貿易体制が確立したのが1846年。おそらく穀物法廃止による輸入貿易の結果小麦粉などはわりと安く入手できたほか、英国農業が海外農産物に対抗するために効率化を図った結果の時代ではなかろうか。舞台設定がヴィクトリア朝後期ではなかろうか…と推定するのはそうした台詞のせいもある。

 1888年の「切り裂きジャック事件」やフェビアン社会主義、1887年の「血の日曜日」事件などヴィクトリア王朝後期には失業者と社会主義、連続殺人事件など社会の暗黒面が露出してきた時代でもある。 そうした時代設定のもとにうまれでてきたこのキャラクターが21世紀にまた登場してくるというのは、多様な価値観や芸術作品が量産されたヴィクトリア王朝と現在が重複する部分があるからかもしれない。

ストーリー:15年もの懲役をへてバウンティフル号の船乗りアンソニーに途中助けられつつロンドンのフリート街に戻ったスウィーニー・トッド(ベンジャミン・パーカー)ターピン判事に罠にはめられて幸せな家庭が崩壊してしまった彼は復讐を誓う。そして娘のジョアナはしかしターピン判事の養女として育てられていた… (参考「イギリス文化史入門」(伊野瀬久美恵編 昭和堂 1994年)、「西洋服飾史」(菅原珠子ほか 朝倉書店 1985年)

ミッドナイト・イーグル(成島出監督)

2008-11-09 | Weblog
キャスト:大沢たかお、竹内結子、玉木宏、吉田栄作、袴田吉彦、大森南朋、石黒賢、藤竜也

評価:

コメント:名作「フライ、ダディ、フライ」の監督の作品。期待してみたのだが、まず「雪」の降り方が下手なのにがっかり。雪山もしくは冬という設定を画面でうまく表現してほしかったのだが、「八甲田山」のほうがまだ雪山の怖さを上手く描けていたような気がする。
 やたらに状況はものものしいのだが、「雪」が「雪」らしくみえないところですでに物語に感情移入できない状況が揃う。冒頭の戦闘地域で薬指に結婚指輪をはめて撮影している大沢たかおにはなかなかしびれるものがあったのだが…。大沢たかおの「髪型」もかなりいい。ヘアメイクのアイデアの勝利といえるだろう。
 ストーリー展開もいまひとつで、日本国内に某国の工作員が多数潜入しているという設定はともかくとしても、米軍横田基地に侵入して一人は傷を負いながらも脱出…なんてことは実際には不可能だろう。よしんば可能だとしても白の迷彩服に完全武装の陸上自衛隊員が「謎の工作員部隊」にほぼ全滅…というのも考えにくい。その武器の調達はいくら工作員でも大変だったのではないかなあと思うのだが…。
 新宿の百人町もロケに使用されているのだが、百人町付近で映画に登場してくるような「施設」はないし、あったとしてもすぐ警察に通報されてしまうことになるのでこれも非常識。登場してくる主要な男性はいずれも心に傷をもち「自分から逃げたという思いがある…」と切々と語る新聞記者にも同情できず。生き残った三等陸佐を演じる吉田栄作はなかなか面白い演技を展開していたが…。
 コソボやボスニアの写真をみて逆に自衛隊員に志願したという経歴の設定もユニークだし、しかも国際貢献が自衛隊の責務となった現状ではそうした動機で入隊する自衛隊員も少なからずいるだろう。  
 ナパーム弾の使用が1996年の国連人権委員会で禁止されていたのはこの映画で初めて知った。炎で焼け死ぬというよりも酸素欠乏で死ぬケースが多いらしいが、結論に至るまでの経緯はすべてこの映画では内閣総理大臣が下している。文民統制を貫くという点ではこの映画では合格点だが…。実際にこうした事態が発生したとして、どこまで現場の「暴走」が抑止できるかは神のみぞしる…。

