一生

人生観と死生観

人生をいつも新鮮に

2008-11-12 15:41:17 | 哲学
11月12日 曇り
 運命の関連問題で5回続け、最初は閲覧数が200件であったが、2回目、3回目と低下してやはり閲覧者は飽きっぽい傾向があるかと思ったが、4回目、5回目はまた増加に転じた。運命を甘受するのか、それとも乗越えるのかというのは人生の大問題であることは間違いない。
 人生とは何か、人は何のために生きるのか、という問題に関わると、いかにも哲学青年みたいで、青臭いという風に感じる人もいるだろう。それでも私は生涯の終わりまでこの問いをもち続けると思う。生きるということは、惰性でやっておればこれほどつまらないものはなく、人はそこらの動物となんら変わりはないのだ。
 長寿となった日本の社会で老人があまり幸せそうに見えないことは、大きな課題で、政治は真っ先にこれを取上げなければならないはずだが、今の世の中、年寄りへの給付を出来るだけ抑えようとするばかりで、これが政治なら許せない政治だという怒りが高まっている。そればかりか、職のない若者、ぐれた中年者が老人の財産を狙って振り込め詐欺に走る。ひどい世の中だ。貧富の格差を助長した政治の罪は明らかで、これを是正することは急務だ。
 しかし幸せとは、まず自分の周りから、自分のできることから作り上げてゆくのが筋である。何でも人さまにやってもらおうとするのは、不平屋で終る人で、何時までたっても幸福になれない人である。私は人生をいつも新鮮にする生き方を勧めたい。どうしたら新鮮になるか、その人、その場合によって違うだろうが、新鮮になるように工夫することは誰でもできるはずと思っている。
 人はその根源において、ある大いなるものに活かされていると思うほど、強くなれるものである。お説教として言っているのではない。そしてそれがその人に新鮮なものを見つけさせ、その人に絶えず新鮮味を帯びさせるものである。人生はいくつになっても前途に希望があると思うほど、元気が出てくる。いつも新鮮な人生こそ祝福である。