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アレキサンダー(オリバー・ストーン監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;アレキサンダー大王の歴史とベトナム戦争を重ねあわせ、さらに「JFK」でケネディ暗殺の「事実まがい」のサイドストーリー、さらに「ニクソン」でアメリカ大統領を「オモチャ」にしたこの監督が歴史の中で権力をからかうコメディ映画ともいえる‥かな‥
出演;アンジョリーナ・ジョリー、コリン・ファレル、バル・キルマー
コメント;オリバー・ストーン監督の作品では「ナチュラル・ボーン・キラーズ」がやや面白かったが、それ以外の作品はどれも生理的に受け付けられない。「プラトーン」でも強い拒否感を感じたし、「7月4日に生まれて」をみてから、大嫌いな監督の筆頭となった。今回の映画もアメリカのベトナム戦争とだぶるところが多い。マケドニアはもともと前11世紀にオリュンポス山脈の地域から民族として起こり、種々の部族があったが映画の中にも登場するフィリッポス2世によって一つの国家として統合される。この時代のマケドニアは軍事的にも一般の家庭でも家父長制度を採用しており、映画の中ではところどころにそれが示されている。マケドニアはもともと都市国家征服などの領土拡張政策を採用しており、フィリッポス2世は軍隊を分業化し、衛生兵や地図製作要因なども配備した組織化をおこなった。とはいえ貴族中心による「ヘタロタイ」(王の仲間)という性格も色強く残る。フィリッポス自身がギリシアの都市国家の併合と、ベルシャ帝国に対する復讐について強く思うところがあったようだ。そのあたりは映画でも割りと忠実であるが‥。それからの描写がもうひどい。前338年にマケドニアはカイロネイアでギリシアの都市国家連合軍に勝利し、ギリシアに「統合された国」というコンセプトができあがるとともに、翌年の337年にコリントス会議でギリシアとマケドニアの間にコリントス同盟が締結され、フィリッポス2世がその最高指揮官となる。映画で描かれている「結婚式」はちょうどこのコリントス同盟の頃からだろうが、実際にフィリッポス2世が暗殺されたのはその翌年の前336年アイガイ劇場にて。この暗殺が当時18歳のアレキサンダー3世に指揮権をもたらし、彼はすぐに陸軍と海軍の掌握に乗り出す。映画では「しぶしぶ」という描写だが、実際のところ当人にその意志があったとしか思えない。アレキサンダーが生まれたのは前356年とされているから、当時すでにマケドニアはギリシアとの戦いに実質的に勝利した後だ。母親のオリュンピアスは、アンジョリーナ・ジョリーが上品に演じているが、実際のところ相当な野心家でアレキサンダーに「ゼウスの息子」だと信じさせようとしていたようだ。指揮権掌握後、ペルシア帝国傘下のギリシア都市国家の解放のために歩兵3万人と騎兵5千人を率いてダレイオス3世の率いる2万人のペルシア人およびギリシア傭兵と戦闘をおこなう。ただしこの先頭の前にトロイ(アキレスに影響を感じたとされている)に巡礼をしている。さらに前333年にダレイオス3世は約40万人の部隊を率いてアレキサンダーと戦うが敗北し、映画にあるように家族も取り残して敗走する。アレキサンダーがダレイオス3世の家族を丁重にもてなしたのは事実のようだが、映画であるようなダレイオスが約20万人でアレキサンダーが約4万人といった破天荒な作戦はとっていないと思われる。この英雄ぶりを拡大するのはオリバー・ストーンの常套手段なので用心する必要がある。部下が成功を危ぶむ作戦はだいたいその時点で失敗がほとんど確定していると考えていいのではないか。さらにその後、映画では省略されていたが、パレスチナとエジプトを「解放」し、ファラオとしての名誉を獲得するとともにアレキサンドリアは国際貿易の中心地となる。そして前331年にダレイオス3世の軍隊と戦闘するが、ここでもダレイオス3世は敗北し、映画の中で描かれたような敗走劇を演じるアレキサンダーの「侵略」が「新世界への探検」という性格を帯びるのはこの頃からといわれている。実際にはダレイオス3世は馬車の中で部下のバクトリア総督ベッソスに瀕死の状態で発見されて死亡。映画の中では描写が異なるが、そうしたところにオリバー・ストーンの悪意すら感じる。アレキサンダーはこの段階でアケメネス王朝の継承者をなのるという賢い作戦に出る。アレキサンダーは現在のアフガニスタンのヘラートトカンダハルにアレキサンドリアを構築し、ソグド人貴族のロクサネと結婚する。ペルシアの礼儀方式などを採用するがこれがマケドニア人には受け入れられないというのは映画でもあるとおり。実際にパルメニオン、クレイトスなどが死刑・殺害されている。そして前327年にインドへアレキサンダーは向かう。タキシレスはアレキサンダーと同盟するが、インダス川でポロスとアレキサンダーは戦闘状態になる。ここから歴史の捏造がまた始まる。ポロスは象部隊を駆使したが、実際には敗退し、アレキサンダーが勝利している。ただし部下のサボタージュは確かにあったらしい。その後陸と海に分かれて、前323年にバビロンに戻る。映画ではまったく触れられていないが、軍隊の中には歴史家や科学者もおり、いわゆるヘレニズム文明を生み出す文化活動・研究活動もおこなっている。さらに現在では、ギリシア語を拡大したアレキサンダーの功績がそのままキリスト教の布教の土台となり、ユダヤ教ではアレキサンダーはソロモンの神殿に礼拝しており、イスラム教では預言者の一人に数えられている。そしてまた十字軍の時代には一種の偶像としてアレキサンダーは利用されることになる。
 地図をみるとわかるが彼がうまれたペラは現在のユーゴスラビア付近。バビロンはイラク付近だ。その影響は敦煌、長安をへて日本の奈良まで及ぶが一種のシルクロードの土台を築いたとも考えられる。彼の死因についてはマラリア説と毒殺説があるがオリバー・ストーンは毒殺説を採用する。だが通常の人間がこれだけ徒歩で移動して病に倒れれないほうが不思議である。予算は150億円だそうだが、はたして半分も回収できるのかどうか。
このアレキサンダーはバズ・ラーマン監督が2006年に新作をとるが、そちらの方に期待したい。なお映画の中でアレキサンダーがライオンをかぶるシーンがあるがこれはヘラクレスの象徴、といったあざといところか。

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