ストーリー:おそらくアフガニスタンと思しきイスラム圏の戦闘地域で、目の前の戦争被害者を救出することができなかった自分、そして妻の気持ちに気づけなかった自分に嫌気がさしたカメラマン西崎。雪山の撮影を続けながらも心は戦場カメラマンから遠ざかる3年間を過ごしていたが、長野県北アルプスにビバーク中に未確認物体が落下するのを偶然撮影。その後、東部方面航空隊からホットスクランブルがかかったF-15戦闘機が2機飛来するのを目撃する。陸上自衛隊の最強部隊習志野のレンジャー部隊でも落下地点に到着するのには2日はかかるとされる場所へ、高校の後輩でもある東洋新聞松本支局記者落合と向かう西崎。しかし東京と北アルプスの両方で、未確認飛行物体を巡る大きな問題が姿を現しつつあった…。

キングダム~見えざる敵~(ピーター・バーグ監督)

2008-11-09 | Weblog
キャスト:ジェイミー・フォックス、クリス・クーパー、ジェニファー・ガーナー、ジェイソン・ベイトマン、アシュラフ・バルフム、トーマス・アキュラー

評価:

コメント:アクション映画にしては素直に見れない部分もあり、しかも一部は実際のテロ事件がモデルになっているということもあって、見ているうちに気分が重くなってくる。日本人も犠牲になり、しかもその殺害シーンがインターネットで配信されるという痛ましい事件があったが、それを彷彿とさせるシーンもある。痛々しい画面の向こう側に「断絶」と「憎悪」が透けて見えてくるという重たい映画だ。  
 映画の冒頭でワッハーブ派の強力で1932年にサウジアラビアが建国。さらに1933年にサウジアラビアで石油が発見された旨の紹介がされる。石油資源を目的にアメリカとサウジアラビアの交流が始まり、ルーズベルトとサウジアラビア国王が会談したことも紹介される。
 中東戦争ではアメリカはサウジアラビアを支持。オスマ・ビン・ラディンに対する攻撃ではサウジアラビアは約50万人の派兵、さらにオスマ・ビン・ラディン(サウジアラビア出身)は王室を批判というくだりで、王室と一般民衆との微妙な考え方の差異が浮き彫りにされてくる。   
 世界の第一次エネルギーの基本は国際エネルギー機関(IEA)の集計で2005年のデータでは35パーセント(原油と石油製品の割合)。石油代替エネルギーの開発は進んでいるがやはりエネルギーの主力である。2007年の推定埋蔵量でも中東が圧倒的な物量を誇り,可採年数でみると非中東地域の3倍近くある。その中でも現在では北海産油国やインドネシアの資源枯渇などの影響で,供給余力の大きいサウジアラビアへの依存が高まっているのが現状だ。
 IEAの統計をみると映画の冒頭で述べられていた通り,サウジアラビアの石油供給量は2005年時点で8920万トン。原油の生産規模の一位はロシアだがサウジアラビアは世界2位だ。埋蔵量でみるとサウジアラビアは圧倒的な一位で次がカナダとなる。アメリカ経済にとってもしくは日本経済にとってもサウジアラビアの石油が重要であることには変わりはない。そして一次エネルギーの純輸入国のトップはアメリカ合衆国だが(73487万トン)だがその次が日本の43898万トン(ちなみに3位がドイツ,4位が韓国という順位になる)
 この映画ではどうしても王室(サウード家)とワッハーブ派との微妙な関係,さらにテロリストとキリスト教徒との対立が画面にも出てこざるを得ない。一般にイスラム原理主義といわれるケースではこのワッハーブ派が指されるケースが多いようだが,一時期はオスマントルコに滅ぼされるまでは独自の王国も持っていた。サウジアラビアでなぜゆえにワッハーブ派(イスラム原理主義)が勢力を伸ばしたのかは門外漢の私にはよくわからないが,かなりの勢力を持つと同時に,近代国家をめざす王室の存在もあり映画を見ただけではなんともいえない。ただ映画の冒頭にオスマ・ビン・ラディンの名前や映像もちょっとだけ出てくるシーンがあり,サウジアラビア内部のワッハーブ派とオスマ・ビンラディンとの関係を示唆しているようにも見える。
 人権問題についてもイスラム原理主義と近代国家との関係で相容れない部分があり,それは容疑者となった警官に対する拷問シーンに現れている。  
 世界一の産油国サウジアラビアと世界一の消費国アメリカがグラフで「対」にされ、さらに「伝統と近代化」「王室とワッハーブ派」といった二項対立が幾つも明示された時点で映画の「物語」は始まり、そして、終わる…。エクソン、シェルといった実在の企業から王室にお金が流れているといった台詞や「どのみち死ぬのであれば、その死に方が問題だ」といった台詞が印象的。また「600万ドルの男」「超人ハルク」 といった映画が意外な場面で台詞の中に引用される。

ストーリー:サウジアラビアのアル・ラマー外国人居留区ではのどかに石油会社の社員たちが野球を楽しんでいた。しかしいきなりそこに乗り込んできたテロリストが銃を乱射、さらに自爆テロで100名以上の被害者がでる。その中にはFBI特別捜査官のフラン・マナーも含まれていた。サウジアラビア国家警察は一定の鎮圧を行ったが、アメリカFBIの中では、捜査官の現地派遣を強く求める声が出る。しかし中東との外交関係を懸念した司法長官や国務省はFBI捜査官のサウジアラビア派遣に反対。一方、サウジアラビアではアル・ガージ捜査官が必死で犯人グループを追っていた…。
参考「Energy Balances of OECD Countries」(IEA)  

ノー・カントリー(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン監督)

2008-11-04 | Weblog
キャスト:トミー・リー・ジョーンズ、バビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン、ケリー・マクドナルド、ロジャー・ボイス、ウッディ・ハレルソン

評価:☆☆☆

 コメント:第80回アカデミー賞で作品賞・監督賞・助演男優賞・脚本賞を受賞。コーエン兄弟独特のストーリー仕立てと画面の展開、そして俳優の演技が完成度を高めている。特に独特の「武器」を使用するバビエル・バルデムはゆっくり歩いているだけで怖いほど。コーマック・マッカーシーの小説「血と暴力の国」が原作。
 25歳で保安官となりもはや定年前となったトミー・リー・ジョーンズの独白から始まる。舞台設定は1980年となっており、携帯電話が存在しない世界だ。いわゆる激情型犯罪が続出してきたころの話で、「昔」と「1980年代」を比較するところから物語が始まる。
 普通のアクション映画と異なり細密な部分の演出にこだわって作成されており、たとえば死体を発見してもすぐには動かず時間を計測して望遠鏡で周囲を観察してからゆっくり「ハンター」は動き出す。家にもどっても床下に武器を隠すなど用意周到な面をみせるそれぞれの登場人物のキャラの描き方がうまい。
 77年型フォードが荒野に取り残されていたり、「1922-1980」と刻まれた墓碑銘などで観客はゆっくりと時代設定を理解していく仕組みになっているのがまた心憎い。
 荒野の中に木が二本生えていて、その下に死体が眠っているイメージが強烈で忘れがたい。強烈なバイオレンスシーンなのだが、「昔も今も変わらない」という台詞が映画の中にたびたびでてくる。ウッディ・ハレルソンも映画の中で「この国は人に厳しい」という台詞をもらす。「何も変えることはできない」とも。
 電話料金請求書などアナログだが確実性のある追跡方法がまた怖い…。

ストーリー:麻薬の売買取引がこじれて商品も金も置き去りにされた現場に元溶接工にしてベトナム出征歴2回のハンター、ルウェリン・モスは遭遇する。「いい予感」がするといってその金をもって逃げるが、独特の「武器」(エアガンのようなもの)と「哲学」をもつ殺し屋アントン・シガーに追跡されることに。そして独自の動きを示すアントン・シガーにも麻薬組織は殺し屋をさしむける…

エリザベス~ゴールデン・エイジ~(シェカール・カプール監督)

2008-11-04 | Weblog
キャスト:ケイト・ブランシェット、ジェフリー・ラッシュ、クライブ・オーウェン、サマンサ・モートン、アビー・コーニッシュ、リス・エヴァンス、ジョルディ・モリャ

 評価:☆☆☆

 コメント:今から10年前の「エリザベス」の続編。キャストもスタッフもほぼ前作と同様だが、ケイト・ブランシェットが受賞は逃したものの、この映画でもアカデミー賞にノミネートされる。作品自体はアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞したが、やはりケイト・ブランシェットの着ているドレスはどれもただものの衣装とはやはり思えず衣装スタッフの苦労が報われた瞬間だろう。映画自体はもうケイト・ブランシェット抜きにしては語れないほどケイト頼みの展開で、数十秒間ケイト・ブランシェットを360度から撮影するだけでコメントも何もないシーンがあるが、こうした無言の撮影をこなしてしまうあたりがこの大女優の才能ゆえか。

 けっして絶世の美女というわけでもないのに、「ロード・オブ・ザ・リング」であれ「ギフト」であれ「コーヒー&シガレッツ」であれ、シーンにはまりこんだ自然体の演技を展開してくれる名優だが、今後の俳優人生もさらに長いだけにさらにとてつもない俳優へと進化していく様子がうかがえる。俳優頼みの映画という点ではフランシス・ウォルシンガムを演じたジェフリー・ラッシュも素晴らしいし、ウォルター・ローリーを演じたクライブ・オーウェン、メアリー・スチュワートを演じたサマンサ・モートン、エリザベスの侍女を演じたアビー・コーニッシュなどいずれも素晴らしく、キャスティングの素晴らしさだけでも映画は成立するということを証明した作品。俳優だのみの映画はあまり好きではないのだけれど、この映画に関しては別物だ。

 エンドタイトルには「エリザベス1世 1533年-1603年」とのみ表示される画面が圧巻。  カソリックと英国国教会の融和については映画の中でも苦慮する様子がうかがえるが、礼拝統一令などでどちらの面目も立つような形の英国国教会を確立。フェリペ2世のスペイン大使が求婚にあらわれる場面もあるが終始独身で通した理由も結果も映画の中で描写されているが、いわゆるオランダ(ネーデルランド)やフランスなどへの新教徒援助のシーンは徹底して省略されている。一方、フェリペ2世についてはスペイン海軍歴史上稀な敗北をきしてその10年後に財政赤字とともに死亡という見もフタもないコメントが画面に映し出される(英国作成の映画なのでやむをえないのかもしれない)。ただけっして無能な王ではなく、ハプスブルグ家カール5世の息子であり、レパントの海戦ではトルコに圧勝。スペインの世界大帝国を築いたという点ではやはり偉大な指導者だったが、ちょっと英国びいきが過ぎるかな…というのは映画からの印象。オランダ独立戦争の敗北と無敵艦隊の敗北が痛手だったが、いずれもエリザベス1世の策謀が影にみえる。リドルフィ事件やバビントン事件などもきめ細かく描写されておりエンターテイメント性も維持。ただ歴史的著述に相当「圧縮」した部分がでてくるのはやむをえないだろう。
 その中でサー・ウォルター・ローリーの存在感が強調されているのが興味深い。映画の中でもローリーが運んできたアメリカ大陸の「タバコ」をエリザベス女王が試しに吸う場面や「ヴァージニア州」(ローリーが命名したとされているが…)を紹介する場面がでてくるが、ダドリー卿の話はでてこない。是は一種の政治的バランスかもしれない。いずれにせよ英国ルネサンスが花開く時代の一断面を切り取るとともにケイト・ブランシェットの魅力を発揮したこの作品、さらに続編が実は楽しみだ。    

ストーリー:映画は1585年から始める。状況としては世界最強を誇るスペイン(カソリック教)が世界を制覇しつつあったが、それに唯一抵抗していたのがイングランド。フェリペ2世はイングランドに対する戦争の「大義名分」を探索しつつ、一種の「聖戦」としてイングランド侵攻のチャンスをうかがっていた。占星術では二人の女王の誕生を告げていたが、一人はイングランドのエリザベス1世。もう一人はスペインのイザベラ女王を指しているものと推定され、占星術師もまたどちらが覇権を握るのか決めかねていた。一方、ファザリング城に幽閉されているスコットランド女王メアリ・スチュワート(カソリック)についてはスペインが支持を表明。「英国」内には国民の半分に相当する人間がカソリック教を支持しており、「信念だけでは国民を罰することはない」とするエリザベス1世の政治基盤を揺るがす土壌ともなっていた。またドーバー海峡の壁の補修代もままならないほど財政が逼迫していたのもエリザベス1世の悩みの種だった。一方、フェリペ2世はきたるべき戦争に備えてスペインの森をつぶして大艦隊の製造に乗り出す。あとは「大義名分」と一つの「きっかけ」さえあれば一触即発の状況に入っていく…
(参考:「イギリス王室物語」(講談社現代新書 小林章夫著 1996年)、「世界史辞典」(平凡社 1983年)

ジャンパー(ダグ・リーマン監督)

2008-11-04 | Weblog
キャスト:ヘイデン・クリステンセン、サミュエル・L・ジャクソン、ジェイミー・ベル、ダイアン・レイン、レイチェル・ビルソン、マイケル・ルーカー、ジャシー・ジェイムス

評価:☆

コメント:高校生をおそらくターゲットにしたSF映画で上映時間は約1時間28分。1時間半に納まる映画なので軽くみるのにはちょうどいいが…大人が見ていると途中で眠くなるかも
 映画のロケーションに渋谷と新宿が使用されており、おそらく相当深夜にかなりのエキストラを駆り出して撮影したものと推定される(日本の映画と異なり雑踏に出演するエキストラにも配慮するのがハリウッドの俳優労働組合…)。高校生のときにローマ旅行などを夢見ていた少女を衝撃の再会をはたして実際にコロッセオなどにも行ってしまう…というあたりはほろにがい青春のその後…という感じだがいかんせん役者が全員「大根」なので、死んだはずの人間が突然復活してきてもあまり感動とか驚きが画面には反映しないままなんでもなく物語は進行していく。もうそのあたりでだいたいばかばかしくなってくるのだが…。まあこういう映画もたまには必要があるのかもしれない。マドンナ役のレイチェル・ビルソンがなかなかの魅力でこれからの注目株とみた。現在、この映画で知り合ったヘイデン・クリステンセンと交際中。
 母親役のダイアン・レインはほんの少し登場するだけだが本当に落ち着いた感じのladyに。「ストリート・オブ・ファイア」のあの美しさとはまた異なる美しさを画面に醸し出す。

(コロッセオ)
 外面部分はどうも実際にロケーションで撮影したらしいが、この「内部」は完全に合成画像でここでジャンパーとパラディンの死闘が繰り広げられる。映画「グラディエーター」のように闘士どうしの戦いということになるが、いまひとつ迫力に欠ける。外周半分しか現在は残っていないというが、映画の中にでてくるワンシーンだけとってもコロッセオの迫力は十分。人類の文化遺産であるという理由もうなづける。

ストーリー:デビッドの母親は5歳のときに家族を捨てて行方不明となる。その後、海外旅行を夢見るガールフレンドのために氷の上を歩くが川に落ち、なぜか知らないうちにアナーバー公立図書館の中に瞬間移動。父親に反発して、母親と同じように家を出て、地方銀行や移民貯蓄銀行の金庫室などにテレポートして資金をためて再びガールフレンドに再会しにいくが…。中世の魔女狩りから特殊能力者を抹殺するというパラディンとの闘争を続けながら、次第にデヴィッドは追い詰められていく…